真下城(ましもじょう)
真下城の基本情報
通称・別名
- 下山城、譲原城
所在地
- 群馬県藤岡市譲原橋下168他
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 真下吉行
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 真下氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
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-
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真下城の口コミ情報
2023年03月15日 RED副将軍
真下城
小規模なれど技巧的なギミックが詰まった真下氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
天文年間(1532年~1554年)に真下吉行によって築かれたと云われます。真下氏は、武蔵七党のひとつである児玉党の一族と云われ、関東管領である山内上杉氏の家臣でした。1551年、北条氏が上杉憲政の平井城に侵攻。その際に真下城も攻められ落城。その後、当主の真下吉清は帰農し真下城は廃城となりました。
見所
神流川と支流の三波川に挟まれ、両河川合流地点の西側山陵に築かれています。東西に伸びる尾根上に築かれた連郭式。四つの郭が堀切と土塁で区切られ、周囲に帯郭が配されています。特に主郭の両サイドは深く鋭い堀切で遮断され一番の見所。端部は竪堀となり落ちています。三郭は横堀が巡り東側に大手の虎口が開口。二郭西側の搦手は土橋が架かる堀切です。小規模なれど技巧的で見所が多い山城です。
行き方は、いろいろあるみたいですが、比高が少ない西側から路肩に駐車し、ヤブを掻き分け直登しました。比高は100mくらいでしょうか、尾根筋にさえ出れば楽になります。大手で正規のルートは東側ですが駐車スペースがありません。
2021年10月23日 Bee治部大輔moto
真下城
真下城 遠方写真① 写真②と③枚目が3ルートの内1番分かり易い登城ルートの北向稲荷からのアタックルートになります。私は近くの小平河川公園から徒歩で向かいましたが、④枚目の貯水槽までは車で行く事が出来ます。⑤枚目の写真が登城口になり、少しわかりにくいですが、竹藪を抜けると、山城の人工物が観れると、城の案内看板も見えます。
山城としてはあまり整備されていないので、登山靴とうの最低限の装備はあったほうが良いと思います。あまり人が入って無いので当時の山城の雰囲気が残っているので一見の価値はあると思います。西のくるわまで周り約1時間位の時間で殆ど見れます。
2019年10月27日 仲乃丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
真下城
登城口は西と真ん中と東の3ルート存在します。真ん中の国道462の案内板から脇道入っていく道は途中で踏み跡がなくなり直登を余儀なくされ急そうなので、東の北向稲荷大明神方向の鉄塔付近から尾根沿いを登りました。こちらも始めは登り口見えない藪(写真左)と荒れた竹藪(写真真ん中)ですが抜けるとさほど急坂でなく10~20分ほどで郭が見えてきます。
遺構は尾根に沿って4つほどの郭とその郭下に2つほどの腰郭。尾根上の城なので堀切、竪堀、はもちろん、おすすめの見所はL字になってる土塁から土橋のようになってる(写真3枚目)三郭周辺の遺構です。
規模は小さいですが興味ある方は藪をかき分け登ってみたらと思います。鹿(もっと怖いのもいるかも)、4頭ほど見かけましたのでその辺りは注意が必要です。
自分が行った登城路は鉄塔ちかくの登城口まで車入れますが台風の影響か枝とか散らかってます、大きい車(自分は軽ですが気迫の切り返しで出ました。)は入ると回れません。
トイレは済ませておいた方が良いです。
2019年05月19日 権大納言南行法師
真下城
鬼石総合グラウンドの駐車場に車を停めアタックしました。国道沿いに真下城650mと矢印案内あり。それに従って進みましたが民家の裏に神社あり。それから先に進む道が見当たりません。人が来ていないためか道が消滅している感じです。やむなく撤退しました。
2018年04月22日 だび
真下城
何ヵ所か登れそうな獣道をアタックしましたがほぼ全ての道が倒木で遮られており道も非常に歩きにくく大変
ただ山はそれほど急峻じゃないのでガッツがあればどこからでもたどり着けそう
道なき道を抜けてヘトヘトになった頃に不意に現れる巨大な堀切はなかなか感動もの
郭や曲輪は当時のものかはわからないが明らかに人工による平坦地もありまさに隠れ砦といった山城だった