一郷山城(いちごうさんじょう)

一郷山城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県高崎市吉井町多比良塩坂4457

旧国名

上野国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

独立式望楼型[3重3階/1983年築/RC造模擬]

築城主

上杉憲実

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

安部之友

廃城年

遺構

曲輪、石積、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

模擬天守(牛伏山展望台)、説明板

周辺の城

平井城(群馬県藤岡市)[3.7km]
白倉城(群馬県甘楽郡)[5.2km]
奥平城(群馬県高崎市)[6.6km]
小幡陣屋(群馬県甘楽郡)[6.8km]
山名城(群馬県高崎市)[7.5km]
藤岡城(群馬県藤岡市)[8.1km]
国峰城(群馬県甘楽郡)[8.3km]
真下城(群馬県藤岡市)[8.8km]
富岡城(群馬県富岡市)[9.6km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[9.7km]

一郷山城の口コミ情報

2026年03月14日 マグロ常陸介祐平
多胡館[一郷山城  周辺城郭]



木曾義仲関連のお城です。多胡館は義仲の父義賢の館で、永治・康治年間(1141~1144年)頃にこの地に下り、久寿2年(1155年)に武蔵国の大倉館に移るまで居住したとされています。治承8年(1180年)義仲は挙兵すると父の旧領である多胡の地に向かっています。平成11年の発掘調査では、堀の下層部分から天仁元年(1108年)の浅間山噴火の軽石層が確認され、噴火以前にこの館が存在したことが確かめられているので、義賢は既成の館に居住したのかもしれません。館はその後多胡氏の居館となっており、上杉謙信の関東幕注文にも惣社衆としてその名が見られることから戦国期まで存続しています。家紋は小串氏と同じ二引両紋を使用していることから丹党の出でしょうか。

館の前には巨大な説明板が設置され、義仲・義賢に関する内容が解説されています(多胡氏には触れていない)。説明板の背後には、虎口が開口する土塁が見られますが、曲輪内が民家となっている為、じっくりと探索することが出来ませんでした(写真1~4枚目)。多胡館から北へ伸びる舌状台地の先端は多胡城と名付けられていますが、詳細は不明です(写真5,6枚目,石積みは畑の土留め)。おそらく多胡館に付属する砦と思われますが、現在は畑となり遺構らしきは見られませんでした。

2026年03月13日 マグロ常陸介祐平
吉井藩陣屋[一郷山城  周辺城郭]



五摂家鷹司氏の庶流で、紀州徳川家の縁戚である鷹司松平氏の陣屋です。当初は矢田に陣屋を置き矢田藩を称していましたが、宝暦2年(1752年)に現在地に移転しています。一説によると、矢田から吉井に移ったあとも矢田陣屋と称し、吉井陣屋と改めたのは幕末の元治元年(1864年)とされているようです。吉井藩(1万石)は江戸定府の大名の為、幕末の資料では家臣104人のうち吉井詰は僅か16人だったようです。

吉井には鷹司松平氏以前にも家康の関東入国時の天正18年に菅沼定利が2万石、天和2年に大番頭の堀田正休が1万石で入っていますが、何処に陣屋があったのかは不明のようです。堀田氏に関しては大番頭や奏者番を歴任しているので、ほとんど吉井に居ることは無かったと思われます。また、永禄6年の武田信玄による上野侵攻では近隣のお城とともに吉井の名が見られることから、戦国期には吉井の地にお城があった可能性があるようです。

城域は市街地化されていますが、土塁とされる土壇状のものや、幕末期に江戸から避難してきた藩士の為の長屋が現存しています。土塁は一見して土塁に見えませんが、長屋は元の位置に建ち、現役の民家として使用されています。また、表門はすぐ近くの郷土資料館の前に移築されています。

2026年03月12日 マグロ常陸介祐平
矢田代官所[一郷山城  周辺城郭]



矢田陣屋の南に隣接する、鷹司松平氏の代官所とされ、江戸期に遡る門が現存し、主屋には式台も見られます。また、未確認ですが北側には空堀を伴う土塁が残っているようです。街道からの入り口は枡形状の折れた虎口となっており、門の前付近には道沿いには、土塁状の土盛りも見られます。枡形や土塁は、お隣の矢田陣屋の大手口としてのものかもしれません。

矢田陣屋が藩庁の時代に代官所として機能していたとは思えず、吉井陣屋に移動後の1万石の定府大名が、わずか1km強の場所に代官所を置いているのも不自然な感じがします。木部陣屋時代の代官所としても、今日まで江戸期の建造物が見られるのは不思議な感じがします。

代官所の主は、お隣矢田陣屋の前身矢田城城主小林氏とされています。藤岡市の秩父氏流の小林氏の一族で、付近の長峰城主小林氏の子孫のようです。上杉氏、武田氏等に従い家康の関東入国時に吉井に2万石で入部した菅沼氏に仕官し、菅沼氏の移封には従わず、松平信平が7000石で付近を知行すると郡奉行になったとされています(群馬県、歴史・観光・見所のサイト参照)。現在も小林氏がお住いで、たまたま門から出てきた年配の女性は管理が大変と仰っていました。また、苗字を確認していませんが、矢田陣屋にお住まいの方は親戚とのことでした。

