国峰城(くにみねじょう)
国峰城の基本情報
通称・別名
- 国峯城
所在地
- 群馬県甘楽郡甘楽町国峰1025-2他
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 小幡氏
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 小幡氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
小幡陣屋(群馬県甘楽郡)[2.2km]
白倉城(群馬県甘楽郡)[5.5km]
富岡城(群馬県富岡市)[6.1km]
一郷山城(群馬県高崎市)[8.3km]
奥平城(群馬県高崎市)[9.0km]
平井城(群馬県藤岡市)[12.0km]
安中城(群馬県安中市)[12.9km]
山名城(群馬県高崎市)[13.9km]
真下城(群馬県藤岡市)[14.7km]
松井田城(群馬県安中市)[15.3km]
国峰城の解説文
国峰城の口コミ情報
2024年09月03日 RED副将軍
国峰城
武田二十四将にも数えられた小幡信真の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。小幡氏により築かれたと云われます。
小幡氏は武蔵七党の児玉党の一族とされ、西上州の首領として勢力を伸ばし、関東管領山内上杉氏の重臣となりました。
1552年に北条氏康の侵攻により関東管領である上杉憲政が長尾景虎を頼って越後へ落ちると、上杉氏に属していた国人衆は越後の長尾氏、小田原の北条氏、甲斐の武田氏に分裂。小幡憲重は武田氏に属します。しかし長尾氏に属した箕輪城の長野業政は留守中の国峰城を奪い小幡憲重と子の小幡重定を追放。長野氏一族の小幡景定を城主とします。
1561年、武田信玄は国峰城を奪い小幡重定を城主に復帰させ上州攻略の拠点とします。小幡重定は小幡信実に改名(後に小幡信真に改名)し、赤備えの武田騎馬軍団の中核として活躍し武田二十四将にも数えられています。
1575年の長篠の戦いにおいて小幡信真は設楽原の決戦に中央隊として奮戦。
しかし敗戦となり、武田氏滅亡後は滝川一益に従い小幡信貞、さらに北条氏に従い小幡信定と改名をしています。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐において小幡信定は国峰城に籠城するも上杉景勝の家臣である藤田信吉により落城。その後に廃城となりました。
小幡信定は真田昌幸を頼り信濃に落ち延びたとされます。
見所
標高428mの城山に築かれています。
山頂部は詰城として機能したと考えられており、山頂の主郭は、現在は権現社が鎮座しています。
主郭から東西に伸びた尾根上に郭が連なる連郭式で要所を堀切で遮断しています。
細尾根であるため郭は小規模であり、側面に多数の竪堀を設けて横移動を制限しています。
北東の中腹には御殿平と呼ばれる広い削平地があり居館跡と考えられています。
2024年03月16日 燕武蔵守宗隆
登城口[国峰城 その他]
ここまでは林道歩き、この先急階段の連続注意
2023年01月29日 RED副将軍
吉崎城[国峰城 周辺城郭]
年始に地元の城友さまにご同行頂いたグンマイナー城を忘れないうちに投稿📮
パックリ割れた岩盤堀切を含む五条の堀切が残る桜井氏の出城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。桜井右近将監の居城とされます。
桜井右近将監は小幡氏家臣で鷹ノ巣城の城代であった桜井丹後守の家老で、鷹ノ巣城の出城であった様です。
桜井氏は、山之内上杉氏、武田氏、北条氏とこの地の支配者が代わる中、情勢を巧みに読み存続しました。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において上杉景勝勢の藤田信吉により攻略された様ですが、桜井氏は最終的に徳川氏に仕え、大阪奉行を務めました。
見所
標高453mの富士山の頂部に築かれています。
縄張りはピークに主郭を配し、登城途中に物見と思われるテラス状の小郭が二ヶ所ある至ってシンプルで小さな城です。
しかし、主郭東下にはパックリ割れた岩盤堀切、主郭から北尾根上には4条の連続堀切がで遮断された豪華な造りとなっています。
登ってみると分かるのですが、この富士山からは下仁田の街並み、街道、鏑川が一望できる要衝です。重要性は理解しますが、これほど急峻な岩山に5条の堀切はやりすぎと思います。
