車城(くるまじょう)

車城の基本情報

通称・別名

群馬城、牛淵城、臼庭城

所在地

茨城県北茨城市華川町車

旧国名

常陸国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

臼庭氏?

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

臼庭氏、砥上氏、岩城氏、車氏

廃城年

慶長7年(1602)

遺構

曲輪、堀切、切岸、井戸跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

松岡城(茨城県高萩市)[8.7km]
助川城(茨城県日立市)[26.2km]
月居城(茨城県久慈郡)[29.4km]
磐城平城(福島県いわき市)[30.6km]
高久の古館(福島県いわき市)[31.0km]
羽黒山城(福島県東白川郡)[31.6km]
山入城(茨城県常陸太田市)[32.8km]
太田城(茨城県常陸太田市)[35.3km]
久米城(茨城県常陸太田市)[36.8km]
棚倉城(福島県東白川郡)[38.5km]

車城の口コミ情報

2023年09月25日 水天一碧東方之衆
車伊豆堂城[車城  周辺城郭]



2022年の夏に見つかったばかりのお城です。

発見されて検証されたあとに、すぐに公開されて車川向城と名前がついたので、一度、こちらにその名前で登録しました。
今年の春に公開された茨城県の中世城館では車伊豆堂城という名前で登録されているので、あらためて登録し直しました。
何となく、この名前の方が見たくなるのかなーと思って😂

最初に見つかった時には伝承がない城と聞いていました。
以下、茨城県の中世城館から抜粋です。

「車記」は、永正・大永期に車閑斎(夕斎)が「出堂」(小字伊豆堂か)に新城を構えたとする。また、長久保赤水の書いた「他領下相田村中妻村水戸御領豊田村水論」に車城の根小屋川西岸に、「伊豆堂山 関斎隠居城跡」を描く。

ということで、きちんと記録が残っていました。こちらは地元から忘れられた城だったようです。

最初は伝承がない城だと聞いていたので、誰の物件なのかなあと楽しみに見にいきました。北茨城市はもともと岩城氏の支配地域なので、岩城の物件なのかも〜と思って見に行きました。
ただ、あのやたらでかい竪堀を見たら、「これは岩城の仕事じゃねーわ」とびっくりしました。想像より良すぎて笑いが止まりませんでした。

夏は藪にガンガン行ける人だけが楽しめる状態です。蜂も飛びまくっていて、かなり辛かったです🤣見るなら絶対に冬がいいです。

車城は古い造りの城ですが、こちらは土木量もたっぷりでイキってて見応えがあります。あの車さんの城ならこれだよねと見れば納得です。

車城に来たらこちらも必ず行ってみてください😊

①車城は川を挟んだ対岸に見える。
②谷筋の竪堀。でっかい。冬でこんな感じなので夏は写真になりません。
③谷を竪堀とか言うのやめてよと夏に見た時は思いましたが竪堀はグイッと曲がってて、加工を感じる。
④〜⑧あちこちの横堀はでっかい長い😂堀底は楽しく歩くものです🎵

※以前にこのお城をオススメした時に、あれのどこが竪土塁なんだと言われたんですが、竪土塁があるなんて一言も言ってないし、どこにも書いてなくて、なんで竪土塁の話が出たのかいまだに謎です。ないですからね、竪土塁🤣

2023年08月07日 水天一碧東方之衆
関本中粟野城[車城  周辺城郭]



お城の詳細は先に出した口コミをご覧ください。見所は大堀切なんですが、写真が出ることもなかなかないと思うので、二郭や周辺の写真を追加しておきます。

①城のすぐ近くにある菅丞寺。背後の斜面はかなり急峻。登ると二郭につながる尾根に出る。
②五輪塔があった。
③お寺の裏の斜面の途中にある祠。
④二郭に入る手前の堀切
⑤二郭の北のピークは平場になっていた。物見か。
⑥ピークから見る北の景色。これだとよくわからないが城の北側まで工事が迫っていた。
⑦戻って主郭から居館跡を囲む郭の南端からは岩塙館が見える。
⑧麓にある居館跡には今も民家がある。いかにも居館という感じでつい眺めてしまう。

2度と見れない城なので記録になれば幸いです。

2023年08月06日 水天一碧東方之衆
関本中粟野城[車城  周辺城郭]



関本中粟野城は、2023年の冬に発見と確認がされたばかりのお城で、茨城県の中世城館で初公開になったお城です。

残念ながらバイパス工事でなくなる城です。発見されて確認した時には、工事がもう麓にまで迫っていました。また、城の北側の工事の予定地はすでに山林が伐採されていました。あと少し、発見と調査が遅かったら記録されることさえなく、消滅していたんだと思います。発見した方もお城を調査し記録する方も本当にお城の神様に呼ばれたんじゃないかと思うようなタイミングでした。

茨城県の中世城館が刊行された時に、この城が掲載されていたことにびっくりしました。見つかった時期と刊行された時期を考えると、かなり無理をして掲載したのではないかと思いました。名前がついて縄張図が掲載されて記録に残る、本当に沢山の方がこの城を見つけた後も尽力してくださったんだと思います。