2026年03月11日 マグロ常陸介祐平
矢田陣屋[一郷山城  周辺城郭]



矢田陣屋は、五摂家の鷹司家の流れを汲む鷹司松平氏の初期の陣屋となります。初代信平は、関白鷹司信房の4男で3代将軍家光の正室孝子の弟にあたります。慶安3年(1650年)信平は姉を頼り江戸に出て家光に仕えます(1000俵)。承応2年(1653年)紀州藩主頼宣の娘を娶り、承応3年には紀州徳川家の縁者として松平の称号を許され、従四位下左近衛少将に任官し(4000俵)、延宝2年(1674年)には上野・上総において7000石を与えられ木部(高崎市)に陣屋を構え、延宝7年には矢田に陣屋を移しています。おそらくこの時に小林氏の戦国期の城郭である矢田城を陣屋として使用したと思われます。一旦木部に陣屋を戻すも3年で矢田に戻り、信平の死後に子の信正が当主となるも僅か2年で没し、信清の代になると宝永6年(1709年)に3000石を加増されて1万石となり矢田藩を立藩、矢田陣屋は藩庁となっています。宝暦3年(1753年)、信友の代に吉井に陣屋を移し藩庁としての役目を終えています。鷹司松平氏は、寄合の旗本(交代寄合ではない)から江戸定府大名となっている為、陣屋に居住したことはないと思われます。

陣屋は西側の街道沿いにあり、街道に沿って空堀と土塁がL字形に残り虎口も見られます。近世の城郭ですが、小林氏の矢田城(居館的ですが)をそのまま使用したのではないかと感じさせる土のお城です。陣屋の東側は断崖となっており、北東部には年代不明な宝篋印塔も見られます。また、お隣には小林氏の矢田代官所があります。

2026年03月10日 マグロ常陸介祐平
一郷山城



多比良氏の多比良(新堀)城の説明板には、多比良城と一郷山城は別城一郭をなしていたと書かれていますが、直線で約3km程離れています。永禄6年(1563円)の武田氏による攻撃では、多比良の家臣安倍之友が大石を落として防戦するも火がでて山を焼き、城も炎に包まれ安倍ら城兵はことごとく討死したとされています。

お城は万葉集に多胡嶺と詠まれた標高491mの牛伏山の山頂の東側に築かれ、40m×25mの土塁を巡らした本郭を中心に6ヶ所の堀切により西に2郭、東は段下がりに数郭を構えた縄張りだったようです。平成2年の公園化で天守閣風の展望台や駐車場を建設したため、遺構はほとんど消滅しています。残る遺構は、東側の段郭が数段残るのみとなっています。駐車場に設置された説明板には、のろし台としての任務が主なものであったろうとしていますが、日本城郭大系の縄張り図を見る限りでは、詰城としても機能していたように思われます。

天守閣風の展望台は内部が展示室となっており、旧吉井町の年表や街のジオラマ、吉井陣屋の古地図、風景や鳥の写真などが見られ、展望も良好でした。城の西側には琴平神社が鎮座し、その下には子供を抱いた観音様を祀る牛伏洞窟があります。

八束山に進む林道は通行止めとなっており、比較的近くにある八束城の南側入口には行くことができませんでした(Googleマップでは車で7分となっている)。ご注意ください。

2025年03月07日 ᴿᴱᴰ副将軍
天引城[一郷山城  周辺城郭]



岩盤堀切が見事な超マイナー城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代や築城主等の詳細不詳。
山内上杉氏に仕えた甘尾若狭守の居城と伝わりますが、近隣の八束城とともに多胡羊太夫(藤原宗勝)の居城との伝承もあります。
甘尾氏は小幡氏の庶流とされ、箕輪城の長野業正に従っていましたが、1561年に武田信玄が西上州へ侵攻し、箕輪城が落城すると甘尾氏も武田氏に降ったとされます。
その後、天引城は武田氏の補給拠点として機能した様です。

見所
標高448mの朝日岳北峰に築かれています。
北峰山頂に主郭を置き、周囲に帯郭を敷設。
南尾根は岩盤堀切で遮断され、東尾根も横堀状の堀切で遮断されています。
北西尾根には段曲輪が連なり端部は堀切で遮断されています。
古代から使われている天引石という良質な砂岩の石切場でもあり、石切場遺構としても面白いです。

2024年07月21日 武蔵守hino
一郷山城



牛伏山山頂付近にある展望台模擬天守、山頂まで車で行けますが対向車があるとすれ違えないような山道です、駐車場は天守前と山道の中腹にもあります。登山道もあります。

2023年06月09日 乃音佐渡守
一郷山城



牛伏山の頂上に🏯があります 展望台になっています あじさいの路 色づきはじめとてもキレイです 別名 吉井城と書かれていました

2023年06月03日 高堀中納言尚政
天久沢陣城[一郷山城  周辺城郭]