この日、最初に訪れたのが吉崎城。実は昨年11月にも訪れたのですがスズメバチの巣が登城路にあり、ルートは狭いため迂回も出来ず諦めた経緯があり2ヶ月振りの再訪でした。
ここの登城口は極めて分かりにくいです。県道193号から城域西側の山神神社の赤い鳥居が最初の目印です。そこからすぐ右手に登山口に続く道があります。民家に行く道にしか見えないので注意が必要です。
比高は215mですが斜面を一気に登りますのであまり時間はかかりません。但し、急斜面で滑りやすい土質の上に大量の落ち葉が被さり非常に足元が悪く苦労しました。おまけに捕まる木々が少ないです。滑落しない様に一定の装備が必要です。
2023年01月05日 RED副将軍
内匠城[国峰城 周辺城郭]
小幡氏の国峰城の支城🏯
大規模な空堀が残ります✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
永禄年間(1558年〜1570年)に倉股大炊助により築城されたと伝わります。
倉股氏は、国峰城の小幡氏重臣です。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐において、上杉景勝が国峰城を侵攻。上杉氏家臣の藤田信吉が内匠城に布陣しました。国峰城を攻略した後も在城したと考えられており、現在の遺構は上杉勢による改修されたものというのが定説の様です。
見所
鏑川と管川の間に東西に伸びた河岸段丘の端部に築かれています。
南東部の断崖上に主郭を置き、北に二郭、三郭、西に四郭と連なりますが大規模な空堀で区切られています。主郭は土塁が巡り南西隅に櫓台が残っています。
北側は高速道路により削られており、全体的に冬期でもヤブ化。更に堀底には違法投棄のゴミが散在していることが残念。
写真は全く映えませんでした。それはいつものことか…
行き方は、城域北側に登城口があります。
県道46号から脇道に入り城域北側の上信越自動車道の上に架かる橋を渡ると登城口です。
2022年11月16日 RED副将軍
大山城[国峰城 周辺城郭]
鏑川の断崖上に築かれ横堀、堀切が良好に残存しています✨
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等の詳細不明。
小幡氏一族の野宮信勝により築かれたと伝わります。
見所
鏑川右岸の河岸丘陵先端部に築かれています。河川側は断崖絶壁で段差のある3つの郭から構成。各郭は横堀、堀切で区切られています。
キレイに整備もされており散策はしやすいです。
行き方は少し難しいです。
鏑川に面しており北側の国道254号から集落を抜けて行こうとすると橋は軽自動車でも厳しい細さで止めておいた方が良いです。
西側の杣瀬集落から上信越道の側道を通っていくのが正解です。こちらも細いですが遥かにマシです。城域南側の上信越自動車道の高架下に駐車スペースがあり、北側に降れば大山城入口の案内板があります。
2022年01月25日 【配龍】美海(ミミ)安房守
吉崎城[国峰城 周辺城郭]
【吉崎城へのアクセス】
藤山(富士山)と言う山にあるので、地元の方に聞く時は「藤山」と聞くのが分かりやすいそうです😊
下仁田小幡線(国道193号)より鋭角に上がるように林道に入ります(道は狭いですが、林道入口だけ切り返せばRAV4位の大きさの車は入れます)
🅿️ 林道を進むと、左手の山側にギリ3台車を停められるスペースがあるので、そこに駐車させて貰いました。
その駐車スペースから、来た道方向に数メートル戻った辺りから山に取り付きます。
⚠️雰囲気的に林道の奥側に行きたくなるのですが、奥に行くと迷ったり、無理ゲー急斜面の横移動しないと主郭に辿りつかなかったりする事が多い危険な道らしいです⚠️
登城口の目印は、「杖をどうぞ」と書いた杖立てがあるので、そこを過ぎて直ぐに左手の山の斜面から登ります(この杖立ては、車で通ると気がつかない位の存在感の無さです😅)
踏み跡を辿り、道の無い急斜面をしばらく直登すると赤い鳥居⛩のある場所に出ます。その右上の山頂が主郭です。
主郭の北東側に5連堀切、南東側に岩を断ち切った2条の堀切があります✨
しっかりと仕事した素晴らしい遺構が見れますが、ここの山の土質は、パチンコ玉を小さくしたような砂利が沢山あり、冬は乾燥していて落ち葉と共にズルズルに滑ります。
特に南東の岩盤堀切は、急峻な斜面なのに足掛かり手掛かりが少なめで土質も滑りやすく、尾根両側の城塁はかなり急角度なので、堀切に降りる場合は十分に気をつけてください😊
またしっかりとした装備(特に靴)での登城をお勧めします。一旦滑落すると、急過ぎる城塁で、かなり下まで落ちてしまいそうな場所も多く危険です😅
