小幡陣屋(おばたじんや)

小幡陣屋の基本情報

通称・別名

小幡城

所在地

群馬県甘楽郡甘楽町小幡

旧国名

上野国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

織田信昌

築城年

寛永19年(1642)

主な改修者

主な城主

織田氏、松平氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口

指定文化財

国名勝(楽山園)、県史跡(旧小幡藩武家屋敷松浦氏屋敷)

再建造物

門、長屋、土塁、石垣、庭園、碑、説明板

周辺の城

国峰城(群馬県甘楽郡)[2.2km]
富岡城(群馬県富岡市)[4.7km]
一郷山城(群馬県高崎市)[6.8km]
奥平城(群馬県高崎市)[6.8km]
平井金山城(群馬県藤岡市)[9.4km]
平井城(群馬県藤岡市)[10.5km]
安中城(群馬県安中市)[11.4km]
山名城(群馬県高崎市)[11.7km]
高崎城(群馬県高崎市)[13.1km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[13.8km]

小幡陣屋の解説文

小幡城は江戸期に小幡藩が藩庁とした城郭。元は小幡陣屋と呼ばれた。

小幡藩は江戸初期に織田信雄の4男・信良が立藩し、7代藩主・信邦の時代に転封となる。

その後、上里見藩から松平忠恒が入り、孫の忠恵が若年寄に就任、城主格となったことから陣屋造りのまま、小幡城と改称される。

城内に建物は残っていないが周囲の武家屋敷や石垣などは当時のものが残っており、往時の雰囲気を味わうことができる。

小幡陣屋の口コミ情報

2024年02月15日 RED副将軍
麻場城[小幡陣屋  周辺城郭]



深く鋭い空堀が周囲を巡る白倉氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

文明年間(1469年〜1487年)に白倉氏によって築かれたと云われます。
白倉氏は小幡氏一族とされ、山内上杉氏の重臣として小幡氏と並び上州八家のひとつに数えられ、白倉重佐は上杉四宿老に数えられました。
武田信玄による西上野侵攻により1563年に白倉宗任は武田信玄に服従。
1582年に織田信長により武田氏が滅亡すると、白倉重家は織田信長家臣の滝川一益に従属。しかし直後に本能寺の変で織田信長が没すると他の上州の在地領主と同様に北条氏直に降りました。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において白倉重家は小田原城に籠城し、麻場城には弟の白倉重高が守備しました。麻場城は前田利家・上杉景勝らにより落城。北条氏が滅亡すると白倉氏は所領を失い、麻場城も廃城となりました。

見所
東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に築かれており、東にある仁井屋城と合わせて別城一郭の城として白倉城とも呼ばれました。
主郭は四方に土塁と深い空堀を巡り、南に虎口が開口し土橋が架かり二郭へと繋がります。
周囲を巡る空堀は幅約15m、深さ約6mの大規模なもので鋭い切岸と相まって圧巻です。

現在は麻場城址公園として整備され東麓に駐車場も完備しています。

2023年02月23日 RED副将軍
小幡陣屋



現在は、国指定名勝の楽山園として整備織田宗家ゆかりの陣屋跡と大名庭園です。

オススメ度 ★★★★⭐︎

1629年に織田信昌により築城。織田信昌は、織田信長の次男である織田信雄の四男の織田信良の次男。要するに信長の曾孫です。1615年、大阪の陣で豊臣氏が滅亡するとその直前に大阪から退去した織田信雄は徳川家康より大和国宇陀郡三万石と上野国甘楽郡二万石を与えられ、大名となり大和国松山陣屋を居城としていました。

1617年に四男の織田信良が上野国甘楽郡二万石を分封され小幡藩を立藩。1629年、織田信昌により新たに陣屋が移されたのが小幡陣屋です。以降、織田氏が代々続きましたが、1767年に七代の織田信邦は、尊王論者弾圧事件である明和事件の首謀者の山県大弐に連座して蟄居処分となります。家督を継いだ弟の織田信浮も出羽国高畑に転封となりました。代わって松平忠恒が入封。以後、松平氏が四代続いて明治に至りました。

見所
現在は、織田氏が造った庭園である楽山園として整備されています。
空堀、石垣、土塁、井戸が残り、拾九間長屋や門が復元されています。

有料施設だけあってキレイに整備されています。
周辺に良い山城も多いですが、偶にはこういった味変させるのも良いものです😁

2022年04月02日 ファン掃部助トム治郎
小幡陣屋

甘楽町小幡の春はよい。雪で覆われた浅間山をバックに妙義山。雄川にそった桜並木。楽山庭園の入場口を入ってすぐのところに陣屋あとがあります。ベストシーズンです。

2021年12月30日 見城
麻場城[小幡陣屋  周辺城郭]