武田信玄の天久沢陣城と天久沢馬頭観世音

永禄六年正月(1563年)、武田信玄は大軍を率いて西上州を席巻すべく、一郷山城、新堀城を落として、この地に陣城を構えた。

滞在中、信玄の愛馬天久(あまく)が死んだので、陣城内に愛馬の亡骸を葬り馬頭観世音菩薩を祀った。
堂宇を建立して、その冥福を祈った。
時に、永禄六年三月十八日であった。

以来三月十八日が天久沢観音様の縁日として草競馬や色々な催し物があり町内は無論のこと町外近郷からの参詣者が押しかけ大変な賑わいをみせた。
戦後馬の飼育の農家が無くなったために草競馬もしなくなった。

説明板より。

2023年05月28日 ☆柴犬愛☆
一郷山城

牛伏山展望台が現地ですが見渡しも良く来た甲斐がありました。車で上までも上がれますし、下の自然遊歩道からも気持ち良く登れます。

2023年02月25日 武蔵守ほえほえ97
一郷山城



擬似天守で小さかったが、展望は素晴らしいです。

2022年12月07日 大宰大弐きんさん
一郷山城



車で展望台まで行けます。ただ道幅は狭く急勾配で運転に自信が無い方や、路面凍結する時は、おすすめできません。ハイキングコースのようで登山好きにはいいと思います。展望台からの展望は絶景です。

2022年11月05日 石垣参議
一郷山城



車で頂上まで登る事ができます。遊歩道もあるので登山も楽しめるようです。車で行く場合ナビでは出てこないので「牛伏山頂上」を目指すと良いです。道幅は非常に狭い箇所も多いので、対向車には気をつけて下さい。途中に展望駐車場もありました。城郭様の建物の上からの展望はすごく良いので、おすすめの展望所です。

2022年04月30日 oqb参議
一郷山城

小さいながら手掘りの洞窟、および自由に撞ける鐘があり、意外に楽しめました

2021年05月04日 みのちゃんぺ弾正大弼
一郷山城



模擬天守の最上階からの眺めは最高で、上毛三山以外にも浅間山や遠くは筑波山まで見えました。

2020年10月31日 JIN弾正大弼
一郷山城

少し道は狭いですが、模擬天守の真下まで車で行けます。見晴らし良く、上毛の平野が見渡せます。狼煙を上げたくなりますよ。

2019年11月26日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
一郷山城



牛伏山の頂きに有ります、模擬天守が有り、展望台になっていて、そこからの眺め素敵ですよ!
山頂までのルートは2ルート有ります、某はカーナビの案内のまま湯端温泉からのルートで車を進めましたが、道が狭くドキドキでした、帰りに通った牛伏ドリームセンターの方へ抜ける道の方が安心して通れましたので、行きも帰りもこのルートをおすすめしますが、ゆっくり安全運転で行きましょう!

2016年05月28日 宮内大輔 rstones
一郷山城

高速バスの中から見えた。すごい場所に建ってますねえ(^_^;)

2010年12月24日 足軽越中守一歩
一郷山城

ここの景色は、絶景です。(群馬一望?)岐阜城と変わらず!?双眼鏡を持って行くべきです。なお表記は天守ではなく展望台になってます。車で山頂まで行けます。が、ゲートの開場が朝9時から16時までと思って下さい。道路からの入り口は二ヵ所ですが分かりにくいかも?曲がっても案内がないのでカンを頼りにとりあえず行って下さい。牛伏山頂3.6㎞を曲がって

2010年08月22日 天神
一郷山城

山頂の櫓が遠くから見えますが実際にはコンクリートの展望台なので遠くから見るのが吉かも?県道41から牛伏山自然公園の看板に従えば櫓まで車で行けますよ〜夜は少し下の第二駐車場までしか行けないので注意です!あと平成22年5月28日に熊の目撃情報があったそうです!

2010年07月20日 のぼちゃん陸奥守
一郷山城

吉井町の県道41から山の頂上に櫓を確認しました。(岐阜城みたい)残念ながら道がわからず登頂できませんでした。(徒歩のみか)誰か行き方わかれば情報入れてください。

一郷山城の周辺スポット情報

 天引城(周辺城郭)

 八束城(周辺城郭)

 天久沢陣城(周辺城郭)

 吉井藩陣屋(周辺城郭)

 矢田代官所(周辺城郭)

 矢田陣屋(周辺城郭)

 多胡城(周辺城郭)

 多胡館(周辺城郭)

 瀬戸城(周辺城郭)

 羊大夫の舟石(寺社・史跡)

 仁叟寺(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 模擬天守(関連施設)

 帯曲輪郡(その他)

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