長船城

長船城([福岡城  周辺城郭])

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長船城の口コミ情報

2024年11月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


岡山県瀬戸内市の長船町長船にある【長船城】♪別名を兼光屋敷(城の内)とも呼ばれる居館跡は、備前長船博物館南側の平地に築かれました♪現在は土塁が残り、堀の名残りを残します♪備前長船兼光と云えば、名刀というイメージでしょうか?または人物として、備前の刀工集団をイメージするかなぁ〜?

長船兼光の始まりは、文永年間(1264年-1275年)頃に初代・備前長船住兼光となります♪そこから代々(5代目・備前長船兼光)、名刀を世に輩出し、数多くの大名に使用されています♪

数々の名刀として『一国兼光』土佐山内家のモノや『太閤兼光』小田原征伐の際に駆けつけた、出羽角館城主戸沢盛安に与えた兼光や『明智兼光』明智光秀から家康、小牧・長久手の戦い後に成瀬隼人正正成に与えられたモノに『城井兼光』黒田家伝来のモノ♪更には『竹俣兼光』(※鉄砲の筒を切り落としたモノ)上杉景勝から秀吉に献上されたモノや『波泳ぎ兼光』上杉から小早川秀秋へ♪のちに立花家へに渡ったモノ♪更に更に『福島兼光』銘は備州長船住兼光や福島正則所持、前田家伝来されたモノ♪『石破り兼光』浅井長政が婚姻の際に信長に贈ったものなどなど、まだまだあります♪坂本龍馬の脇差も備前長船兼光作となっています♪いずれも重要文化財となっている物が多く、その美しさは今でも見る人を魅了します♪

さて♪この長船城、刀工集団ですが、足利尊氏の番鍛冶として活躍しています♪備前長船兼光は室町幕府を開いた尊氏に召しだされ、太刀を鍛えたと伝わります♪その褒美として城の内築地(兼光屋敷)を賜ったと云われます♪一丁四方の広さに濠を巡らし、四方に櫓を立て、土塁で区画♪長船城には代々この地の鍛冶が住しました♪

長船城での出来事として、文明15年(1483年)、金川城主松田元成が赤松氏から離反して、赤松方の備前・福岡城を攻めた際(福岡合戦)、長船城や周辺の民家も焼き払われたと伝わります(備前軍記より)。

その後の長船城や刀工集団や長船家の動きには、不明な点が多いです。因みに戦国時代末期には、小笠原氏の一族とされる長船貞親が宇喜多直家に仕え、宇喜多三老の1人として活躍していますが、この長船氏と長船城との関連は不明なのです。。ただ、同じ長船氏を名乗っている為、何らかの繋がりはあったんではないか?とは思いますが…不明なのです。。

因みにこの長船貞親ですが、戦国時代の長船氏として宇喜多氏に従い、宇喜多三老の1人、重臣として活躍しています♪長船貞親は宇喜多直家の創業の初期からの家臣として従い、備中三村元親との戦い(明善寺合戦)では荘元祐を討ち取ったとも伝わります。さらに美作三浦氏との戦いや、宇喜多直家の元主君である浦上宗景を攻略(天神山城の戦い)するなど、宇喜多家にとって欠かせない人物となっています♪播磨上月城の戦いでは、毛利氏に味方した宇喜多直家の命で、上月城の救援に来た織田氏配下の将である、羽柴秀吉方の黒田孝高らと戦い、これを撃破。宇喜多直家が羽柴秀吉の薦めで織田氏に味方すると、宇喜多直家の命令で毛利氏と戦いました。刀工集団の家系がいつしか宇喜多家家臣として、さらに城を持ち武将化していたとしたら…ロマンがあります♪
因みにこの長船氏は、宇喜多直家の死後は子の秀家に仕え、宇喜多秀家の名代として四国征伐などに従軍しています。

城跡は墓地となっている部分が土塁で残り、その手前はかつて水路があり、濠の名残となっています♪畑となっている辺りも土取で低くなっていますが『築地』と呼ばれ、土塁が築かれています♪

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