内匠城
内匠城([国峰城 周辺城郭])
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内匠城の口コミ情報
2026年03月19日 マグロ常陸介祐平
戦国時代末期の天正年間に、国峰城の支城として築かれ、小幡氏の旗頭の倉俣大炊助が城主と伝わるようです。この地域では最も新しいお城とされています。その後、倉俣大炊助は帰農しており、慶長5年の水帳(戸籍)には本百姓として記されているようです。昭和63年に上信越道建設の為に行われた外堀の発掘調査では、土器や陶器、漆器、石臼、鉄砲玉などが出土しています。
Googleマップでは、お城の南から入るよう指示されてしまいますが、先人様が登城口をマークして頂いたため、スムーズに攻城することが出来ました。
お城は台地の東端に築かれた崖端城で、4つの郭で構成されています。入口からすぐに三の丸があり、西側には櫓台が見られます。櫓台のしたを南に降りると広く十字形の空堀があり、南東側は広さを感じる四の丸となります。四の丸の西側には土塁が見られるようですが、ちょうど日没時間で藪で暗いため諦めて、三の丸に戻り、二の丸、本丸へと向かいました。本丸は、南と西に土塁が見られ、南西の隅の櫓台には神社が鎮座しています。発掘された外堀は、平均5mと大変深い堀だったようですが、今残る堀は広い割には堀に沿った土塁が見られず、それほど掻揚げたようではなく、自然地形を活かして、土木量をおさえて築城したように感じられました。
2023年01月05日 ᴿᴱᴰ副将軍
小幡氏の国峰城の支城🏯
大規模な空堀が残ります✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
永禄年間(1558年〜1570年)に倉股大炊助により築城されたと伝わります。
倉股氏は、国峰城の小幡氏重臣です。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐において、上杉景勝が国峰城を侵攻。上杉氏家臣の藤田信吉が内匠城に布陣しました。国峰城を攻略した後も在城したと考えられており、現在の遺構は上杉勢による改修されたものというのが定説の様です。
見所
鏑川と管川の間に東西に伸びた河岸段丘の端部に築かれています。
南東部の断崖上に主郭を置き、北に二郭、三郭、西に四郭と連なりますが大規模な空堀で区切られています。主郭は土塁が巡り南西隅に櫓台が残っています。
北側は高速道路により削られており、全体的に冬期でもヤブ化。更に堀底には違法投棄のゴミが散在していることが残念。
写真は全く映えませんでした。それはいつものことか…
行き方は、城域北側に登城口があります。
県道46号から脇道に入り城域北側の上信越自動車道の上に架かる橋を渡ると登城口です。









