二ツ山城(ふたつやまじょう)
二ツ山城の基本情報
通称・別名
- 出羽城
所在地
- 島根県邑智郡邑南町鱒渕字永明寺
旧国名
- 石見国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 出羽(富永)朝祐
築城年
- 貞応2年(1223)
主な改修者
- -
主な城主
- 出羽氏、高橋氏、出羽氏
廃城年
- 天正19年(1591)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- 町史跡(二ツ山城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
枝ノ城(広島県山県郡)[11.7km]
温湯城(島根県邑智郡)[12.8km]
丸山城(島根県邑智郡)[16.4km]
吉川氏城館(広島県山県郡)[17.4km]
松尾城(広島県安芸高田市)[19.0km]
南朝方毛利氏城館(広島県山県郡)[20.0km]
市山城(島根県江津市)[20.5km]
重富城(島根県浜田市)[20.5km]
福原城(広島県三次市)[20.6km]
仁後城(広島県安芸高田市)[21.9km]
二ツ山城の解説文
[引用元:Wikipedia「二ツ山城」の項目]
二ツ山城(ふたつやまじょう)は、島根県邑智郡邑南町鱒渕にあった日本の城。石見国の中では益田市の七尾城に次いで古い山城である。邑南町指定史跡。
概要
貞応2年(1223年)、富永朝祐によって築城。富永氏はやがて出羽姓を名乗り一大勢力を持ったが、正平16年(1357年)に高橋貞光による攻撃で城主出羽実祐は討死し落城した。高橋氏は二ツ山城向かいの山に本城を築き、そこを拠点としたので、二ツ山城は高橋支配時代には使われなかったと思われる。
享禄3年(1530年)に高橋氏が毛利元就によって亡ぼされると、二ツ山城は毛利氏の石見進出の拠点となった。
永禄元年(1558年)2月、吉川元春を大将とする毛利軍が、毛利方に付いた出羽元実や福屋隆兼らを率いて[1]二ツ山城に着陣。別当城(邑南町)を拠点に対抗しようとした尼子氏方の軍勢(牛尾幸清・本城常光・小笠原長雄)を撃ち破っている(出羽表の戦い又は石州出羽の戦い[2][3])。
永禄年間には毛利元就の子である元倶が出羽氏に養子に入った。この頃に城が再整備され城域も拡大し、現在に残る姿になったとされる。
天正19年(1591年)に出羽元実が出雲国に移封となり廃城になった。
構造
標高530メートル、比高180メートルの二ツ山頂上を主郭とする典型的な連郭式山城で、「二ツ山」の名前の通り、城跡は本丸と西の丸の二つの高い曲輪を中心とした縄張りとなっている。現在の巨大な城域は、毛利元就によって永禄年間に築かれたものであり、石見国・出雲国への進出ルートとして整備された際に拡張されたものと思われる。城下の永明寺集落に居館があり、平時はそこで生活していたと推測される。また、城の南東にある南出城と呼ばれる部分が元々の二ツ山城であったとされる。
現在
山頂付近まで乗用車が通じる登山道があり、城跡は整備されている。2004年(平成16年)8月24日に町の史跡に指定された。
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二ツ山城の口コミ情報
2023年12月03日 気分爽快豊後守
二ツ山城
事前情報が少なかった未知の山城ですが、個人的には楽しめました。
まず、山登を覚悟していたけど、山頂付近まで狭いけど舗装された路があり、軽自動車をレンタルしたこともあり楽々駐車場に到着しました。対向車がなかったのも良かったです。
城域は広いのですが、遺構が連続していて飽きません。綺麗なパンフレットが用意されているので、しっかりと見れば、より楽しめると思います。パンフレットの縄張り図をリア攻め地図に取り込むと、漏れなく遺構を見て周れます。
①駐車場の先にある四重の堀切
②ニツ山の最高所にある西の丸
③神明空堀
④本丸と西の丸との間にある細長い馬場
⑤本丸北の二重堀切
⑥本丸内部
⑦本丸南の太鼓の段
⑧水をたたえる殿様池
2022年05月15日 織田上総介晃司
二ツ山城
道の駅瑞穂を起点とし、国道261号を北上すると見落としそうな看板があるので右折。少し進むと鳥瞰図と縄張り図が描かれてる説明板があります。
その説明板の下にパンフレットがある(かもしれない)のでゲットして林道を進む。
林道の終点が駐車場(約5〜6台分)となります。搦手道から登城。
道の駅瑞穂から広島方向に進むと「瑞穂ハンザケ自然館」があり、飼育しているオオサンショウウオ(ハンザケ)を観ることができます。
ちなみに「ハンザケ」とは大きな口で小魚など食べるとき顔の半分が裂けたように見える事から島根ではオオサンショウウオをハンザケと呼びます。
2015年09月19日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
二ツ山城
国道261号線にカンバンがあり、入口は分かりやすい。西の丸直下まで車で進入可能(落葉、落石、倒木あり、注意)
案内板もあるが薄れて読み辛い。かなり以前に公園として整備をしたようなので、遊歩道がある。草刈りも時々されているようである。階段が設けられているが、所々壊れているので、足元注意!
トイレは無いので、草むらで開放感を味わいながら、自己責任で!
中途半端な公園化のため、遺構は分かり辛い。昔、ここに山城があったんだね…、程度に訪れる事を推奨。
山城を公園として開発し、観光客を呼ぼうとして、失敗した典型的な事例のひとつである。