白倉城(しらくらじょう)

白倉城の基本情報

通称・別名

白倉城[麻場城・仁井屋城]

所在地

群馬県甘楽郡甘楽町大字白倉他(地図は麻場城を示す)

旧国名

上野国

分類・構造

城館遺跡群(別城一郭)

天守構造

築城主

白倉氏[すべて]

築城年

文明年間(1469〜1487)[すべて]

主な改修者

主な城主

白倉氏[すべて]

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて]

指定文化財

町史跡(麻場城址)

再建造物

碑、説明板[麻場城]

周辺の城

小幡陣屋(群馬県甘楽郡)[3.2km]
奥平城(群馬県高崎市)[3.7km]
富岡城(群馬県富岡市)[4.4km]
一郷山城(群馬県高崎市)[5.2km]
国峰城(群馬県甘楽郡)[5.5km]
平井城(群馬県藤岡市)[8.5km]
山名城(群馬県高崎市)[8.5km]
高崎城(群馬県高崎市)[10.0km]
安中城(群馬県安中市)[10.1km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[10.6km]

白倉城の解説文

※この城郭は2024年4月6日に名称と位置が変更となりました。

白倉城の口コミ情報

2024年11月21日 Teioh関白避戰
白倉城

綺麗に草刈りされており、深い空堀等がとても見やすく構造が良くわかります。整備して下さってる皆様に感謝します🙇‍♂️お時間あれば、ぜひ立ち寄りたいお城の一つですね。上からのアプローチは狭い道で車に細かい傷の心配が…。東側の駐車場利用が良さそうです。

2024年02月15日 RED副将軍
白倉城



登録地である麻場城の口コミです。

深く鋭い空堀が周囲を巡る白倉氏の居城🏯

オススメ度 ★★★★★

文明年間(1469年〜1487年)に白倉氏によって築かれたと云われます。白倉氏は小幡氏一族とされ、山内上杉氏の重臣として小幡氏と並び上州八家のひとつに数えられ、白倉重佐は上杉四宿老に数えられました。武田信玄による西上野侵攻により1563年に白倉宗任は武田信玄に服従。

1582年に織田信長により武田氏が滅亡すると、白倉重家は織田信長家臣の滝川一益に従属。しかし直後に本能寺の変で織田信長が没すると他の上州の在地領主と同様に北条氏直に降りました。

1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において白倉重家は小田原城に籠城し、麻場城には弟の白倉重高が守備しました。麻場城は前田利家・上杉景勝らにより落城。北条氏が滅亡すると白倉氏は所領を失い、麻場城も廃城となりました。

見所
東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に築かれており、東にある仁井屋城と合わせて別城一郭の城として白倉城とも呼ばれました。主郭は四方に土塁と深い空堀を巡り、南に虎口が開口し土橋が架かり二郭へと繋がります。周囲を巡る空堀は幅約15m、深さ約6mの大規模なもので鋭い切岸と相まって圧巻です。

現在は麻場城址公園として整備され東麓に駐車場も完備しています。

2021年12月30日 見城
白倉城



甘楽町の白倉にある麻場城は、急峻な土塁と空堀に防御された主郭、二の丸が城址公園となっており、古の城郭が今も街の中にそびえ立っています。

・本丸東側の登城路から見上げる土塁
・本丸 北東から
・笹郭本丸間の連結橋から西側城下の町並み
・本丸 南西の空堀越しの土塁と山々
・本丸 南の二郭から
・本丸 南西側 左手奥は妙義山
・本丸 南東の空堀

2021年04月27日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
白倉城



群馬県の甘楽町にある麻場城☆丘陵の張り出した先端部に築かれています♪同様に東に張り出した丘陵にある仁井屋城とあわせて別名を白倉城と呼ばれています☆

この城郭は鎌倉時代に白倉氏によって築かれたと伝わります☆

白倉氏は小幡氏の一族で児玉党の一派で山内上杉氏の重臣として上州八家の一つにもに数えられています♪【※上州八家とは→小幡氏・白倉氏・安中氏・倉賀野氏・桐生氏・由良氏・山上氏・沼田氏】

