秩父氏館(ちちぶしやかた)

秩父氏館の基本情報

通称・別名

鶴ヶ窪城

所在地

埼玉県秩父市下吉田3833

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

なし

築城主

秩父武基

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

秩父氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

県旧跡(秩父氏館跡)

再建造物

説明板

周辺の城

千馬城(埼玉県秩父郡)[8.9km]
塩沢城(埼玉県秩父郡)[9.5km]
根古屋城(埼玉県秩父郡)[10.6km]
熊倉城(埼玉県秩父市)[11.3km]
天神山城(埼玉県秩父郡)[11.5km]
真下城(群馬県藤岡市)[12.4km]
花園城(埼玉県大里郡)[15.4km]
鉢形城(埼玉県大里郡)[16.3km]
腰越城(埼玉県比企郡)[17.8km]
雉岡城(埼玉県本庄市)[18.9km]

秩父氏館の解説文

秩父氏館(ちちぶしやかた)は、武蔵国秩父郡吉田郷(現在の埼玉県秩父市吉田町内)にあった秩父氏の居城である。吉田城、鶴ヶ窪城とも。蛇行する吉田川近くの高台に位置し、現在は秩父市所有。

概要
城主は武蔵国一帯を支配した秩父氏で、鎮守府将軍・平良文の孫で桓武天皇六世の平将恒を祖とする一族。将恒は秩父郡中村郷に居住して秩父氏を称し、その子の平武基が広大な秩父牧を支配する秩父別当になると吉田郷に居館を構えた。さらにその子である平武綱が、広大な秩父郡支配の中心として吉田郷に築いた城館が秩父氏館である。武綱は後三年の役で先陣を務めるなどして活躍し、平重綱の代には武蔵国留守所総検校職に就任し「大主」と呼ばれるまでに勢力を広げた。重綱の子たちは畠山氏、河越氏、高山氏、江戸氏を称して独立し、源頼朝の鎌倉幕府設立を助けた有力な武蔵武士となっていった。

秩父氏支流の畠山氏、河越氏、江戸氏らはその後も武蔵国を基盤に勢力を拡大していくが、本家である秩父氏は同族争いで疲弊し、その後ほとんど歴史に登場しなくなる。戦国時代になると末裔の秩父孫二郎が北条氏邦に仕え、現在も鉢形城に秩父曲輪としてその名を残している。後北条氏が滅ぶと秩父氏は彦久保氏に改姓して帰農し、秩父氏館も廃城となったものと思われる。

平武基、平武綱、秩父重綱、秩父重弘、畠山重能と5代にわたって秩父氏館に住したとされ、現在跡地には吉田小学校が立地する。遺構はほとんど残っておらず、唯一、小学校の校庭に樹齢八百年と伝わる大欅がある。

参考文献
吉田町史
日本城郭大系

秩父氏館の口コミ情報

2021年02月05日 三輪左近衛少将直虎
高松城[秩父氏館  周辺城郭]

高松城は戦国時代に鉢形衆として北条氏に仕えた逸見若狭守の居城でした。周辺には天神砦や旗塚などの支城があります。
採石のため全壊したと聞いていた高松城ですが、確かに中心部は山ごと削り取られているものの北側に手つかずのまま残っている堀切と曲輪の一部があります。土橋つきの立派な堀切でした。採石場は閉鎖されている模様ですが、麓から登るよりも北側から下るほうがわかりやすいと思います。

2021年02月05日 三輪左近衛少将直虎
石間城[秩父氏館  周辺城郭]

城峯山の西尾根にある石間城は平将門の弟御厨三郎将頼が築いたという伝承があるが、戦国時代に秩父地方を制圧した北条氏の物見台と考えて良いと思う。

遺構は残っていないとされてきたが、皆野町史には堀切の存在が記されていたので確かめたくなった。初詣を兼ねて町営バスを使い西門平停留所から城峯山の登山道を登るが車があれば山頂まで行ける。鐘掛城で一服してから城峯山へと向かう。遠くに感じたが案外近かった。

石間城へと向かう途中で城峯神社に立ち寄り安全を祈願して尾根伝いに歩く。細い尾根と岩場が続き落ちたら怪我どころか滑落死の危険があるので慎重に歩いた。確かに岩盤を断ち切った堀切が残されている。ひと休みしたときに足が震えているのがよくわかった。へばりつくようにして天狗の物見岩に登り見渡す風景はこれ以上ないぐらい神々しい眺めだった。

2021年01月30日 eiki
日尾城[秩父氏館  周辺城郭]



鉢形城の支城で、現在の国道299号線の志賀坂峠の見張りとして築城された境目の城。標高500メートルの山頂に築かれています。車で秩父31番札所の観音院へ行き駐車、そこにハイキングコースの説明板があります。まずは牛首峠を目指します。この峠自体が入城口になっており、岩尾根を切削した見事な堀切に出会えます。尾根伝いに進むと4つの郭に繋がっています。本丸には、八幡宮の祠が祭られいます。訪れた時は
雨が降っていてなかなか幻想的な景観を楽しめました。写真は尾根の開けたところから志賀坂峠の眺めです。

2021年01月29日 三輪左近衛少将直虎
女部田城[秩父氏館  周辺城郭]



女部田城は比較的歴史がわかっており、北条氏に仕えた山口氏が城番を務めていたことが記録に見えます。日尾城の諏訪部定勝が志賀坂峠を警戒し土坂峠へは女部田城が睨みを利かせて武田氏の侵入に備えていたのでしょう。
沢沿いの道は途中で谷に突き当りますが、そこまで来たら岩場を避けて稜線へ直登します。尾根は雑木も少なく快適で5分も歩けば堀切と出会えます。岩盤を掘削した二重堀切と美しく削平された郭が見事でした。

2012年02月24日 ぎっちゃん
秩父氏館

館跡に建つ吉田小学校の校庭に案内板と万葉の碑があります。一言断ってから見学されるのが宜しいかと。校門前で電話問合わせしたらOKでした。
土塁と思われる土盛りですが、校庭造りの時の残土との説もあり遺構なのかハッキリしていません。

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