甘楽町の白倉にある麻場城は、急峻な土塁と空堀に防御された主郭、二の丸が城址公園となっており、古の城郭が今も街の中にそびえ立っています。

・本丸東側の登城路から見上げる土塁
・本丸 北東から
・笹郭本丸間の連結橋から西側城下の町並み
・本丸 南西の空堀越しの土塁と山々
・本丸 南の二郭から
・本丸 南西側 左手奥は妙義山
・本丸 南東の空堀

2021年10月24日 戸沢夜叉九郎正樹
小幡陣屋



上信電鉄上州福島駅から約3.5kmあり、駅に無料レンタルサイクルがあるのでそらの利用をお薦めします。街全体が城下町の雰囲気が残っていて、非常に楽しめます。

2021年08月02日 織田上総介晃司
小幡陣屋

小幡陣屋前と武家屋敷に駐車場があります。営業時間に行かないと中には入れないので夜討ち朝駆けは無理です。

2021年05月06日 夜叉姫上野介
小幡陣屋

道の駅甘楽(群馬県甘楽町)は、町ゆかりの戦国武将や城の名を筆で書いた御城印4種を新発売した。織田信長の旧暦の誕生日とされる12日には、信長の肖像画入りを含む3種の御城印(各500枚限定)の販売も始める。

いずれもはがきサイズの和紙の台紙を使用。通常品の4種には、町内の大名庭園「楽山園」や小幡城、国峯城、国峯城主だった小幡信貞の名前を記した。

限定品は、戦国ゲームのキャラクターを手掛けたイラストレーター、長野剛さんが織田信長を描く。松平家や織田家などの家紋を金箔(きんぱく)であしらった商品も用意した。

上毛新聞デジタルより

2021年04月27日 龍馬備中守【感謝】
麻場城[小幡陣屋  周辺城郭]



群馬県の甘楽町にある麻場城☆丘陵の張り出した先端部に築かれています♪同様に東に張り出した丘陵にある仁井屋城とあわせて別名を白倉城と呼ばれています☆

この城郭は鎌倉時代に白倉氏によって築かれたと伝わります☆

白倉氏は小幡氏の一族で児玉党の一派で山内上杉氏の重臣として上州八家の一つにもに数えられています♪【※上州八家とは→小幡氏・白倉氏・安中氏・倉賀野氏・桐生氏・由良氏・山上氏・沼田氏】

白倉家の有名武将としては白倉道佐ですが、この白倉道佐は上杉謙信に仕えていて上杉謙信が鎌倉で関東管領就任の儀式をした時には側近として付き添いました☆
その後、武田信玄が箕輪城の上野長野氏を攻めるとこれを防ぎきれず武田信玄に従っていきます☆

武田家が滅亡すると、白倉道佐の子・白倉重家は織田家の重臣滝川一益に下ります☆【神流川の戦い】では滝川方に付いて奮戦しました☆この合戦に敗れた滝川一益は伊勢に敗走していきます☆本能寺の変の直後の出来事だった為【神流川の戦い】により清洲会議に間に合わず…。。織田家における滝川一益の地位は一気に急落して行きました☆
あっ…白倉家の話に戻します☆
滝川一益の関東からの退却によって白倉家はその後、北条氏直に下りました☆
ただし此処がターニングポイントでもありました☆秀吉による小田原征伐でここ白倉城(麻場城)に弟・重高を配置し守らせ白倉重家は小田原城に籠城し戦いました☆後北条氏が滅亡すると白倉氏も所領を失い没落していきます…☆

早朝の麻場城でした♪

2021年02月23日 拓之助中務少輔【若者組】
麻場城[小幡陣屋  周辺城郭]



麻場城、本丸内には、土塁で囲まれていた。また周囲には空堀がめぐり、東側の堀と北側の堀のほぼ中央付近には橋を架けたと思われる穴が見つかっている。虎口は、本丸の南側中央にあり土橋構造で、二の丸へと続いている。現在櫓がある場所には昔は櫓はなく、完全に模擬ってます。ですがこの城は空堀が見どころで見た瞬間保存状態とその深さにあっかんされる。平成4年麻場城址公園となったためアクセスがわかりやすく、遺構も見やすく、初心者にも楽しめる城跡です。 
-フォトギャラリー-
・本郭下の横堀 
・腰曲輪
・発掘調査で分かった橋を復元したもの。(コンクリ)
・本丸堀。ここが一番の見どころ
・横堀は本郭を取り巻いている。
・腰曲輪の堀切
・腰曲輪に掛かる橋
・模擬櫓〜青天をあおげ〜

2021年02月23日 拓之助中務少輔【若者組】
麻場城[小幡陣屋  周辺城郭]



