石見銀山城館(いわみぎんざんじょうかん)

石見銀山城館の基本情報

通称・別名

石見銀山城館[山吹城・石見城・矢滝城・矢筈城(高山城)]

所在地

島根県大田市大森町銀山他(地図は山吹城を示す)

旧国名

石見国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

大内弘幸[山吹城]、不明[石見城]、大内義興[矢滝城]、不明[矢筈城]

築城年

延慶2年(1309)[山吹城]、不明[石見城]、享録元年(1528)[矢滝城]、不明[矢筈城]

主な改修者

主な城主

大内氏、尼子氏、毛利氏、大久保氏(徳川氏家臣)[山吹城]、温泉氏[石見城]、大内氏、小笠原氏[矢滝城]、尼子方、毛利氏[矢筈城]

廃城年

遺構

曲輪[すべて]、土塁[山吹城・石見城・矢筈城]、堀切[石見城・矢滝城・矢筈城]、石垣[山吹城]、竪堀[石見城・矢滝城・矢筈城]、虎口[矢滝城]

指定文化財

世界遺産(石見銀山遺跡とその文化的景観)、国史跡(石見銀山遺跡)

再建造物

碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

福光城(島根県大田市)[8.7km]
丸山城(島根県邑智郡)[13.9km]
温湯城(島根県邑智郡)[15.3km]
山中要害山城(島根県大田市)[19.1km]
市山城(島根県江津市)[20.5km]
二ツ山城(島根県邑智郡)[27.7km]
赤穴瀬戸山城(島根県飯石郡)[29.2km]
重富城(島根県浜田市)[30.3km]
笹山城(島根県浜田市)[34.8km]
枝ノ城(広島県山県郡)[36.4km]

石見銀山城館の解説文

石見銀山城館は、石見銀山周辺に築かれた城館群である。

山吹城跡、石見城跡、矢滝城跡、矢筈城跡が、「石見銀山遺跡」として、それぞれ島根県の史跡に指定されている。

山 吹 城 

山吹城(やまぶきじょう)は、石見国(現:島根県大田市大森町)にあった日本の城(山城)。石見銀山防衛のため築城された。城跡は国の史跡「石見銀山遺跡」の範囲に含まれている。

概要

標高414m、比高200mの要害山上に築かれた山城で、その規模は要害山全体に及ぶ。頂上付近に南北52m東西32mの主郭を配し、19本以上確認できる畝状竪堀群や土塁、空堀、石垣等で防衛線をなしている。なお、大森の集落に面している主郭北側のみに石垣が築かれていることから、"集落側に見せるための構築物"を築いていたためと考えられている。

城の南部にある連続竪堀については、石見高橋氏の居城高櫓城(出雲市)の連続竪堀との類似が指摘されており、高橋一族を出自とする本城常光が城主だった頃に構築された可能性がある。

また、麓の集落にある西本寺には、山吹城の追手門(大手門)が廃城後に山門として移築現存している(先に龍昌寺の門として使用された後、西本寺に再移築された)とされている。ただし、大田市指定文化財「西本寺山門」としては江戸時代初期のものとされており、現在の現地説明板にも山吹城の城門が移築された旨の説明は含まれていない。

周囲には、石見銀山や街道の支配・防衛の為に築かれた石見城・矢筈城・矢滝城(全て大田市)があり、山吹城と共に石見銀山遺跡に登録されている。

沿革

延慶2年(1309年)頃、石見銀山が発見され、その防衛用の城として、周防・長門国の大内氏当主・大内弘幸によって築城されたとの伝承がある。正確な築城年代は不明だが、鎌倉時代末期から南北朝時代初期には山吹城の原型となる城郭・砦が存在したと推測される。

大内義興が大内氏当主の頃、博多の商人・神谷寿貞(姓については神屋、名については寿禎・寿亭とも表記される)によって開発され、灰吹法の導入によって銀山の採掘量が増大する。その為、この頃に義興(又は、その子・義隆)によって築城されたと解説する場合もある。

享禄3年(1530年)に石見の国人領主・小笠原長隆が銀山を奪うが、3年後の天文2年(1533年)大内氏が奪回。大内氏は山吹城の防備を強化した。

天文6年(1537年)、出雲国の戦国大名尼子経久が石見国に侵攻し、銀山を占領した。

天文8年(1539年)に大内氏が奪還したものの、その2年後の天文10年(1541年)に尼子氏が石見小笠原氏と結んで銀山を再占領し、大内氏と尼子氏による争奪戦が続いた。