白倉家の有名武将としては白倉道佐ですが、この白倉道佐は上杉謙信に仕えていて上杉謙信が鎌倉で関東管領就任の儀式をした時には側近として付き添いました☆
その後、武田信玄が箕輪城の上野長野氏を攻めるとこれを防ぎきれず武田信玄に従っていきます☆

武田家が滅亡すると、白倉道佐の子・白倉重家は織田家の重臣滝川一益に下ります☆【神流川の戦い】では滝川方に付いて奮戦しました☆この合戦に敗れた滝川一益は伊勢に敗走していきます☆本能寺の変の直後の出来事だった為【神流川の戦い】により清洲会議に間に合わず…。。織田家における滝川一益の地位は一気に急落して行きました☆
あっ…白倉家の話に戻します☆
滝川一益の関東からの退却によって白倉家はその後、北条氏直に下りました☆
ただし此処がターニングポイントでもありました☆秀吉による小田原征伐でここ白倉城(麻場城)に弟・重高を配置し守らせ白倉重家は小田原城に籠城し戦いました☆後北条氏が滅亡すると白倉氏も所領を失い没落していきます…☆

早朝の麻場城でした♪

2021年02月23日 拓之助中務少輔
白倉城



麻場城、本丸内には、土塁で囲まれていた。また周囲には空堀がめぐり、東側の堀と北側の堀のほぼ中央付近には橋を架けたと思われる穴が見つかっている。虎口は、本丸の南側中央にあり土橋構造で、二の丸へと続いている。現在櫓がある場所には昔は櫓はなく、完全に模擬ってます。ですがこの城は空堀が見どころで見た瞬間保存状態とその深さにあっかんされる。平成4年麻場城址公園となったためアクセスがわかりやすく、遺構も見やすく、初心者にも楽しめる城跡です。 

-フォトギャラリー-
・本郭下の横堀 
・腰曲輪
・発掘調査で分かった橋を復元したもの。(コンクリ)
・本丸堀。ここが一番の見どころ
・横堀は本郭を取り巻いている。
・腰曲輪の堀切
・腰曲輪に掛かる橋
・模擬櫓〜青天をあおげ〜

2021年02月23日 拓之助中務少輔
白倉城



麻場城は、甘楽町の舌状台地上に立地した丘城です。この城は、この地を収めたの居城であったと言われ、城近く東方にある仁井屋城と合わせて白倉城と呼ばれていました。ですがこの城は秀吉の小田原出兵の際に前田氏らに攻められ白倉氏の長年の歴史に幕をとじます。その後廃城になる。

城跡は平成元~3年に調査が実施され、現在は城跡公園になっている。  

-ギャラリー-
・土橋より浅間山を望む。
・写真のように2の郭は本郭よりも高くなる穴城の様な構造。(奥,本郭・手前,2の郭)
・本郭より2の郭を望む。
・本郭と2の郭の堀。随分高さがあることが分かる。
・2の郭の土塁。虎口跡もありそこに門があった事が推測される。
・本郭と腰曲輪に掛かる橋。発掘調査により判明された。
・2の郭の土塁上、まるで50メール走のトラックのよう。
・2の郭土塁の虎口跡。

2020年08月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
白倉城



群馬県の甘楽郡にある麻場城♪甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城です♪大手側からの城域を考えるとかなり縦長で広い☆主要部残し現在は住宅地、畑が二の丸、三の丸と名残を残します♪横堀の深さ鋭さは一級品です♪

小幡氏の一族で関東管領・山内上杉氏の重臣であった白倉氏の居城となります☆別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の城で東側500mにある仁井屋城とあわせて白倉城とも呼ばれています♪白倉宗任は武田信玄に臣従☆武田氏滅亡後は滝川一益、北条氏直に下ります♪「小田原征伐」の際に白倉重家は小田原城に籠城し重家の弟である重高が守るも前田利家・上杉景勝ら北国勢に攻め落とされ、白倉氏は滅亡しちゃいます♪白倉家350年間続いたこの地での生き様は今は歴史として残ります♪

写真は主郭を取り巻く横堀♪と土橋♪土塁高〜い♪堀超深〜い♪実戦で直ぐにでも使えそうなキレを未だに持ってます♪土って凄い♪

白倉城の周辺スポット情報

 登城路(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 仁井屋城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

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