山手銀山城(やまてぎんざんじょう)

山手銀山城の基本情報

通称・別名

銀山城

所在地

広島県福山市山手町

旧国名

備後国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

杉原匡信

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

山手杉原氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀群

指定文化財

再建造物

周辺の城

福山城(広島県福山市)[4.2km]
相方城(広島県福山市)[7.0km]
神辺城(広島県福山市)[7.4km]
桜山城(広島県福山市)[8.3km]
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鞆城(広島県福山市)[14.4km]
楢崎城(広島県府中市)[16.4km]
笠岡城(岡山県笠岡市)[17.3km]
鳴滝山城(広島県尾道市)[18.5km]

山手銀山城の解説文

※この城郭は2026年4月6日に名称と位置が変更となりました。



銀山城(ぎんざんじょう)は、広島県福山市山手町にあった戦国時代の日本の城(山城)。備後地方南部一帯を支配した杉原氏の居城として知られる。

歴史 

木梨杉原氏の一族の杉原匡信によって築城され、以後「山手杉原氏」を名乗った。城は毛利氏や尼子氏などとの実戦にも活用された。杉原一族は、麓にある曹洞宗三宝寺を菩提寺としていた(三宝寺も匡信による建立)。銀山城主3代目の杉原盛重は、毛利氏の傘下の神辺城の主である山名理興の家老であり、理興の死後神辺城の城主となった。ただし、近年の研究では山名理興の家老は本家筋の杉原豊後守で、天文年間末に豊後守が理興から離反して神辺城主となり、その没後に分家筋の盛重が豊後守の後を継いだとされている[1]。杉原盛重の死後、家督継いだ杉原元盛に反発する杉原景盛との間で相続争いが起き、山手杉原氏は衰退し廃城となった。杉原氏の退いた後には、高橋右馬允資高が入城したとされる[2]

遺構 

高増山の山頂から南東方向に延びる尾根の上(標高249.8メートル)に、尾根の一部を堀切で切り離して、城が築かれていた。東西150メートル、南北200メートルの範囲に十数段の連郭と、十数条の竪堀、堀切り、土塁や石垣などの遺構が残り[3]備南屈指の要害とされ、国人衆の筆頭だった杉原氏の勢力を現代に伝えている。北側を頂点とした逆V字型に小郭が配置され、周囲には竪堀が掘られている。城の中心となるのは南向きの尾根にある三段から構成される主城郭群で、それに続く南向きの尾根の南端にも堀切を介在して2面の小郭がある。主城郭群と堀切を挟んで続く南東側の尾根には、階段状に8段に小郭が配置されている。

アクセス 

俄谷砂留および俄山弘法大師堂近くの不動院の四叉路を西側へ右折し、曲がりくねった林道を1.3キロメートルほど登ると林道脇に案内看板があり、そこから急峻な谷に沿って山道を10分ほど登る。駐車場は付近にはなく、自動車で行く場合は俄谷砂留付近の駐車場を利用する。

特記事項 

  • 城跡からの眺めは素晴らしく、松永から福山までの平野部や海岸線が広く見渡せる。
  • 福山市の「備陽史探訪の会」が、草刈りなどの周辺整備や、実地測定、見学会などを開催している[4]

出典 

参考文献 

  • 田口義之『備後の武将と山城』芦田川文庫、1986年

山手銀山城の口コミ情報

2026年04月12日 ドクターイエロー大宰少弐
山手銀山城



今回城友さんと5年ぶりに訪ねました。主郭東側の畝状竪堀群には一部倒木が覆いかぶさっていましたが、その他の遺構は見事な保存状態で畝状竪堀群の他に堀切、切岸、石積、虎口、土橋、井戸?、竪土塁?も見て回ることが出来ました。いつも山肌を管理されてる方々には感謝感謝です。R8.4.12再訪

2021年04月26日 しおうまる美作守
山手銀山城



地元では要害と呼ばれている城です。福山市街から県道463号線を北へ、弘法の水(弘法さん)を目指しましょう。城郭下まで車で近づけます。「ここは城域です。マウンテンバイクでの立ち入りは…」唯一の目印は山側にポツンとある小さな看板。その場所が駐車スペース兼登城口になります。位置的には城域の北東になります。

