川井城

川井城([金窪城  周辺城郭])

金窪城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「川井城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

川井城の口コミ情報

2022年04月18日 ️_


約20前にネットで検索しても場所が特定できず、玉村町で聞き込みを重ねてたどり着いた思い出深い城です😌
RPGのイベントみたいで楽しかったのも確かですが、行きたい人がダイレクトに行けるように自身のブログ(現在は閉鎖🥺)記事に当時最先端の機能で地図🗾を貼り付けておいたのも懐かしい思い出😚
そんな川井城を城めぐでもリア攻めマップ登録&口コミ一番槍をつけることができ、感慨深いものがあります😌

川井城は烏川北岸にあった平城で、本能寺の変により派生した神流川の戦い⚔により落城しています🔥
八千矛神社⛩がある場所が楼台と云われています🤔
写真を撮っておらず、縄張り図も確認していないのでなんとも言えませんが、周辺道路にクランクしている箇所があり、往時の縄張りに沿っているような印象を受けました🙄
駐車スペースはありませんが、交通量は少なく、後続車が来ても神社周辺を周回する道路がありますし、遺構は楼台だけですので、心✋配✋御✋無✋用✋です😅

〜以下、現地解説板より〜

川井城跡 八千矛神社
玉村町大字川井字守理忍巡1192

鳥川対岸の金窪城主・斎藤定盛の支城で、第の石見守基盛が在城し、北条氏の磨下であったが、天正13年(1582年)の神流川合戦で滝川一益に攻め落とされた。
堀の内の小字名が残る。
箕輪城麾下の時重の四代目・清水内記邦正が定盛の長女を妻としての地を譲り受けた。
子孫代々城の楼台跡に摩利支天(陽炎の神格化した武神)を祀り、慶応4年(1868年)に神仏判然令で八千矛神社(祭神・大巳貴命)となったが、一般には摩利支天様として信仰されている。

平成元年11月
玉村町教育委員会

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore