福岡城(ふくおかじょう)

福岡城の基本情報

通称・別名

所在地

岡山県瀬戸内市長船町福岡

旧国名

備前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

頓宮四郎左衛門

築城年

鎌倉時代後期

主な改修者

小鴨大和守、赤松政則

主な城主

頓宮四郎左衛門、赤松氏、小鴨大和守、浦上氏

廃城年

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

沼城(岡山県岡山市)[4.8km]
大廻小廻山城(岡山県岡山市)[6.3km]
砥石城(岡山県瀬戸内市)[7.0km]
保木城(岡山県岡山市)[7.2km]
乙子城(岡山県岡山市)[9.9km]

福岡城の口コミ情報

隠密❁石工集団穴太衆様[2018年08月30日]
(案内) 福岡城は長船カントリークラブ内のゴルフ場内にあるので、長船カントリークラブの許可が必要

(周辺情報) この辺りは山陽道と吉井川の交わるこの一帯で物資の集散地として大変にぎわい備前福岡の市や平安時代から刀剣の生産で有名で鎌倉時代に福岡一文字派や長船派と呼ばれる刀工集団がいたことでも知られ、多くの名工を輩出している。

また、黒田官兵衛の曾祖父・高政と息子の重隆が備前福岡に移住し黒田長政が筑前国に封じられた際に黒田氏ゆかりの備前福岡より取って、福岡城と命名しこれが今日の福岡県の由来となった。

隠密❁石工集団穴太衆様[2018年08月30日]
(歴史) 福岡城は、鎌倉時代末期に頓宮四郎左衛門によって築かれ室町時代、赤松氏が嘉吉の乱で没落すると、備前は山名教之の分国となり小鴨大和守が守護代となり福岡城を大修築した。応仁の乱後に備前守護に返り咲いた赤松政則が、文明元年に福岡城を攻略し福岡千軒を城内に取り込んだ城へと修築。赤松・浦上氏と松田氏の対立により福岡城をめぐって両者の合戦(福岡合戦)が行われたが大永年間の大洪水により吉井川が流れを変えた為福岡城は廃城となった。福岡城跡の場所については二説1つは、吉井川にかかる備前大橋手前の吉井川右岸沿いの道を南へ下った所の小山、寺山が城跡とする説ともう一つは、吉井川河川敷にある長船カントリークラブの中央の小丘が城跡とする説の二説そして2つの福岡城はもともと繋がった城域を形成し東西に600m程度伸びる規模ではなかったと思われ、その機能は城館と守護所を兼ねたもので、この地において備前国の守護職政務が執り行われていたのではないかと考えられる。現在の福岡城は度重なる洪水と河川の流れが変わる事で城郭部が削られ今の姿になったと思います、福岡城を訪れた際はこの2つの福岡城をセットで見てほしい

修理大夫播磨の将軍 様[2011年09月19日]
備前福岡の町内に妙興寺があって寺内に黒田高政公(黒田官兵衛の曾祖父)と宇喜多興家公の墓所があります
また、備前福岡は、現在の福岡の地名の起源と言われています

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