傾斜を見上げますと右側には竪堀、左側には切岸と曲輪が目に入ります。草木は綺麗に整備され、ボコボコした傾斜はまさにマウンテンバイクのコースに打ってつけです。って、こらこら…

城の全貌を掴むには手っ取り早く高いところへ登る!ってことで東曲輪群の曲輪へ。上部の主郭曲輪群は急峻な切岸のまだ遥か上。堀切で断ち東防衛の主軸となる曲輪であることが伺えます。南に目を落とすと驚愕!人が入れる大きさの畝状竪堀☆あ~1日眺めてたいw

短い後ろ髪を引かれつつ一段下がると、これも見事な石積みがあります。ここで1つの疑問が…大手は東側?知識を仕入れず訪城したので妄想が楽しいw

上へ上へと大手道らしき細道を登りますと、主郭曲輪群の最南端Ⅳ郭の虎口に到着。その南西側にはⅦ郭との間に堀切があります。ここで声をかけられました。実はこの方、この城を整備されまさに今手に持っている縄張り図の作図者ご本人!何たる幸運、何たる偶然。良かったらご案内しましょう♪と、ガイドを快く引き受けて下さりました。

主郭周囲では南と西で石垣が組まれていたそうで、その形跡は少ないながら点在し残る石材からも伺えます。主郭には数個の大き目な石材が転がっています。これが泉石の可能性があるとのお話。東に広く開ける福山市街や瀬戸内海を肴に、当時の地域情勢などを交え教えて下さいました。主郭より北には土橋が設けられ北曲輪群に向かっていますが、当日はここまで。東の車道上に残る畝状竪堀を堪能して城を後にしました。

最後にご案内してくださいましたお方からの拡散希望のご伝言。「縄張り図の転記だけは止めて下さ~い!」

【フォト一覧】
左上より
①福山市街と瀬戸内海
②東曲輪群4郭と主郭間堀切
③大手道畝状竪堀
④大手道石積み

左下より
①Ⅳ郭虎口
②Ⅶ郭堀切からの竪堀
③主郭北の竪堀
④東、車道沿いの畝状竪堀

【参考文献】
田口義之『新、備後古城記〜ふるさとの古城を訪ねて〜』福山文庫、2021年

2021年04月15日 ドクターイエロー大宰少弐
山手銀山城



山陽自動車道福山SA付近の東側より細い道をひたすら弘法さんを目指して北上してください。そこから更に地王山山頂に向けて山道を登ります。道幅はそんなに狭くはないので安心です。約2キロ程進んだ右カーブの山側に小さく「マウンテンバイク乗り入れ禁止」の看板が設置されています。ここが登城口になります。道幅も少しだけ広くなっており、2~3なら駐車は可能です。

山を見上げると畝状竪堀の凸凹が何となく把握出来ます。また道べりまで1本だけ長い竪堀が続いているようです。看板から直登すると主曲輪、左右に進むとそれぞれ北側と東側の巨大な曲輪にたどり着きます。保存会の方々によって良好な状態で保存されており、案内看板等は全くありませんが、畝状竪堀群や堀切、切岸、石積、井戸、土橋、虎口などの遺構が良く理解できます。また見晴らしの良いところでは遠くに福山城や将軍・足利義昭公の御所が一時置かれていた津之郷・御殿山(惣堂神社)を眼下に見ることが出来ます。

なおトイレは弘法さん、もしくは福山SAをご利用ください(外からの利用も可能です)。R3.4.1訪城

2020年11月25日 織田上総介晃司
山手銀山城

駐車場は無く、登城口の近くの路肩スペースに停めて登城。

備陽史探訪の会(歴史研究会)の方の整備により探索しやすくなってます。説明板や順路などこれから整備する事がありますが、今は遺構を壊さないよう散策していただければありがたいです。

山手銀山城の周辺スポット情報

 登城口(その他)

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