小幡陣屋(おばたじんや)
小幡陣屋の基本情報
通称・別名
- 小幡城
所在地
- 群馬県甘楽郡甘楽町小幡
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 織田信昌
築城年
- 寛永19年(1642)
主な改修者
- -
主な城主
- 織田氏、松平氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財
- 国名勝(楽山園)、県史跡(旧小幡藩武家屋敷松浦氏屋敷)
再建造物
- 門、長屋、土塁、石垣、庭園、碑、説明板
周辺の城
-
国峰城(群馬県甘楽郡)[2.2km]
富岡城(群馬県富岡市)[4.7km]
一郷山城(群馬県高崎市)[6.8km]
奥平城(群馬県高崎市)[6.8km]
金山城(群馬県藤岡市)[9.4km]
平井城(群馬県藤岡市)[10.5km]
安中城(群馬県安中市)[11.3km]
山名城(群馬県高崎市)[11.7km]
高崎城(群馬県高崎市)[13.1km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[13.8km]
小幡陣屋の解説文
小幡陣屋の口コミ情報
2021年02月23日 ゆず外記拓之助
麻場城[小幡陣屋 周辺城郭]
麻場城、本丸内には、土塁で囲まれていた。また周囲には空堀がめぐり、東側の堀と北側の堀のほぼ中央付近には橋を架けたと思われる穴が見つかっている。
虎口は、本丸の南側中央にあり土橋構造で、二の丸へと続いている。
現在櫓がある場所には昔は櫓はなく、完全に模擬ってます。
ですがこの城は空堀が見どころで見た瞬間保存状態とその深さにあっかんされる。
平成4年麻場城址公園となったためアクセスがわかりやすく、遺構も見やすく、初心者にも楽しめる城跡です。
-フォトギャラリー-
・本郭下の横堀
・腰曲輪
・発掘調査で分かった橋を復元したもの。(コンクリ)
・本丸堀。ここが一番の見どころ
・横堀は本郭を取り巻いている。
・腰曲輪の堀切
・腰曲輪に掛かる橋
・模擬櫓〜青天をあおげ〜
2021年02月23日 ゆず外記拓之助
麻場城[小幡陣屋 周辺城郭]
麻場城は、甘楽町の舌状台地上に立地した丘城です。この城は、この地を収めたの居城であったと言われ、城近く東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれていました。
ですがこの城は秀吉の小田原出兵の際に前田氏らに攻められ白倉氏の長年の歴史に幕をとじます。その後廃城になる。
城跡は平成元~3年に調査が実施され、現在は城跡公園になっている。
-ギャラリー-
・土橋より浅間山を望む。
・写真のように2の郭は本郭よりも高くなる穴城の様な構造。(奥,本郭・手前,2の郭)
・本郭より2の郭を望む。
・本郭と2の郭の堀。随分高さがあることが分かる。
・2の郭の土塁。虎口跡もありそこに門があった事が推測される。
・本郭と腰曲輪に掛かる橋。発掘調査により判明された。
・2の郭の土塁上、まるで50メール走のトラックのよう。
・2の郭土塁の虎口跡。
2020年08月18日 龍馬備中守【】
麻場城[小幡陣屋 周辺城郭]
群馬県の甘楽郡にある麻場城♪
甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城です♪
大手側からの城域を考えるとかなり縦長で広い☆主要部残し現在は住宅地、畑が二の丸、三の丸と名残を残します♪横堀の深さ鋭さは一級品です♪
小幡氏の一族で関東管領・山内上杉氏の重臣であった白倉氏の居城となります☆別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の城で東側500mにある仁井屋城とあわせて白倉城とも呼ばれています♪白倉宗任は武田信玄に臣従☆武田氏滅亡後は滝川一益、北条氏直に下ります♪「小田原征伐」の際に白倉重家は小田原城に籠城し重家の弟である重高が守るも前田利家・上杉景勝ら北国勢に攻め落とされ、白倉氏は滅亡しちゃいます♪
白倉家350年間続いたこの地での生き様は今は歴史として残ります♪
写真は主郭を取り巻く横堀♪と土橋♪土塁高〜い♪堀超深〜い♪実戦で直ぐにでも使えそうなキレを未だに持ってます♪土って凄い♪
マップは三郭の辺り♪リア攻めマップは主郭に合わせると入らない為、三郭にロックオン♪Googleマップで調べれば直ぐ出るので是非是非行かれてみて下さい♪直ぐに行けてオススメ度保証しますw
2019年05月05日 弾正少弼jinxulty
喰い違い廓[小幡陣屋 遺構・復元物]
防衛上の要請のためにとも、下級武士が上級武士に会わないためにとも言われる。なお、向こう側は個人宅みたいなので注意。
2018年02月21日 安田越後守秀俊
小幡陣屋
拾九間長屋と空堀&土塁の間に特徴的な銅像(?)があります。
織田木瓜の家紋の鎧を着た人物と猿顔の人物が二人で餅つきをしています。
↓
↓
織田がつき、羽柴がこねし天下餅。
2016年02月15日 すずママ玄蕃頭合戦不参加
小幡陣屋
道の駅甘楽にて 小幡城関連の年表など二種類が販売されていました。
2015年01月27日 牢屋見廻り同心マダオ
小幡陣屋
甘楽町歴史民族資料館側の信号「大手門」の脇に大手門礎石が保存されています。(説明板あり)
また、近隣関連史跡には崇福寺には織田氏七代の墓、宝積寺には小幡氏累代の墓があります。さらに小幡城南には小幡氏国峰城以前の居城・峰城、東には小幡城以前の陣屋であった上野城、支城の八幡山砦、長畝砦などが点在します。上野城の遺構は一見の価値あり。
小幡藩は江戸初期に織田信雄の4男・信良が立藩し、7代藩主・信邦の時代に転封となる。
その後、上里見藩から松平忠恒が入り、孫の忠恵が若年寄に就任、城主格となったことから陣屋造りのまま、小幡城と改称される。
城内に建物は残っていないが周囲の武家屋敷や石垣などは当時のものが残っており、往時の雰囲気を味わうことができる。