今田氏城館(いまだしじょうかん)
今田氏城館の基本情報
通称・別名
- 今田氏城館[今田城・今田氏館]
所在地
- 広島県山県郡北広島町今田(地図は今田氏館を示す)
旧国名
- 安芸国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 今田氏[すべて]
築城年
- 不明[すべて]
主な改修者
- -
主な城主
- 今田氏[すべて]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、井戸、虎口、竪堀[今田城]、石垣、庭園跡[今田氏館]
指定文化財
- 県史跡(今田氏城館)
再建造物
- 碑[すべて]、説明板[すべて]
周辺の城
-
南朝方毛利氏城館(広島県山県郡)[2.4km]
吉川氏城館(広島県山県郡)[6.5km]
阿賀城(広島県安芸高田市)[11.6km]
牛頭山城(広島県広島市)[13.0km]
枝ノ城(広島県山県郡)[13.2km]
猿掛城(広島県安芸高田市)[14.8km]
松尾城(広島県安芸高田市)[15.0km]
鈴尾城(広島県安芸高田市)[15.2km]
熊谷氏城館(広島県広島市)[15.8km]
桜尾城(広島県山県郡)[18.5km]
今田氏城館の解説文
今田氏城館の口コミ情報
2024年05月24日 ごさそう鹿籠守
今田氏城館
今田城入口前は、今田名水の駐車場なので駐車しない事 100M下の今田城館石垣前が駐車場です
2023年04月02日 装鉄城大膳大夫乱怒
今田氏城館
現在では水田となった居館部分に石垣と庭園跡がありました。すぐ脇が一台分の駐車スペースとなっています。
2022年06月12日 つか征夷大将軍ぽ
熊谷元直の墓[今田氏城館 碑・説明板]
有田合戦(中井手の戦い)で戦死した熊谷元直のお墓です。後に毛利氏の家臣になり、吉川元春の義理の父になる熊谷信直の父です。
2022年06月12日 つか征夷大将軍ぽ
武田元繁戦死の地[今田氏城館 碑・説明板]
今は用水路となっている川沿いに有ります。渡るときに矢を受けて戦死したそうです。
2022年06月12日 つか征夷大将軍ぽ
有田城駐車場[今田氏城館 駐車場]
こちらの駐車場は数台しか置けないのと道も狭いので下の駐車場がオススメです。説明板も下の駐車場に有ります。
2022年06月12日 つか征夷大将軍ぽ
有田城[今田氏城館 周辺城郭]
毛利元就が初陣を飾った有田合戦の舞台となるお城です。郭以外はこれといった遺構は見られませんでした。
以下説明板より
有田城跡山頂には四つの郭と、郭の北西端を固める土塁が残っている。
城主は山県一族有田氏と思われ、東の壬生氏、西 の今田氏とともに、室町から戦国時代初期にかけて この地域を支配していた。
一五一五(永正一二)年、中国地方に大きな勢力を持っていた大内氏に対し、銀山城の武田元繁が反旗を翻し、壬生氏・有田氏・今田氏も従軍した。
これに対し、大内氏の命を受けた郡山城の毛利氏によって有田城は攻撃され、落城した。
一五一六~一五一七年に有田城奪回を目指す武田氏と毛利氏・吉川氏の間で有田合戦が繰り広げられたが、武田元繁は戦死、山県一族の壬生・有田・今田氏も没落した。
元繁戦死の地の碑は現在、又打川河畔にあるが、今田中井出など異説があり、確定できない。この有田合戦は、武田氏の威勢を失墜させることとなり、逆に毛利氏は安芸国人の中に占める地位を固め、初陣を飾った元就自身も毛利家家督相続の足場を築くこととなった。
2021年04月30日 九曜紋東市正。
今田氏城館
周囲に、今田, 奥今田として地名が残る集落の外れの山の山頂部に、多くの廓跡を従えて存在していました。
本丸跡は、ふもとから体感で、50m程度の高さがあり、山頂に近づく程、急勾配となり且つ、曲がりくねっています。この山道を急ぎ足で15分かけて、ハァ.ハァ.と息を切らして登り切った先からは、県北の田園地帯、花田植で有名な千代田の町を一望できます。
2020年11月15日 織田上総介晃司
今田氏城館
千代田ICから国道261号を北上すると「こぶしの名水」の看板がありますのでそれを目指して進みましょう。
今田氏館石垣前と登城口そばの多目的グラウンドが駐車場です。(登城口の駐車場はロープがしてあり、出入りの際いちいち外さないといけないのが面倒ですが…)
尚、こぶしの名水のある場所は駐車禁止となってます。
今田城は夏場はわらびが生えてぼーぼーになり、冬に雪が積もれば登城困難となります。
登城するなら初春か晩秋の頃がベストです。
今田氏城館のある旧千代田町(北広島町)の壬生地区では重要無形民俗文化財の「壬生の花田植」が毎年行われてます。
囃子にあわせて早乙女姿の女性たちが苗を植えていきます。
2016年12月31日 毛利安芸守百万一心
今田氏城館
館跡は個人の田んぼになってます。
奥に庭園跡ありますが私有地と思われるため入りにくいです。車はこの石垣前に停めましょう。登山口にある名水の広場は駐車禁止になってます。城跡は割と急ですが、10分くらいで上がることができ、大変きれいに整備されています。見晴らしも良好。冬の登城がオススメです。
2013年05月03日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
今田氏城館
館跡の近くから、城跡への登山道があります。近隣の方々が良く整備をされており、小学生が遠足で訪れたりする場所になっています。
今田城跡、今田氏館跡が、「今田氏城館」として、それぞれ広島県の史跡に指定されている。
今田城
今田城は、河内山城ともいい、今田の谷の急な斜面上に築かれた城郭である。今田氏没落後は吉川氏が継承し、後には吉川元春の居城・日山城の支城としても利用されたと考えられている。今田氏館
今田氏館は、今田城の麓に築かれた居館である。築山・池を配した庭園跡も残っている。