国峰城(くにみねじょう)
国峰城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 群馬県甘楽郡甘楽町国峰1025-2他
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 小幡氏
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 小幡氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
小幡陣屋(群馬県甘楽郡)[2.2km]
富岡城(群馬県富岡市)[6.1km]
一郷山城(群馬県高崎市)[8.3km]
奥平城(群馬県高崎市)[9.1km]
金山城(群馬県藤岡市)[10.8km]
平井城(群馬県藤岡市)[12.0km]
安中城(群馬県安中市)[12.8km]
山名城(群馬県高崎市)[13.9km]
真下城(群馬県藤岡市)[14.7km]
松井田城(群馬県安中市)[15.3km]
国峰城の解説文
国峰城の口コミ情報
2021年02月13日 栗林主計允義長
国峰城
2021/2/11登城
御殿平の駐車場まで車で向かうが途中で諦めてUターン。林道の轍は20cmくらいの深さがあり車高が高い車でないと難しい。麓に車を止めさせていただき徒歩で再登城。
鹿猟のシーズンで途中猟師さんに会う。誤射されないように大きめの鈴、派手な色の服装は必要。遺構は素晴らしい。
2020年12月02日 龍馬備中守【】
紅葉山砦[国峰城 周辺城郭]
群馬県の甘楽町にある国峰城を守る紅葉山砦♪この砦は外堀と共に所謂、国峰城の総構えにあたります☆福厳寺の背後にその削平されたスペースはあります☆
国峰城の北東に位置し城の守りを固めました♪
2018年01月22日 普賢菩薩
国峰城
上信電鉄利用者に無料で提供してくれる上州富岡駅のレンタサイクルで攻めました。ここのチャリは吉井駅のよりも新しくてギア付きなので坂道苦になりませんでした。でもリアはきつそうなので諦めて富岡製糸工場参観に切り替えました
2017年12月20日 カーネル
国峰城
上毛線の上州富岡駅で自転車を借りる
駅から直線距離で6kmの本丸へ向かう
21センチュリーゴルフ場南端の長善寺を目指すと、道中にも国峰城→の看板多数です。長善寺の南方の農道に、あと2.5kmの看板あります
ここからはずっと登り坂で、途中から未舗装路になりますので、ほとんど押して歩きました。駅から1時間で駐車場の御殿平に到着
ここから歩いて登ります。どっちに向かうかわからないが、とにかく上へ向かい道を進むと、城山頂上の看板があります。あっててよかった
10分で本丸着。反対側に降りると、曲輪と堀が入り乱れてすごいことになっており、出丸まで行くと眺望がよかったです
山を自転車で下る。下りは早かった
長善寺の北東には、国峰城外濠跡もあります。山頂から1.9kmあるらしく、城域でかすぎです
ここから小幡城こと楽山園に寄りました
公園のようで、ついつい長居してしまいました
駅に戻ったのは、3時間後でした
2015年05月04日 まー刑部卿
国峰城
登城口の橋を渡ってすぐの家の方がいらっしゃったので運良く停めさせて頂きました。そこからは歩きました。先人の方々の情報にもあるようにわざわざ車に傷付けることはしないほうがいいと思います。
2014年01月12日 むぎ右兵衛督城さんぽ
国峰城
御殿平まで車で行くには普通車では落ちます!行くなら軽自動車で運転に自信がある方でないと危険です。自信の無い方は下から徒歩で登ることをお薦めします。御殿平から先、本丸までは徒歩で登ります。鳥居を抜けて本丸までは登ると、碓井峠の麓まで見渡すことができます。
2013年09月22日 田部朝臣土持安房守
国峰城
車で御殿平と言う場所まで行けるが洒落にならない山道。転落注意。
しかも、苦労して行くだけの価値皆無。
本気で命の保証がないので行かない方が正しいでしょう。
【遺構】
織田信雄ゆかりの国指定史跡「楽山園」の南西約2kmのところに位置する。標高434mの山頂部分にある山城、東麓の緩斜面にある平山城、さらに北方の紅葉山西麓から下川までを堀割った遠堀で構成される。山城部だけでも長さ1.2kmに及ぶ、大規模な城だ。
山城は最高所に主郭が置かれ、東西に伸びた尾根に曲輪が展開する。曲輪間は堀切で遮断し、回り込みを防ぐ竪堀を設けているのが特徴だ。主郭には枡形虎口を備えた技巧性も見られる。堀切を隔てた東側の曲輪から東斜面が急坂となり、大手筋になっている。
東麓に広がる緩斜面は4つに区画される。最高所は御殿平と呼ばれ、城主の御殿が想定されている。
【歴史】
築城者、築城年とも定かではないが、甘楽地域に本拠を置いた国人の小幡氏が、上州一揆を代表する勢力となった文明3年(1471)頃までに築城したと考えられている。小幡憲重は信州境で武田氏と連携する一方で、北条氏に属して関東管領上杉憲政の平井城攻めに加勢。上杉憲政が越後へ落ちると、武蔵国境地域の支配を任された。
永禄元年(1558)以降は一族間の争いにより国峰城を追われたようで、箕輪城の長野業政らが憲重を追放し、一族の小幡景定を城主としたともされる。憲重は武田信玄氏を頼り、西上野侵攻を支援。信玄が国峰城を奪い返すと、城主へ返り咲いた。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めでは、時の当主小幡信定は小田原城に籠城。北条氏の滅亡に伴い小幡氏は他城へ仕官し、国峰城も廃城となった。
【交通】
上信電鉄上州福島駅から乗合タクシー那須線枇杷の沢下車、徒歩約30分
【参考文献】
・『関東の名城を歩く北関東編』吉川弘文館、2011年
・『中世城郭研究第5号』 八巻孝夫「国峰城」中世城郭研究会、1991年