月居城(つきおれじょう)

月居城の基本情報

通称・別名

袋田城

所在地

茨城県久慈郡大子町袋田字月居

旧国名

常陸国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

袋田氏

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

袋田氏、山入氏、白河結城氏、石井氏・滑川氏・野内氏(佐竹氏家臣)

廃城年

慶長7年(1602)

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

山入城(茨城県常陸太田市)[18.8km]
武茂城(栃木県那須郡)[21.1km]
野口城(茨城県常陸大宮市)[23.8km]
神田城(栃木県那須郡)[24.8km]
烏山城(栃木県那須烏山市)[25.2km]

月居城の解説文

月居城(つきおれじょう)とは、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町袋田)に築かれた山城のひとつ。

築城は、応永年間(1394年〜1424年)といわれ、領主であり常陸守護である佐竹氏の庶家 北酒出氏の分家にあたる袋田氏により築城された。別称を袋田城ともいう。後に袋田氏が佐竹氏一門の小田野氏を相続することになり、袋田氏はその血脈を伝えながら断絶、主なき月居城は一時廃城となった。

歴史・沿革
月居城のあった依上保一帯は後に佐竹氏の分家 山入氏の勢力下に入るが、山入一揆の乱の混乱に乗じて陸奥国の国人 白河結城氏の侵攻により同地は奪われ40年もの長きにわたり、白河領として過ごした。その後、永正元年(1504年)に依上保は佐竹氏により奪還され、月居城は再び、佐竹領北方の要衝として再興、佐竹氏庶家の高柿氏らを在番衆として置いた。

その後、月居城は、鎌倉公方の主導権争いに巻き込まれ、佐竹氏の那須出兵に際しては、佐竹氏家臣の石井氏らが篭城して敵の侵攻を防いだ。その後、月居城は相川館にいた野内氏に与えられ、袋田・生瀬一帯の領有を認められ、佐竹氏の奥州攻略の軍役負担と前線基地の役割を果たした。

しかし、月居城は佐竹氏の秋田転封に伴い城主 野内氏もこれに随行したため、再び主を失った月居城は廃城となり、その後も一国一城令の施行もあって城として再建されることはなかった。なお、月居城主であった野内氏は秋田転封後に出羽国大館に移封されたが、主家に願い出て旧城の名である月居氏を称するようになったという。

その後廃城となる。

考古資料
遺構
廃城となった月居城址は曲輪の遺構のみ残る。

月居城の口コミ情報

武蔵守道灌!Σ( ̄□ ̄;)様[2015年03月06日]
前回のリベンジ!!…が、今でも通行止め!!
同じ道路の反対側から車で登ってみるも月居峠付近の道路が崖崩れで崩落中!!
これが通行止めの理由だったのねー(((^^;)
なので前回の場所に戻って徒歩での強攻登山!?…結構な山道でしたが気合いで山頂423mまでたどり着きましたー(°▽°)
はっきり言ってリア攻め…って言うか、登山ですので、それなりの靴や気持ちでのリア攻めをお薦めします♪
…足を滑らせたら…アウト!!ですのでf(^^;

野呂利駿河守休三様[2015年02月17日]
袋田の滝方向からも行くことができますが、ピークを一つ越える必要があります。体力のある人向けコース。
鞍部に寺跡、そこを袋田の滝寄りに少し登ったところに義家伝説のある月居観音があります。

幕末は廃城になっていましたが、城のあった月居峠は天狗党挙兵の戦場になっています。

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