遺構の残存はとても良く、素晴らしいお城✨
急峻な山上なのに中段曲輪群も含めると曲輪も小さいながらも幾つもあり、本城の鷹ノ巣城の支城として防衛網を担った砦だったのが感じ取れます✨
①登城途中
②鳥居の手前には物見台のようなスペースが3箇所ある
③南東の岩盤堀切(上から)
④主郭を見上げる
⑤〜⑧北東尾根の堀切
2022年01月06日 装鉄城大膳大夫乱怒
国峰城
上州富岡駅で無料レンタサイクルを利用して南下。約30分で麓の集落に到着。ここからはかなりの急勾配になります。途中から舗装が無くなり、かなりの悪路になります(普通車ではかなり困難)登ること約30分で山頂の主郭に到着しました。
2021年10月09日 Bee大宰少弐moto
国峰城
甘楽町道の駅から自転車で攻略しました。国峰城入り口から先にも車を止めれる場所はいくつかあるのでそこから徒歩でアクセスが良いかと思います。軽トラサイズなら御館跡までは車でアクセス可能です。
2021年05月13日 つか征夷大将軍ぽ
御殿平[国峰城 遺構・復元物]
駐車場としても利用可能になっていますがここまでの道のりは厳しいので歩いて登ってくることをオススメします。
2021年05月13日 つか征夷大将軍ぽ
国峰城 登城口[国峰城 その他]
ここから先は狭い未舗装の道になります。軽トラやジムニー等の小型で車高の高い車でないと深い轍にはまります。
2021年04月27日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
吉崎城[国峰城 周辺城郭]
群馬県の下仁田町の吉崎城☆群馬の城友様と行ってきました♪張り付く場所が分からず鏑川沿いの程よい場所から直登☆城郭の位置は何となく分かっていたので、その方角に進んで行くと!やっぱりありました☆群馬といえば!そうです!鋭い山肌に岩盤が剥き出している堅固な場所に築いた城郭が結構ありますw個人的に高い所は苦手なので中々怖かったですw
吉崎城は桜井丹波守の家老…桜井右近将監の居城と伝わります☆桜井氏は鷹巣城の小幡三河守貞政の家臣でした☆
築城は鷹巣城の後で小幡三河守貞政が後を継いでこの吉崎城を築いて本城の鷹巣城の防衛を強化したものと思われています☆
この鷹巣城の小幡三河守貞政は初めは長野業政を盟主とする箕輪衆の一員として山内上杉氏方でしたが後に武田信玄が攻め入り武田氏に従います☆
武田氏が滅亡の際に上杉景勝を頼って越後へ奔りそこで没したと伝わります。
吉崎城を守っていた桜井氏は主君の小幡三河守貞政同様に山内上杉氏、武田氏から滝川氏、更に北条氏に従って巧みに生き抜きました☆近世に入ってからは徳川氏に仕え大阪奉行を務めていた様です☆
残る遺構としては連続堀切(5連続)、竪堀、郭群、竪土塁など素晴らしく残ってます☆主郭と思われる場所は非常に小さくて戦う為だけに造られた砦の顔を持ちます☆
2021年04月26日 Maru姫22
国峰城
車で行くこともできますが、お勧めできません。危険です。足元に注意しなが徒歩で登城することをお勧めします。本丸までの間に初心者にも分かる竪堀(たぶん)の遺構を確認することができます。
2021年03月31日 真田上野介信吉
国峰城
国峰城は、他に類例を見ない特異な構造を示し、山城部・丘城部・平城部が南北2.5キロ、東西2キロの間に展開している。
天正18年(1590)小田原の役に小幡信定は出陣し籠城。留守の国峰城は子信秀が守ったが、前田利家率いる北陸道軍分遣隊藤田信吉に落とされ城は廃された。
ー主郭設置の説明板より抜粋ー
登録城であり、フォトも充実しています。
岩盤を削った切岸、二段の腰郭。そして、これでもかと言わんばかりに竪堀があちこちに延ばされています。
主郭までは親切にも登山道として整備されていますが、御嶽出丸方面の郭(西側)は切岸を降りては登りの繰り返し。細尾根なので十分な注意と根性が必要です。最大の見所と言っても過言ではない岩盤堀切まで進み感動と達成感を是非味わってください。
山城部のリア攻め後、丘城部御殿平から景色を眺めながらの休息は疲れを癒してくれることでしょう。
アクセスは、県道193号『善慶寺原』信号に『国峰城跡4キロ』の看板がありますから、それに従い道なりに進み林道への左折を促す看板あり。御殿平まで行くことが出来ます。
林道は2㍍幅。自身としては最恐クラスの林道と感じたので、運転には十分ご注意ください。
群馬県を代表する山城としてオススメします。
2021年02月13日 栗林主計頭義長
国峰城
2021/2/11登城