大内義隆が大寧寺の変で自害すると、天文24年(1555年)に大内重臣陶晴賢を厳島の戦いで破った毛利元就が、大内氏に代わって銀山争奪戦に加わる。厳島の戦いの時点では、刺賀長信(小笠原長雄の叔父)が山吹城を守っていたが、防長経略を進める毛利氏に臣従し、弘治2年(1556年)城と銀山は毛利氏の勢力下に入った。

同年又は永禄元年(1558年)、尼子晴久は山吹城を攻めて毛利軍を破り、刺賀長信を自害させて、石見銀山を所領とした(忍原崩れ)。尼子氏は、戦勝に功のあった本城常光を城主とした。

永禄2年(1559年)に毛利軍が山吹城奪還のために侵攻するも、本城常光は降露坂の戦いにて撃退する。

しかし、雲芸和議を利用して毛利氏は石見に侵攻。永禄5年(1562年)に城主・本城常光は降伏するが、元就は常光を暗殺した。石見銀山と山吹城を手中に収めた元就は、山吹城に吉川元春の家臣・森脇市郎左衛門を置いた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、石見銀山は幕府領となり、大久保長安が山吹城に入る。長安は、山吹城を改修して吹屋(銀精錬所)を置いたことが記録されているが、翌年に大森代官所に拠点を移したため、山吹城は廃城となった。1600年代前半に取り壊されたとされる。

平成19年(2007年)7月2日、石見銀山が世界遺産に登録されるにあたっては、構成資産の1つ「銀山柵内」に城跡が包括されている。

参考文献

・「仁摩町誌」
・「石見銀山-戦国の争乱・鉱山社会・天領」石村禎久著

石 見 城 

石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、仁摩(にま)方面に出る街道沿いを守備する。中世山城の立地・形態をよく留める。

矢 滝 城 

石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、温泉津沖泊道が近くを通る。中世山城の立地・形態をよく留める。

矢 筈 城 

石見銀山を防御するための山城遺構の一つで、温泉津沖泊道を挟んで矢滝城と対峙する。中世山城の立地・形態をよく留める。

本解説文(基本情報を除く)は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目山吹城」等を素材として二次利用しています。

石見銀山城館の口コミ情報

2024年03月27日 たいʕ•ٹ•ʔやき
石見銀山城館

「福石庵のすぐ西」にある登り口①、「石見銀山龍源寺間歩管理所の手前」にある登り口②があります。①は階段がグラつくなどして注意が必要ですが、②は整備がよくされていて距離も短く楽です。

2024年02月15日 備後守のぶ
石見銀山城館



山吹城登山口から登り、龍源寺間歩に下りるルートで進みましたが、登りはかなりの急登で、ほぼコンクリート敷の階段です。かなりグラグラして確実に足の置き場を考えないと危ないです。虎口や崩れた石垣の残骸らしき物は確認できます。

2023年12月04日 気分爽快豊後守
石見銀山城館



縄張り図を見ると、凄い連続竪堀があるみたいなので、行ってきました。実際は木々と下草でさっぱりわからずでした。主郭まで駐車場からの歩きを含めると1時間近くかかりますので、五百羅漢、龍源寺間歩とセットで見に行かれるのが良いかと思います。
①虎口前の広い郭。左の藪に石垣が埋もれている。
②主郭までの路。両側は竹藪で内部の確認困難。
③主郭内部
④南側のかなり急な切岸
⑤南端の郭
⑥肉眼ではかろうじて判別できた連続竪堀
⑦①で藪に埋もれていた石垣
⑧登城路途中にある休役所跡の石垣

2023年04月15日 mootze
石見銀山城館

山吹城へ登りました、途中石の階段は、グラグラ不安定だし、木の階段は腐って底が抜けそうな感じでした、山頂の本郭には虎口、石垣など、遺構が残ってます石見銀山の監視や流通などを、主な任務をしていました

2022年07月01日 内大臣尼子保久
石見銀山城館



明日が石見銀山の世界遺産登録15周年らしく、限定版の御城印が発売されていました。関係する6つの城を大森観光案内所と温泉津観光案内所を回ってゲットしました。

2021年12月13日 ピクニック勘解由長官
石見銀山城館

よく手入れされた登山道で、登山口から45分かかりました。帰りは大久保間歩側から降りてみましたが、これも整備されていました。クマの出没の話は聞きませんでしたが、念のため鈴を用意していくと良いかと思います。

