松岡城(まつおかじょう)

松岡城の基本情報

通称・別名

龍子山城、手綱城

所在地

茨城県高萩市下手綱

旧国名

常陸国

分類・構造

山城、(平山城)

天守構造

築城主

大塚氏

築城年

室町時代

主な改修者

戸沢政盛

主な城主

大塚氏、戸沢氏、中山氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡

指定文化財

市史跡(高橋家の門・塀)

再建造物

石碑、説明板、蔵

周辺の城

車城(茨城県北茨城市)[8.7km]
助川城(茨城県日立市)[17.6km]
山入城(茨城県常陸太田市)[25.6km]
小野崎城(茨城県常陸太田市)[25.9km]
月居城(茨城県久慈郡)[26.8km]

松岡城の解説文

松岡城(まつおかじょう)は、常陸国多賀郡(現在の茨城県高萩市下手綱)にあった日本の城。龍子山城(たつごやまじょう)・手綱城(たづなじょう)とも呼ばれる。明治時代初期には常陸松岡藩の藩庁が置かれた。

歴史
室町時代、この地の領主であった大塚氏によって築かれたと考えられるが、築城年代ははっきりしない。当初は山城であり、龍子山城と呼ばれており、山麓に居館が設けられていた。

慶長7年(1602年)、松岡の地に4万石で入封した戸沢政盛は、龍子山城の麓に城郭を整備して平山城とし、名を松岡城とした。元和8年(1622年)、戸沢氏が出羽新庄藩に転封されると、松岡は水戸藩の所領となった。正保3年(1646年)、水戸藩の付家老中山信政に松岡城が与えられた。中山氏は宝永4年(1707年)に常陸太田に移り、松岡城は空城になった。享和3年(1803年)、中山信敬は再び松岡城に戻り、城郭や城下町を整備した。明治維新後の明治元年(1868年)、中山氏は正式に諸侯として認められた。

松岡城に天守や櫓はなく、陣屋程度の規模であったといわれる。山頂に本丸を置き、麓に二の丸御殿や家臣の住まいがあり、三の丸に役所、台所、家臣の住まいが軒を連ねていたといわれる。

考古資料
遺構
役所の置かれていた三の丸は、高萩市立松岡小学校の敷地となっている。土蔵、土塁、堀が遺構としてある。

松岡城の口コミ情報

まー宮内卿様[2016年10月02日]
現存の土蔵が校門からすぐだったが気がつかなかった。あとは堀や土塁が現存。降雨の次の日だったため山城部はぐちゃぐちゃな泥のようだったため途中で諦めました。駐車場は川超える手前にトイレ完備の無料駐車場有り。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore