安中城(あんなかじょう)

安中城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県安中市安中3

旧国名

上野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

安中忠政

築城年

永禄2年(1559)

主な改修者

井伊直勝

主な城主

安中氏、井伊氏、水野氏、堀田氏、板倉氏、内藤氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

里見城(群馬県高崎市)[3.6km]
富岡城(群馬県富岡市)[6.8km]
北新波砦(群馬県高崎市)[7.7km]
奥平城(群馬県高崎市)[8.6km]
松井田城(群馬県安中市)[9.3km]
高崎城(群馬県高崎市)[9.4km]
箕輪城(群馬県高崎市)[9.6km]
白倉城(群馬県甘楽郡)[10.1km]
小幡陣屋(群馬県甘楽郡)[11.4km]
国峰城(群馬県甘楽郡)[12.9km]

安中城の解説文



安中城(あんなかじょう)は、群馬県安中市安中にあった戦国時代の日本の城。

略史 

永禄2年(1559年)、上野国碓氷郡安中に、山内上杉家方の安中氏の安中重繁によって、松井田城と連携する城として築城された。

永禄5年(1562年)9月、安中重繁が武田氏に降伏し武田家上野先方衆に組み入れられる。城は対後北条氏の最前線の城となった。

天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により、上野国を鎮撫した織田勝長が入城した。

天正18年(1590年)に小田原征伐により安中城は攻められ廃城となる。

天正18年(1590年)徳川家康が関東の地に入封。

慶長19年(1614年)、井伊家が入封し、安中城は改築された。

安中藩は井伊家2代(3万石)、のち水野家2代(2万石)、堀田家1代(2万石→4万石)、板倉家2代(2万石)、内藤家2代(2万石)、再び板倉家6代(2万石→3万石)と続き、板倉主計守勝殷の時に明治維新を迎えている。歴代藩主の中で著名なのは堀田正俊と板倉勝清であり、それぞれ老中を勤めている。

遺構 

遺構として、専門家の検証はなされていないが、市内熊野神社に城門が1棟、民家に城門が都合それぞれ2棟、そして市内民家に武器庫が現存している。

安中城の口コミ情報

2024年03月03日 弾正一秀
安中城



安中城は現在図書館のように成ってましたね😁長篠の合戦では出陣した城主を筆頭に1人も戻らなかった悲しい歴史が残る城ですね❗

2024年02月22日 すずママ玄蕃頭箕輪金山PR
安中城

安中小学校の校長先生より小学校校庭南側、安中城の石碑付近の桜の木を伐採するとお知らせが届きました。R6/3/9〜3/11の期間に安中城へ立ち寄られる方はご注意ください。

2022年08月27日 まー刑部卿
移築城門[安中城  遺構・復元物]



専門家の検証はなされていない民家に移築された城門。個人宅のため敷地外からの撮影。車は離れた場所に路駐。安中宿本陣の須藤家の末裔?というくらい広い敷地の入り口にある門でした。
表札は個人宅のため消しました。

2022年08月27日 まー刑部卿
武家長屋[安中城  遺構・復元物]



現在武家長屋は工事中のため、立入禁止。そのため郡奉行役宅は無料になっています。工事期間はいつまでか?と役宅の案内人の方に聞いたが工事は終わっているので足場撤去のみ、で職人さん次第だと回答されました。

2022年08月14日 まー刑部卿
安中様のお太鼓[安中城  その他]



『この太鼓は安中藩太鼓櫓において時を知らせており熊谷の土手までその音が聞こえたそうで【御代々留】によると貞享2年(1685)、時の藩主 板倉重形の時に太鼓で時を知らせ始めたとありそれ以前は大泉寺の鐘が時の鐘として使用されていた。明治4年(1871)に安中城が廃城後、安中小学校が明治16年(1883)新築開校すると太鼓は正面玄関の上り口に吊るされ校時を知らせる太鼓として使用されていて開校100周年を記念して昭和48年(1973)に皮の張り替えを行った際に鋲穴から過去6回張り替えしたことが判明している。昭和50年(1975)12月15日安中市指定重要文化財に指定された。また同年に復活した安政遠足侍マラソンのスタートを告げる太鼓として長年使用されてきた。現在はふるさと学習館1階(火曜日定休)に展示されています。』と現地説明板や安中市役所HPに掲載されています。なおふるさと学習館入口から右手にあり無料スペースにあります。無料駐車場有り。

