温湯城(ぬくゆじょう)
温湯城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 島根県邑智郡川本町川本
旧国名
- 石見国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 小笠原長胤
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 小笠原氏
廃城年
- 永禄2年(1559)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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丸山城(島根県邑智郡)[8.8km]
二ツ山城(島根県邑智郡)[12.8km]
石見銀山城館(島根県大田市)[15.3km]
福光城(島根県大田市)[17.3km]
市山城(島根県江津市)[17.4km]
赤穴瀬戸山城(島根県飯石郡)[20.0km]
枝ノ城(広島県山県郡)[23.1km]
重富城(島根県浜田市)[23.5km]
福原城(広島県三次市)[24.5km]
山中要害山城(島根県大田市)[28.0km]
温湯城の解説文
[引用元:Wikipedia「温湯城」の項目]
温湯城(ぬくゆじょう)は、石見国邑智郡(島根県邑智郡川本町)にあった日本の城。石見小笠原氏の居城。
概要
温湯城は、江の川の支流である会下川と矢谷川に挟まれた山(標高約219メートル)に築かれた山城。
山頂に2段で構成された主郭(いわゆる本丸)[1]があり、その周辺から東に向かう尾根が二の丸に相当する曲輪となる。二の丸は、東端の高所に櫓台を設け、本丸までの間を連続した堀切で遮断している。
本丸から北西方向に向かう尾根に3番目と4番目の曲輪があり、主郭側を「バセンバ」、離れた方を「テラヤシキ」と呼ぶ。また、テラヤシキよりもさらに北西に降って会下川に近い山麓が「クラヤシキ」と呼ばれており、平時の居館などがあったと推定される。
温湯城の北東約1.5キロメートルに出城の赤城(せきじょう)がある。ただし、先に築城されたのは赤城であり、小笠原氏の本拠が温湯城に移った後に出城として使われたと考えられる。
歴史
温湯城の築城及び赤城からの移転時期は定かではない。小笠原長氏が当主だった正平9年(1354年)に既にあった(『日本城郭大系第14巻』)とも、次代の小笠原長義が応永元年(1394年)に石見守護(大内義弘)の許可を得てから築いた(『石見町誌』)とも言われている[2]。
小笠原長雄の時に、毛利氏と尼子氏の石見銀山争奪戦の中で毛利元就により攻撃を受け、永禄元年 (1558年)[3]又は翌2年(1559年)[4]に陥落した。
温湯城の戦い
永禄元年2月[5]に毛利軍(吉川元春)が迫ったため、長雄は尼子軍と共に別当城(邑南町)に陣を構えて迎え撃つが温湯城に退却[6](出羽の戦い[7][8])。しかし、毛利軍は湯温城を落とせなかった。
そこで同年または翌年の5月下旬に、毛利元就・毛利隆元・小早川隆景らも合流した1万2000の軍勢で侵攻。周辺の日和城[9]や赤城も攻め落とされ、6月には温湯城を囲まれた[10]。この時元就は、温湯城のすぐ東側に陣城である会下山城(えげやまじょう)を作っている。
7月には尼子晴久は援軍として出陣するが、豪雨の影響による増水で江の川を渡河できなかった。そのため、隆景の説得を受け入れた8月に開城。長雄は死を免れて甘南備寺(江津市)に移された。
交通アクセス
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)三江線石見川本駅から徒歩20分だったが、三江線が廃止されたため、川本観光案内所から徒歩20分となる。
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温湯城の口コミ情報
2022年10月23日 syusyu
温湯城
北側に整備された登山道に繋がる登山口があります。南側の変電所横からの道は崩落がある上に、テープが少なく、踏み跡が落ち葉で分からず、獣道に惑わされる危険な道になっています。2つの道は繋がっていますが南側からの道には竪堀ぐらいしか見所は無く、それも北側からアプローチして見に行った方が安全です。
南側からアプローチして迷子になりつつ引き返そうかと悩んでいると道が北を向いたので反対に抜けられるかもと思って歩いていたら少し新しい看板の裏側が見えて反対を見たら登山道→の文字。そっちを見たら整備された山頂に行きそうな道が見え、看板の文字が見える側の道はこれまでの道とは比較にならないぐらい綺麗で踏み跡が……。川本駅前の山城の紹介の看板に登山道が北側にある事を一言書いたり、川本町の温湯城のページがあるのでそこで触れておいて欲しかった。
各曲輪等には案内の札が付けられており分かりやすくなっています。入り口の看板の裏側を見るに整備されたのは2018年でそれからも時々手入れをしているのだと思います。遺構自体は植林こそされていますが破壊はあまりされておらず保存状態は悪くないと思います。
手入れもしっかりされているお城なので是非とも登ってみてください。
2022年07月06日 INO【兒】左京大夫
温湯城
鉄塔を伝う形で僅かな道があります。上の鉄塔からは道はありません。途中、目印がなくなったのでソロでの登山は諦めましたが、途中曲輪っぽいものは見つけました。
余談なのですが、実は上の鉄塔が城あとだったのでは?もしそうなら下に伸びる不自然かな凹は畝状竪堀になります。いずれにしても石垣は見つけれませんでした。
2014年05月03日 淡路守てぃも
温湯城
かなりの山奥です。
攻略範囲内にある石見川本駅前には遅くまで開いてる居酒屋さんがありました(車じゃなきゃ寄ってた)