麻場城は、甘楽町の舌状台地上に立地した丘城です。この城は、この地を収めたの居城であったと言われ、城近く東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれていました。ですがこの城は秀吉の小田原出兵の際に前田氏らに攻められ白倉氏の長年の歴史に幕をとじます。その後廃城になる。

城跡は平成元~3年に調査が実施され、現在は城跡公園になっている。  

-ギャラリー-
・土橋より浅間山を望む。
・写真のように2の郭は本郭よりも高くなる穴城の様な構造。(奥,本郭・手前,2の郭)
・本郭より2の郭を望む。
・本郭と2の郭の堀。随分高さがあることが分かる。
・2の郭の土塁。虎口跡もありそこに門があった事が推測される。
・本郭と腰曲輪に掛かる橋。発掘調査により判明された。
・2の郭の土塁上、まるで50メール走のトラックのよう。
・2の郭土塁の虎口跡。

2020年08月18日 龍馬備中守【感謝】
麻場城[小幡陣屋  周辺城郭]



群馬県の甘楽郡にある麻場城♪甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城です♪大手側からの城域を考えるとかなり縦長で広い☆主要部残し現在は住宅地、畑が二の丸、三の丸と名残を残します♪横堀の深さ鋭さは一級品です♪

小幡氏の一族で関東管領・山内上杉氏の重臣であった白倉氏の居城となります☆別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の城で東側500mにある仁井屋城とあわせて白倉城とも呼ばれています♪白倉宗任は武田信玄に臣従☆武田氏滅亡後は滝川一益、北条氏直に下ります♪「小田原征伐」の際に白倉重家は小田原城に籠城し重家の弟である重高が守るも前田利家・上杉景勝ら北国勢に攻め落とされ、白倉氏は滅亡しちゃいます♪白倉家350年間続いたこの地での生き様は今は歴史として残ります♪

写真は主郭を取り巻く横堀♪と土橋♪土塁高〜い♪堀超深〜い♪実戦で直ぐにでも使えそうなキレを未だに持ってます♪土って凄い♪

2019年05月05日 宮内大輔jinxulty
喰い違い廓[小幡陣屋  遺構・復元物]



防衛上の要請のためにとも、下級武士が上級武士に会わないためにとも言われる。なお、向こう側は個人宅みたいなので注意。

2018年02月21日 安田宮内卿秀俊
小幡陣屋

拾九間長屋と空堀&土塁の間に特徴的な銅像(?)があります。
織田木瓜の家紋の鎧を着た人物と猿顔の人物が二人で餅つきをしています。


織田がつき、羽柴がこねし天下餅。

2016年02月15日 すずママ玄蕃頭箕輪金山PR
小幡陣屋

道の駅甘楽にて 小幡城関連の年表など二種類が販売されていました。

2015年01月27日 牢屋見廻り同心マダオ
小幡陣屋

甘楽町歴史民族資料館側の信号「大手門」の脇に大手門礎石が保存されています。(説明板あり)
また、近隣関連史跡には崇福寺には織田氏七代の墓、宝積寺には小幡氏累代の墓があります。さらに小幡城南には小幡氏国峰城以前の居城・峰城、東には小幡城以前の陣屋であった上野城、支城の八幡山砦、長畝砦などが点在します。上野城の遺構は一見の価値あり。

小幡陣屋の周辺スポット情報

 喰い違い廓(遺構・復元物)

 勘定奉行高橋家(遺構・復元物)

 大手門礎石(遺構・復元物)

 中門(遺構・復元物)

 拾九間長屋(遺構・復元物)

 櫓跡(遺構・復元物)

 帯曲輪(遺構・復元物)

 展望台(遺構・復元物)

 本丸橋(遺構・復元物)

 本丸堀(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 本郭(遺構・復元物)

 2の郭(遺構・復元物)

 2の郭虎口跡(遺構・復元物)

 2の郭土塁(遺構・復元物)

 北裏門(遺構・復元物)

 楽山園門(遺構・復元物)

 楽山園(遺構・復元物)

 内郭北門(遺構・復元物)

 内郭東門(遺構・復元物)

 小幡藩武家屋敷松浦氏屋敷(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 御殿(遺構・復元物)

 梅の茶屋(遺構・復元物)

 井戸(銀明水)(遺構・復元物)

 井戸(金明水)(遺構・復元物)

 土塀(遺構・復元物)

 大納戸蔵(遺構・復元物)

 腰掛茶屋(遺構・復元物)

 麻場城登城路(碑・説明板)

 麻場城・説明板(碑・説明板)

 復元図(碑・説明板)

 麻場城(周辺城郭)

 織田宗家七代の墓(寺社・史跡)

 小幡八幡宮(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 麻場城・駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 松平家大奥庭園(関連施設)

 中小路(関連施設)

 チケット売り場(関連施設)

 甘楽町歴史民俗資料館(関連施設)

 石像(その他)

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