2021年07月24日 まー刑部卿
八重が淵の碑[安中城  碑・説明板]

『つづき』
この伝説には後日譚があり、殿様の毒見役の御殿医の讒言により非業の死を遂げたお八重の怨霊は歴代の医師に(医師は一代限り)祟りを為すと恐れられました。そこで安中の医師会では昭和10年お八重の霊をを慰めるべく法要を行い更に昭和25年に安中城櫓台跡に『八重が淵』の碑を建立しお八重の霊を慰めました。その後、国道18号線安中バイパスの開通に伴い櫓台跡は姿を消しかつてのお八重が淵を見下ろすこの地にお八重の碑はたっています。

2021年07月24日 まー刑部卿
八重が淵の碑[安中城  碑・説明板]



【八重が淵伝説】
お八重伝説とは安中城主に仕えていた美しい女官の八重が殿様に寵愛され、そのことを妬んだ他の女官の恨みをかうことになり殿様の食事に縫針が仕込まれ下手人とされたお八重が無実の罪で生きたまま大きなカメに毒虫や毒蛇と一緒に押し込まれたという伝説です。

2021年07月23日 まー刑部卿
旧安中藩郡奉行役宅[安中城  遺構・復元物]



駐車場は向かい側に約3台ほど停められます。(安中城内現況対照図[明治初年]が建っているため城内を回る時に参考にされるといいかも)入場料は確か230円だったかと。何回も訪れているため今回は入っていません。
道路を挟んだ向かい側に旧安中藩武家長屋があります。ここも併せて入場出来ます。

2021年07月23日 まー刑部卿
武家長屋[安中城  遺構・復元物]



入口が開いていますが道路を挟んだ向かい側にある『旧安中藩郡奉行役宅』でお金払って入ってください、と入書かれています。確か230円だったかと。今回は何度も入ったことがあったので入りませんでした。武家長屋奥に安中城絵図がプリントされた板書がありました。この向かい側にある武家屋敷跡と思われる石垣は現存と『旧碓氷郡役所(入場無料・駐車場有り)』の職員の方がおっしゃっていました。説明板に石垣が現存していると書かれていたのでその時に訊ねたらそうお話ししてました。

2020年11月16日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
安中城

残念ながらほぼ何もありません。
武家屋敷くらいかな。

2020年04月05日 すずママ玄蕃頭箕輪金山PR
安中城

安中城の史跡柱のある安中小学校ですが、目と鼻の先に学童保育舎が新築されました。写真撮影の際は子ども達や送迎の保護者に配慮をお願いします。

2017年05月06日 すずママ玄蕃頭箕輪金山PR
安中城

安中小学校の隣、碓氷郡役所跡に安中城のジオラマがあります。
鳥瞰図も販売されています。


2017年05月04日 虎御前4/20九州
安中城

2017年4月22日~5月21日(花と緑のぐんまづくりの期間中)まで、安中城下の旧安中藩郡奉行役宅・武家長屋は入館無料です。

2010年09月13日 古楽侍従広家
安中城

日本最初のマラソン、安政の遠足(とおあし)があった場所。

安中城の周辺スポット情報

 武家長屋(遺構・復元物)

 安中城移築城門(遺構・復元物)

 旧安中藩郡奉行役宅(遺構・復元物)

 移築城門(遺構・復元物)

 東山道跡(遺構・復元物)

 安中城址碑(碑・説明板)

 安中藩安政遠足之碑(碑・説明板)

 漆園の記碑(碑・説明板)

 八重が淵の碑(碑・説明板)

 簗瀬城(周辺城郭)

 安中宿本陣跡(関連施設)

 大手門跡(関連施設)

 使者場入口(町口門)跡(関連施設)

 新島襄旧宅(関連施設)

 東門枡形跡(その他)

 安中様のお太鼓(その他)

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