2021年11月03日 なべ雅楽助
石見銀山城館

世界遺産石見銀山ゆかりの六城、山吹城、矢滝城、矢筈城、石見城、鵜丸城、櫛山城の御城印ができたようです。石見銀山世界遺産センターのホームページに詳細が載ってます。

2021年06月08日 自転車制覇~こころ旅
石見銀山城館

石見の国平定。広島市内から自転車にて。国道9号大型車両多く、幅狭い場所も多く、要注意。皆さん、安全第一で。

2021年04月10日 内大臣尼子保久
石見銀山城館



銀山公園駐車場から約10分で登城口へ。そこから1キロちょっとで主郭へ到着しますが、途中の階段が急勾配で脚にきました。登城口から30分程度ですが、結構ハード。ただ、頂上からの景色は素晴らしいです。

2019年08月13日 源山城守@ポンコ2…
石見銀山城館



事前に石見銀山世界遺産センターで、地域全体のジオラマや解説聞いておくと、銀山を守る城館の予習になりました。

石見銀山城館の一つ、山吹城へは石見銀山公園あたりまで車やバスで行けますが、その先は徒歩かレンタサイクルになります。

近くの五百羅漢のお寺の方からレンタサイクル薦められ、電動自転車¥700を二時間借りました。
龍源寺間歩に向かう道中、西本寺の山門が見えますが、山吹城からのどこかの門の移築と何かのパンフに書かれてました。
その先の緩やかな坂を進むと、山吹城入口の小さな案内書が見えます。
地元のガイドの方の説明を立ち聞きしたところ、入口前の平らなとこにかつて寺があり、城主は8人、山吹城で発掘調査したら古銭など出土したなど仰ってました。
登れるか尋ねると、草木が繁ってるし熱中症になるかもと止められ、少し入っただけでガイドの忠告に従うべきと断念しました。

龍源寺間歩(有料)までの道中、銀山から出た石で築かれたと思われる土留めの苔生した石垣や神社やお寺などあり、間歩の中はひんやりしてて酷暑の中から入ると気持ちよく、鉱脈辿って掘られた多くの坑道など、シルバーラッシュの面影を感慨深く見ることができました。
北の代官所に続く細長い町並みは、江戸時代から残る家屋や路地は、風情があってよかったです。
また、羅漢寺(有料)の五百羅漢は圧巻の見応えでした。また本堂前で銭洗いができます。

石見銀山へ足を運ばれる際のご参考まで。


2017年06月25日 織田上総介晃司
石見銀山城館

石見銀山エリアとしての口コミ

五百羅漢
採掘中に亡くなられたかたを供養するため羅漢像が彫られ、ここに来れば亡くなった身内に会うことができるといわれる。

龍源寺間歩
銀の採掘場のひとつ。採掘の歴史を見ることが出来ます。

琴ヶ浜
「鳴砂」の浜で歩くと音がします。

温泉津温泉
リア攻めの後は褐色の源泉に入り疲れをとるのもいいでしょう。
野生の猿に遭遇するかもしれません。ご注意を…

2012年12月23日 西園寺右近衛大将オチョ
石見銀山城館

山吹城は現在龍源寺間歩側の登山道は工事中で通れなくなっています。
休役所側からの登山道は登れますが、700段程の急勾配の階段が続き、手すりも腐食で使用禁止になっているのでなかなかキツイですw
山上は冬でも背の高い雑草が生い茂り遺構の確認が難しくなっている所が多々あったのが残念でした。

2012年08月30日 はせちゃん弾正忠
石見銀山城館

9/1 11:00〜「山吹城跡」において、発掘調査現地説明会が実施されますよ

石見銀山城館の周辺スポット情報

 山吹城移築門(遺構・復元物)

 代官所跡(遺構・復元物)

 山吹城(周辺城郭)

 矢筈城(周辺城郭)

 石見城(周辺城郭)

 矢滝城(周辺城郭)

 石見銀山(寺社・史跡)

 石見銀山世界遺産センター(御城印)

 駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 石見銀山世界遺産センター(関連施設)

 山吹城跡登山道大谷口(その他)

 山吹城跡登山道大手口(その他)

 石見城登城口(その他)

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