藤岡城(ふじおかじょう)

藤岡城の基本情報

通称・別名

芦田城

所在地

群馬県藤岡市藤岡城屋敷1848

旧国名

上野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

依田康勝

築城年

天正18年(1590)

主な改修者

主な城主

依田(芦田)氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

平井城(群馬県藤岡市)[4.7km]
山名城(群馬県高崎市)[5.8km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[6.4km]
金窪城(埼玉県児玉郡)[6.4km]
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島名城(群馬県高崎市)[10.0km]
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本庄城(埼玉県本庄市)[10.6km]
奥平城(群馬県高崎市)[10.6km]

藤岡城の口コミ情報

2026年03月13日 ᴿᴱᴰ副将軍
藤岡城



徳川家康の家臣である依田康勝の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

1590年に依田康勝により築城。
依田康勝は武田氏重臣の依田信蕃の次男であり、武田氏滅亡後は徳川氏の人質となっていました。
1586年には徳川氏家臣に取り立てられ、徳川家康の前で元服。さらに家康から「康」の偏諱を受け、松平姓を名乗ることも許されました。
天正壬午の乱で活躍をした父の依田信蕃は北条方の岩尾城に攻め寄せるも討死しており、家督を継いだ子息への高待遇はいかに徳川家康は依田信蕃を評価していたかが分かります。
1590年に上野国石倉城攻めにおいて兄の依田康国が討死すると家督を承継。徳川家康の関東入封に従い、藤岡に所領を与えられ築いたのが藤岡城です。
しかし、1600年に依田康勝は囲碁をしていた際に小栗三郎と口論となり殺害してしまったため改易となり高野山の蓮華定院に蟄居。その際に藤岡城は廃城。
その後、依田康勝は母方の加藤性を名乗り加藤康寛と改名。越前国福井で結城秀康に仕え、1614年の大坂の陣においては、越前大野城代として留守の防備を任されています。

見所
現在は藤岡市立第一小学校の敷地となり、遺構の大半は消失。
元は約150m四方の方形居館であったと考えられており、小学校の北側に大規模な土塁が残っています。
北東と西北角に櫓台が築かれており、北と南に虎口が開口していたとされ、南側が大手であった様です。

2026年01月26日 マグロ常陸介祐平
大神宮山城[藤岡城  周辺城郭]



日本城郭大系では、「大神宮山の砦」の名称で「200m‪✕‬100mの丘城。堀切・腰郭がある。」とのみ書かれています。城主や来歴など伝わらないようですが、西に5km程にある平井城の支城と考えられているようです。

庚申山の北端に位置しています(南端にも詳細不明の常岡城があります)。鳥居をくぐり北側の参道から登ると途中帯郭があり(写真1,3枚目)、上部の郭には神明社が鎮座しています(写真2枚目)。神社は藤岡城主芦田氏の創建のようで、参道も藤岡城側からのものとなりますが、何故か社殿は反対側を向いています。神社の正面に鳥居はありません(写真4枚目)。

神社は単郭の削平された郭の中ですが、遺構は見られません。正面は薮となっている為、北西側の切岸沿いを進むと縁部に薄い土塁が現れ(写真5枚目)、折れて台地上を仕切る堀切を伴うやや高い土塁となります(写真6,7枚目)。土塁近くには、参道がなく薮を抜けるしかない摩利支天堂があります(写真8枚目)。

大変シンプルなお城でした。

2024年05月05日 DAI.弾正忠
藤岡城



残存する遺構は土塁のみですが、土塁の高さは周囲の2階建て住宅を超える高さです。自然丘陵を利用したものでなく、人工的に築造されたもののようで、人工築造の土塁でこれだけの高さのものは、他の城趾でもなかなか存在しないと思います。現地に行って、見て登って体感するのをオススメいたします。

2022年11月13日 マグロ常陸介祐平
中大塚城[藤岡城  周辺城郭]



鎌倉時代末期から地頭職の小林氏の居館です。単郭で周囲を土塁と空堀が囲んでおり、虎口には古い門が見られます。郭内は個人宅の為、立ち入ることは出来ませんが、外周からでも中世館跡の雰囲気を十分に感じられる史跡です。

2022年11月13日 マグロ常陸介祐平
藤岡城



藤岡第一小学校の北側にかなりの高さの土塁が見られます。大変な土木量で築城されたと実感できます。公園になっていますが城に関する説明はありません。城主の芦田康真(依田(松平)康勝)は、改易後に加藤康寛と改名して福井藩士になったようですが、市内にある芦田氏の菩提寺の光徳寺には、江戸時代の芦田氏関連の墓があったりします。謎が多い芦田氏です。

2022年05月01日 くるみ丸
藤岡城



城主の子孫が、学校建設用地として寄付された貢献を称え、銅像が建てられていました城址を一周できます

2016年03月27日 永眠武蔵守釋 葱進
藤岡城

芦田(依田)氏によって築城されたことから芦田城とも呼ばれており、現地にあるプレートには「芦田城址」と書かれています。
跡地は現在藤岡第一小学校があり、学校を取り囲むように北から西にかけて土塁が遺されています。
土塁は遊歩道化など手が加えられていますが、5mは超えるであろう高さがありかなり見応えあります。

城自体はわずか10年で廃城となったものの戦後まもなくまで個人により管理されており、学校建設の際に城跡を寄贈され現在に至ります。
城そのものの説明はないが、寄贈に至った経緯は土塁上にある寄贈者(井元たい氏)の銅像の台座に記されています。

土塁に沿って歩くといつの間にか校庭に出ます。今のご時世に珍しく開放的な学校だなという印象を受けました。

藤岡城の周辺スポット情報

 中大塚城(周辺城郭)

 下大塚城(周辺城郭)

 上大塚城(周辺城郭)

 落合城(周辺城郭)

 大神宮山城(周辺城郭)

 土師神社(寺社・史跡)

 諏訪神社(寺社・史跡)

 鎌倉街道上ノ道・葵八幡(寺社・史跡)

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