渋江白髭神社

渋江白髭神社([葛西清重館  寺社・史跡])

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渋江白髭神社の口コミ情報

2021年05月01日 山内侍従伊右衛門俊胤
渋江と清重の弟
 渋江白髭神社の創建は不詳。旧別当寺の清宝山観正寺が延徳3年(1491)に創建されたとの事から、それ以前の創建と考えられている。
 「渋江」の地名は応永5年(1398)の『葛西御厨田数注文写』にも記載されており、当時は一帯を「渋江」と呼称していた事が考えられる。清重晩年の館もこの地に建てられており、宝町にあるもう一つの西光寺の山号も「渋江山」である。

 『千葉大系図』には、「渋江小四郎有光」という人物が記載されている。渋江四郎常光の子で、兄弟に箕勾太郎経能、八條五郎光平がいるとされている。ここにおける「渋江」とは現在のさいたま市岩槻区の辺りを指しており、渋江小四郎有光は当地を領していた人物と認識できる。

 一方、鎌倉末期に作成されたとされる『中条家文書「桓武平氏諸流系図」』『入来院家所蔵平氏系図』には葛西清重の弟として「笑田(箕田)四郎有光」の名が記されている(有光の名字は山形大学附属図書館の『中条家文書目録データベース』で見られる『桓武平氏諸流系図』では「笑田」と記載してある様に見受けられ、山口隼正氏の『入来院家所蔵平氏系図について(上)』に載せられた『入来院家所蔵平氏系図』では「箕田」と記載してある様に見受けられる)。

 渋江小四郎有光の弟の八條五郎光平は『吾妻鏡』建暦3年(1213)5月17日の記述に登場する「澁江五郎光衡」と同一人物とされる事から、渋江小四郎有光と笑田(箕田)四郎有光は同時代の人物である事も推定される。

 引っ掛かるのは、同時代に場所は違えど「渋江」に関わりのある「四郎(小四郎)有光」という人物が二人いる事である。偶然である事も十分考えられるが、「葛西清重の領地である“渋江にいた四郎有光”という人物が後の時代に“渋江小四郎有光”という渋江氏の人物として纏められた。」という可能性が頭を過ってしまう。

 渋江氏については深く調査していないのでよく分からず、また笑田(箕田)四郎有光についても史料が無い様でよく分からない。そもそも「有光」の名も「豊島清光」同様に書き間違えられた名前である可能性すら考えられる。ただの与太話である。

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