御殿平の駐車場まで車で向かうが途中で諦めてUターン。林道の轍は20cmくらいの深さがあり車高が高い車でないと難しい。麓に車を止めさせていただき徒歩で再登城。
鹿猟のシーズンで途中猟師さんに会う。誤射されないように大きめの鈴、派手な色の服装は必要。遺構は素晴らしい。
2020年12月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
紅葉山砦[国峰城 周辺城郭]
群馬県の甘楽町にある国峰城を守る紅葉山砦♪この砦は外堀と共に所謂、国峰城の総構えにあたります☆福厳寺の背後にその削平されたスペースはあります☆
国峰城の北東に位置し城の守りを固めました♪
2018年01月22日 普賢菩薩
国峰城
上信電鉄利用者に無料で提供してくれる上州富岡駅のレンタサイクルで攻めました。ここのチャリは吉井駅のよりも新しくてギア付きなので坂道苦になりませんでした。でもリアはきつそうなので諦めて富岡製糸工場参観に切り替えました
2017年12月20日 カーネル
国峰城
上毛線の上州富岡駅で自転車を借りる
駅から直線距離で6kmの本丸へ向かう
21センチュリーゴルフ場南端の長善寺を目指すと、道中にも国峰城→の看板多数です。長善寺の南方の農道に、あと2.5kmの看板あります
ここからはずっと登り坂で、途中から未舗装路になりますので、ほとんど押して歩きました。駅から1時間で駐車場の御殿平に到着
ここから歩いて登ります。どっちに向かうかわからないが、とにかく上へ向かい道を進むと、城山頂上の看板があります。あっててよかった
10分で本丸着。反対側に降りると、曲輪と堀が入り乱れてすごいことになっており、出丸まで行くと眺望がよかったです
山を自転車で下る。下りは早かった
長善寺の北東には、国峰城外濠跡もあります。山頂から1.9kmあるらしく、城域でかすぎです
ここから小幡城こと楽山園に寄りました
公園のようで、ついつい長居してしまいました
駅に戻ったのは、3時間後でした
2015年05月04日 まー刑部卿
国峰城
登城口の橋を渡ってすぐの家の方がいらっしゃったので運良く停めさせて頂きました。そこからは歩きました。先人の方々の情報にもあるようにわざわざ車に傷付けることはしないほうがいいと思います。
2014年01月12日 むぎ右兵衛督城さんぽ
国峰城
御殿平まで車で行くには普通車では落ちます!行くなら軽自動車で運転に自信がある方でないと危険です。自信の無い方は下から徒歩で登ることをお薦めします。御殿平から先、本丸までは徒歩で登ります。鳥居を抜けて本丸までは登ると、碓井峠の麓まで見渡すことができます。
2013年09月22日 田部朝臣土持安房守
国峰城
車で御殿平と言う場所まで行けるが洒落にならない山道。転落注意。
しかも、苦労して行くだけの価値皆無。
本気で命の保証がないので行かない方が正しいでしょう。
遺構
織田信雄ゆかりの国指定史跡「楽山園」の南西約2kmのところに位置する。標高434mの山頂部分にある山城、東麓の緩斜面にある平山城、さらに北方の紅葉山西麓から下川までを堀割った遠堀で構成される。山城部だけでも長さ1.2kmに及ぶ、大規模な城だ。山城は最高所に主郭が置かれ、東西に伸びた尾根に曲輪が展開する。曲輪間は堀切で遮断し、回り込みを防ぐ竪堀を設けているのが特徴だ。主郭には枡形虎口を備えた技巧性も見られる。堀切を隔てた東側の曲輪から東斜面が急坂となり、大手筋になっている。
東麓に広がる緩斜面は4つに区画される。最高所は御殿平と呼ばれ、城主の御殿が想定されている。
歴史
築城者、築城年とも定かではないが、甘楽地域に本拠を置いた国人の小幡氏が、上州一揆を代表する勢力となった文明3年(1471)頃までに築城したと考えられている。小幡憲重は信州境で武田氏と連携する一方で、北条氏に属して関東管領上杉憲政の平井城攻めに加勢。上杉憲政が越後へ落ちると、武蔵国境地域の支配を任された。永禄元年(1558)以降は一族間の争いにより国峰城を追われたようで、箕輪城の長野業政らが憲重を追放し、一族の小幡景定を城主としたともされる。憲重は武田信玄氏を頼り、西上野侵攻を支援。信玄が国峰城を奪い返すと、城主へ返り咲いた。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めでは、時の当主小幡信定は小田原城に籠城。北条氏の滅亡に伴い小幡氏は他城へ仕官し、国峰城も廃城となった。
交通
・上信電鉄上州福島駅から乗合タクシー那須線枇杷の沢下車、徒歩約30分参考文献
・『関東の名城を歩く北関東編』吉川弘文館、2011年・『中世城郭研究第5号』 八巻孝夫「国峰城」中世城郭研究会、1991年