真下城(ましもじょう)
真下城の基本情報
通称・別名
- 下山城、譲原城
所在地
- 群馬県藤岡市譲原橋下168他
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 真下吉行
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 真下氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
平井城(群馬県藤岡市)[7.4km]
天神山城(埼玉県秩父郡)[7.7km]
一郷山城(群馬県高崎市)[8.8km]
雉岡城(埼玉県本庄市)[8.9km]
藤岡城(群馬県藤岡市)[10.3km]
千馬城(埼玉県秩父郡)[11.6km]
花園城(埼玉県大里郡)[12.3km]
秩父氏館(埼玉県秩父市)[12.4km]
白倉城(群馬県甘楽郡)[13.8km]
山名城(群馬県高崎市)[14.1km]
真下城の口コミ情報
2024年09月08日 昌幸近江守晩秋リア旅
諸松城[真下城 周辺城郭]
真下城北を流れる三波川の上流、この川と東西を沢に挟まれた丘陵に諸松城はあります。縄張りは後ろ堅固の城といえ、大手があったと予想される南側には段郭を配し、主郭は石積みで囲むという魅せる城の意識を怠らず、その背後は二重の堀切を入れるという念の入れようです。
歴史の分からない城が多いこの地域の城ですが、諸松城は時代考証がめちゃくちゃながらもいくつか伝承が残っているようです。最も真実味のある伝承は山内上杉家の家臣だった本間佐渡守が城主だったということでしょうか。
そして諸松城はモロ私有地になります。車を停めたゴミ集積所前も。途中の倉庫にユンボがあり、主郭下までそのユンボで登って行った跡が…。破壊されてしまうのでしょうか?そうならない事を願います。
【写真の説明】
①郭2-郭3間の堀切。高低差が半端ない
②郭2はうっすら土塁が残る
③取り巻くように登った先には主郭虎口
④主郭の縁に埋め込まれた石積み
⑤主郭。櫓台ともとれる高土塁は健在
⑥高土塁背後は二重堀切。うち1条。主郭側(右)には石積みが残る
⑦二重堀切のもう1条
⑧二重堀切の間の小さな郭にも石積みが施される
2024年08月31日 昌幸近江守晩秋リア旅
尾之窪城[真下城 周辺城郭]
先人様のブログで登城路が紹介されている尾之窪城ですが、ソーラーパネルの設置により付近の景色が様変わりしています。最新の登城路をご案内します。
まずグーグルマップで「太田農園」を検索。北側の道で路肩が広くなっている所があり駐車できます。ここから約1キロ歩くことになります。
【写真①】作業用林道兼ハイキングコースを登る。
【写真②】分岐を左へ。ハイキングコースの案内看板あり。
【写真③】更に分岐を左へ。右は別の山に建てられたソーラーパネルの門があります。
【写真④】峠を登り、ソーラーパネルの施設が見えたら左へ。
【写真⑤】木が2本立っているあたりの未舗装道に入っていく。道の右側がソーラーパネル工事で変化しています。
【写真⑥】こんな景色を横目に見ながら
【写真⑦】この風景が出てきて、(山が目安。山は変わらないのでと城友さんが言ってました)
【写真⑧】左に緑のテープがついた枯株があったら突入。削平地が見えてきます!削平地を抜け尾根を下っていくと城跡です。
2024年08月29日 昌幸近江守晩秋リア旅
尾之窪城[真下城 周辺城郭]
群馬県藤岡市にある尾之窪城。
主郭の南北に2条ずつ堀切を設けたシンプルな縄張りですが、岩石が多いこの地域の特性か、堀切が崩れず明瞭に残っています。城の西側は急峻、多少緩やかになっている東側は腰郭が見られました。
地域でも超マイナーな城という括りに入り、全てが分からない尾之窪城。では築かれた意図は?自分の妄想の働かせどころになりますが(笑)
この地域で名の通った豪族の城は真下氏の真下城でしょう。真下城との位置関係は三波(さんば)川を挟んだ北側になります。尾之窪城の東には神流(かんな)川が流れます。しかしいずれの川からもかなり奥に入った位置です。そして等高線で城の位置を見ると真下城が約300m、尾之窪城が約350mでした。真下城傘下の城であれば変事を伝えることができ、逆に真下城と敵対する城であれば監視できる「見張りの城」ではないかと思います。(ここまで読んでくださった方、私の勝手な推論にお付き合いいただきありがとうございました)
