富岡城(とみおかじょう)
富岡城の基本情報
通称・別名
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所在地
- 群馬県富岡市上高尾1409他
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 富岡氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
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主な城主
- 富岡氏
廃城年
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遺構
- 曲輪、腰曲輪、堀切、切岸
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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白倉城(群馬県甘楽郡)[4.4km]
小幡陣屋(群馬県甘楽郡)[4.6km]
奥平城(群馬県高崎市)[5.6km]
国峰城(群馬県甘楽郡)[6.1km]
安中城(群馬県安中市)[6.8km]
一郷山城(群馬県高崎市)[9.6km]
里見城(群馬県高崎市)[10.1km]
高崎城(群馬県高崎市)[10.7km]
山名城(群馬県高崎市)[11.5km]
松井田城(群馬県安中市)[11.5km]
富岡城の口コミ情報
2026年02月05日 マグロ常陸介祐平
蕨城[富岡城 周辺城郭]
奥平城から西に約3km、庭谷城から北に約2km、城主や来歴等、不明なお城です。お城から500m程北西に建つ得成寺は平安時代の創建とされ、小野小町が一時療養したとされる伝説があります。Wikipediaの解説に「当地には元々小野という豪族がおり、それが小野小町開基説を産んだ理由ともいう(出典、関東古社名刹の旅2)」とあることから、小野氏が関連するのでしょうか。
お城は北から南に伸びる半島状の台地の先端部に築かれています。東側から、軽トラが入れるような道(写真1枚目)を進むと左側に腰郭があり(写真2枚目)、その上段は畑となっている4郭となります(写真3~6枚目)。4郭はそのまま台地の先端部を周る帯郭(写真7枚目)になっているようですが、立ち入り禁止で進めません。4郭のすぐ西側には3郭、1郭と郭が並ぶようですが、立ち入れそうもない薮で侵入を断念しました。西側からぐるりと廻り西北から道が付いているのは余呉さんの縄張り図で確認しましたが、薮の状況を見て諦めてしまいました。帰宅してGoogleマップの衛星写真をみると直近の状態は薮から畑に戻っているようですので、判断ミスのようです。遺構としては堀切が残っているようです。
2026年02月04日 マグロ常陸介祐平
庭谷代官所[富岡城 周辺城郭]
庭屋氏の墓とされる「庭谷の五輪塔」から北に50m、旧道沿いにに位置します。甘楽町の条里遺跡の周辺遺跡一覧表には「鏑川の断崖と三方を堀でめぐらせた代官所跡」としています。大系によると規模は110m✕60m程だったようです。寛文期は天領で、田んぼ159石、畑187石の小規模は村で、江戸時代後期になると天領(22石)と旗本筒井氏(323石)の相給となったようです。代官所というからには、筒井氏の知行所陣屋ではなく天領としてのものでしょうか。
街道沿いに代官所跡は民家となっており、東となりの元小料理屋さん(こちらの方が陣屋跡的な雰囲気がある)の境目部分は堀跡ではなく、矢穴の見られる庭石の石垣で固められた土塁の痕跡のようなものが見られますが、代官所の遺構ではなさそうでした。庭谷代官所跡として甘楽町指定の文化財になっていますが、説明板などもなく、町のHPにも紹介されていません。
2026年02月03日 マグロ常陸介祐平
庭谷城[富岡城 周辺城郭]
小幡氏の重臣庭屋氏のお城です。系図では、厳島(藤原)親実の子孫とされ、直尹の代に安芸から相模に下向し先祖の苗字庭屋を名乗り北条早雲に仕え、孫の安芸守直澄が北条氏康の諜報活動の為、天文20年に庭谷城と西牧根小屋城を築いたとされています。直澄の子の右衛門直元が根小屋城主、弟の左衛門尉兼行が庭谷城主となったようです。埼玉苗字辞典では、関東幕注文の下野足利衆の小幡次郎は、神成城の小幡次郎景高ではなく、生島足島神社の起請文に「小幡左衛門太夫兼行」と見られる、小幡姓を許された庭屋兼行ではないかとしています。お城は天正18年の小田原の役に際し、国峯城とともに落城したようです。
お城は鏑川の20mの断崖を背後に、南側には比高差15mの沢が流れる要害の地で、規模は東西80m、南北140m程となります。赤城神社が鎮座する約40m四方の本丸には川と面した東側を除き三方に土塁が残ります(写真1~4枚目)。本丸を囲む二の丸は、近年まで南と西に堀が残っていたようですが、埋められてしまったようです。北側の堀は、建設会社の駐車場になんとなくそれらしい痕跡が見られました(写真5枚目)。
近くの如来堂境内には鎌倉時代末期から室町時代初めにかけての特徴が見られる六基の五輪塔があり(甘楽町指定文化財)、系図とは辻褄が合いませんが庭屋氏代々のものと伝わっています(写真7,8枚目)。
2026年02月02日 マグロ常陸介祐平
小棚城[富岡城 周辺城郭]
日本城郭大系には、「布施川氏が在城。300m✕150mの崖端城。」とのみ書かれています。鏑川と天引川が合流する場所で、北側には鏑川、西側にはやや湾曲した天引川となっており、天然の要害となっています。
遺構は、民家のお庭に土塁が一条残っていますが、土塁の西側は玉石で固められ、原形を保っているわけではありません(写真2,5枚目)。さらに西の畑の先には(写真1枚目)低い土壇上に小さな祠があり(写真3枚目)、土塁の痕跡かもしれません。また、南側の墓地の手前にも玉石の幅のありそうな低い塀が見られますが(写真4枚目)、こちらも痕跡でしょうか。周辺は民家と畑の為、あまりウロウロできませんでした。
お城とは関係ありませんが、小棚城の近く(造石地区)には群馬県の史跡に指定される「造石法華経供養遺跡」があります。遺跡は、釈迦堂・地蔵堂・石造地蔵菩薩・石造宝塔・石造灯籠・絵馬・長岡本家墓塔群から構成されています。目を引くのは元和三年の高さ3mの地蔵菩薩像で、細川幽斎の縁者とされる長岡氏により造立されたものです。お堂の裏には屋根で守られた長岡本家の墓塔群がありますが、長岡氏は細川忠興とガラシャの次男興秋の子孫とされ、地蔵菩薩像の内部には細川・忠興・興秋・義輝などの文字が刻まれているとする個人様のサイトもあり、興味を惹かれました(写真6~8枚目)。
2023年01月07日 Hoshi
富岡城
カーナビで案内されるところを歩いてのぼると、鉄塔がある。遺構もわからないし、碑や看板もない。切り通しで分断されたが、昔は尾根でつながっていたのか?と思われる場所に、城址公園駐車場がある。駐車場から階段と坂道をのぼると、住民のいるお宅があり、車でものぼれる道があった模様。城址公園駐車場から登ったところに、石の祠を見つけた。城址公園は、春には桜が咲くと思われる。
2016年01月01日 まー刑部卿
富岡城
専用の無料駐車場がありますがそこから階段・通路があります。城内に民家やつぶれた店舗があるので車でも行けると思いますが停められそうなところはありません。一段高い物見台のようなところがあります。









