金窪城(かなくぼじょう)
金窪城の基本情報
通称・別名
- 金久保城
所在地
- 埼玉県児玉郡上里町金久保1626-4他
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 加治家季
築城年
- 治承年間(1177〜1181)
主な改修者
- -
主な城主
- 加治氏、畑時能(新田氏家臣)、斎藤氏、川窪氏
廃城年
- 元禄11年(1698)
遺構
- 土塁
指定文化財
- 県旧跡(伝金窪館跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
那波城(群馬県伊勢崎市)[4.8km]
本庄城(埼玉県本庄市)[5.5km]
藤岡城(群馬県藤岡市)[6.4km]
今村城(群馬県伊勢崎市)[6.6km]
伊勢崎陣屋(群馬県伊勢崎市)[7.6km]
雉岡城(埼玉県本庄市)[8.4km]
倉賀野城(群馬県高崎市)[8.8km]
阿内城(群馬県前橋市)[9.6km]
山名城(群馬県高崎市)[9.9km]
島名城(群馬県高崎市)[10.0km]
金窪城の口コミ情報
2022年08月01日 マグロ常陸介祐平
金窪南城[金窪城 周辺城郭]
城址は陽雲寺となっています。本堂の東側に土塁がよく残っています。江戸時代初期には川窪信俊の陣屋となっており、母親の信玄夫人の墓があります。また、新田義貞の家臣畑時能の供養塔も寺の入口にあります。
2022年08月01日 マグロ常陸介祐平
金窪城
立派な石碑と案内板のうらに土塁が確認できます。周囲に目立った遺構は見当たりませんでした。
2022年04月18日 ️_
川井城[金窪城 周辺城郭]
約20前にネットで検索しても場所が特定できず、玉村町で聞き込みを重ねてたどり着いた思い出深い城です😌
RPGのイベントみたいで楽しかったのも確かですが、行きたい人がダイレクトに行けるように自身のブログ(現在は閉鎖🥺)記事に当時最先端の機能で地図🗾を貼り付けておいたのも懐かしい思い出😚
そんな川井城を城めぐでもリア攻めマップ登録&口コミ一番槍をつけることができ、感慨深いものがあります😌
川井城は烏川北岸にあった平城で、本能寺の変により派生した神流川の戦い⚔により落城しています🔥
八千矛神社⛩がある場所が楼台と云われています🤔
写真を撮っておらず、縄張り図も確認していないのでなんとも言えませんが、周辺道路にクランクしている箇所があり、往時の縄張りに沿っているような印象を受けました🙄
駐車スペースはありませんが、交通量は少なく、後続車が来ても神社周辺を周回する道路がありますし、遺構は楼台だけですので、心✋配✋御✋無✋用✋です😅
〜以下、現地解説板より〜
川井城跡 八千矛神社
玉村町大字川井字守理忍巡1192
鳥川対岸の金窪城主・斎藤定盛の支城で、第の石見守基盛が在城し、北条氏の磨下であったが、天正13年(1582年)の神流川合戦で滝川一益に攻め落とされた。
堀の内の小字名が残る。
箕輪城麾下の時重の四代目・清水内記邦正が定盛の長女を妻としての地を譲り受けた。
子孫代々城の楼台跡に摩利支天(陽炎の神格化した武神)を祀り、慶応4年(1868年)に神仏判然令で八千矛神社(祭神・大巳貴命)となったが、一般には摩利支天様として信仰されている。
平成元年11月
玉村町教育委員会
2021年06月13日 つか征夷大将軍ぽ
神流川古戦場跡の碑[金窪城 碑・説明板]
滝川一益と北条氏の戦い神流川合戦!橋の建設によりGoogleマップ等の場所から線路沿いに移設されています。仮設らしいので橋が完成したらまた移設されると思います。案内板の滝川が途中瀧川になってる。
2014年11月03日 牢屋見廻り同心マダオ
金窪城
金窪城南にある陽雲寺には大畠氏の居城、金窪南城の土塁や堀跡が見られます。また川窪信俊養母の陽雲院殿の墓や畑時能の供養祠などがあります。
2014年05月08日 土塁ルイ
金窪城
車は金窪城址公園北を流れる川をはさんだ黛神社の入口に止められます。
戦国期関東最大の野戦といわれる「神流川の戦い」の主戦場ですが遺構は土塁らしきものがある程度です。群馬県側には「神流川古戦場碑」や滝川一益の本陣・軍配山古墳、首塚や胴塚などのスポットがあります。
軍配山から眺める景色は一面の田園で、おそらく滝川一益が見た風景とそれほど変わっていないだろうと思いました。