【写真の説明】
①北側堀切2
②北側堀切1
③主郭土塁
④主郭腰郭
⑤南側堀切1
⑥石積みが残る
⑦南側堀切2
⑧主郭南側から。石積みの上は櫓が建っていたかも。
2023年03月15日 RED副将軍
真下城
小規模なれど技巧的なギミックが詰まった真下氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
天文年間(1532年~1554年)に真下吉行によって築かれたと云われます。真下氏は、武蔵七党のひとつである児玉党の一族と云われ、関東管領である山内上杉氏の家臣でした。1551年、北条氏が上杉憲政の平井城に侵攻。その際に真下城も攻められ落城。その後、当主の真下吉清は帰農し真下城は廃城となりました。
見所
神流川と支流の三波川に挟まれ、両河川合流地点の西側山陵に築かれています。東西に伸びる尾根上に築かれた連郭式。四つの郭が堀切と土塁で区切られ、周囲に帯郭が配されています。特に主郭の両サイドは深く鋭い堀切で遮断され一番の見所。端部は竪堀となり落ちています。三郭は横堀が巡り東側に大手の虎口が開口。二郭西側の搦手は土橋が架かる堀切です。小規模なれど技巧的で見所が多い山城です。
行き方は、いろいろあるみたいですが、比高が少ない西側から路肩に駐車し、ヤブを掻き分け直登しました。比高は100mくらいでしょうか、尾根筋にさえ出れば楽になります。大手で正規のルートは東側ですが駐車スペースがありません。
2021年10月23日 Bee大宰少弐moto
真下城
真下城 遠方写真① 写真②と③枚目が3ルートの内1番分かり易い登城ルートの北向稲荷からのアタックルートになります。私は近くの小平河川公園から徒歩で向かいましたが、④枚目の貯水槽までは車で行く事が出来ます。⑤枚目の写真が登城口になり、少しわかりにくいですが、竹藪を抜けると、山城の人工物が観れると、城の案内看板も見えます。
山城としてはあまり整備されていないので、登山靴とうの最低限の装備はあったほうが良いと思います。あまり人が入って無いので当時の山城の雰囲気が残っているので一見の価値はあると思います。西のくるわまで周り約1時間位の時間で殆ど見れます。
2019年10月27日 仲之丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
真下城
登城口は西と真ん中と東の3ルート存在します。真ん中の国道462の案内板から脇道入っていく道は途中で踏み跡がなくなり直登を余儀なくされ急そうなので、東の北向稲荷大明神方向の鉄塔付近から尾根沿いを登りました。こちらも始めは登り口見えない藪(写真左)と荒れた竹藪(写真真ん中)ですが抜けるとさほど急坂でなく10~20分ほどで郭が見えてきます。
遺構は尾根に沿って4つほどの郭とその郭下に2つほどの腰郭。尾根上の城なので堀切、竪堀、はもちろん、おすすめの見所はL字になってる土塁から土橋のようになってる(写真3枚目)三郭周辺の遺構です。
規模は小さいですが興味ある方は藪をかき分け登ってみたらと思います。鹿(もっと怖いのもいるかも)、4頭ほど見かけましたのでその辺りは注意が必要です。
自分が行った登城路は鉄塔ちかくの登城口まで車入れますが台風の影響か枝とか散らかってます、大きい車(自分は軽ですが気迫の切り返しで出ました。)は入ると回れません。
トイレは済ませておいた方が良いです。
2019年05月19日 大納言南行法師
真下城
鬼石総合グラウンドの駐車場に車を停めアタックしました。国道沿いに真下城650mと矢印案内あり。それに従って進みましたが民家の裏に神社あり。それから先に進む道が見当たりません。人が来ていないためか道が消滅している感じです。やむなく撤退しました。
2018年04月22日 だび
真下城
何ヵ所か登れそうな獣道をアタックしましたがほぼ全ての道が倒木で遮られており道も非常に歩きにくく大変
ただ山はそれほど急峻じゃないのでガッツがあればどこからでもたどり着けそう
道なき道を抜けてヘトヘトになった頃に不意に現れる巨大な堀切はなかなか感動もの
郭や曲輪は当時のものかはわからないが明らかに人工による平坦地もありまさに隠れ砦といった山城だった