このお城は、同じ日に確認した岩塙館の向かい側の山に位置します。岩塙館とセットで街道を監視する城にも思えます。あとはやっぱり堀切がすごく良くて、別なアングルの写真もあとで出そうと思います。

自分は幸いなことになくなる前の完存の状態を見ることができました。本当にいい城でしたが点でしか見せられないのが残念です。少しでも記録になればいいなと思います。

①登城路は大きな堀底道。ここが大手と思われる。
②堀底道を登って上から見ると竪堀みたい。これは豊田鹿島館の大手道にそっくり。全く写真にならないから出さないけれど、この先の郭には土塁がありしっかりと防御をしていた。
③大手沿いにある堀切。小さめ。風化を感じた。
④⑤主郭に入る前の堀切はまだまだしっかりしている。
⑥大土塁上から。
⑦⑧大堀切。竪堀もよく落ちている。

2023年04月20日 水天一碧東方之衆
臼庭城[車城  周辺城郭]



臼庭城は、2023年1月に見つかったばかりのお城です。車城の近くに車川向城が夏に見つかったばかりなのに、また見つかったことに、まだあるのかとびっくりしました。

北茨城市史には、臼庭城は工業団地になり、原型は全く存しないと書かれているんですが、今回見つかったお城が、その臼庭城なんじゃないかということのようです。

臼庭城が今回見つかったお城だとしたら、工業団地になり殲滅したお城ってじゃあ何だったんだろう?誰のどんな城だったのか。その答えは謎のまま…。きっと答えはわからないんですが、それがまたすごく面白いです。

こちらの城は車城の出城と見られています。

陽射しと伸びた下草の相性の悪さで、なんだかよくわからない写真しかなくて、何とかわかる写真だけ出してみました。二重堀切は明瞭に残っていてとても良かったです。車城、車川向城や近くにある豊田鹿島館と併せて歩くのも面白いかも。北茨城市のお城めぐりを楽しんでいただけたら、少しでも参考になれば嬉しいです。

①土塁がよく残る。どの位置の土塁もしっかり残っていました。
②二重堀切。
③二郭は南東に伸びる。
④さらに奥の二重堀切。
⑤土塁上を歩く。
⑥主郭の南側、土塁に囲まれた郭。
⑦主郭にある横堀…。鉄塔を建設した時の副産物?
⑧城址遠景。

2023年04月08日 水天一碧東方之衆
豊田鹿島館[車城  周辺城郭]



北茨城市で今冬に確認されたばかりのお城です。

こちらは、物見台だという伝承はあったようですが、特に調査はされないまま眠っていたようです。

この城は、近くにある城とあわせて、岩城氏の車城の方を見ているんだと思いましたが(車がなんだか変なことしてるぞーって見てるのかなと・笑)、そうではなくて、岩城氏が南の大塚氏を見ている城とのことでした。

独立した山にあり、周囲はぐるりと一周できます。臼庭城との距離は1キロほどで、物見台には最適な場所だと思いました。

①豊田鹿島神社の本殿。装飾がすごく豪奢✨
②③④段曲輪を降りてく。
⑤堀切は大きい。
⑥⑦竪堀。傾斜がいい感じ。ここが大手道だったと思われる。

2023年04月06日 水天一碧東方之衆
陣場山館[車城  周辺城郭]



北茨城市で新たに確認された城ではないかとされるものです。

城疑惑で出していいのかわかりませんが、以前にも、居館跡疑惑の地を出して、まだ削除はされずに残っているから出します(運営様、ありがとうございます😊)。

陣場山館は、西遺構と東遺構に分かれています。陣場という地名がもう怪しいですよね。ただ、城に関する伝承は何もなく、お城なのかどうかも意見が分かれるところ…のようです💦

西遺構は、地名に由来するように、何かしら軍勢が陣を敷いた、兵を駐屯させたといわれれば、まあこういうものなのかなあと思えました。遺構としては、ただただ、のっぺりした広い平坦地の奥に、堀切のようなものがあるだけです。

東遺構の方が城らしく見えました。ただ、写真はイマイチのものしかない😂ちょっと風化気味でもありました。城であるなら、かなり古い時代に使われていたものに思えました。

西遺構も東遺構も、そもそも誰がいつ何のために作ったのか(岩城氏かな…)を考えたり、見落としてる遺構は他にないのかなと探したりしながら歩き回る時間は最高でした。とても面白い城でした😊

①西遺構に入り込んだ辺り。段曲輪と切岸に加工されて見える箇所を軽く登っていく。
②登りきると平坦で広い…
③④西遺構の堀切状のもの
⑤⑥東遺構をあちこちから。
⑦城址遠景。正面が西遺構、撮影者立ち位置寄りの山が東遺構。

2023年04月06日 水天一碧東方之衆
岩塙館[車城  周辺城郭]



岩塙館はこの冬に確認されたばかりの城です。

特に何の伝承もないお城のようです。それを見つけて歩く人の嗅覚、資料の読み方にただただ驚きます。この城の向かい側の山には、粟野館があります。また、周辺には、館山城や御城山城など、既知の見応えがある城が沢山あるので、まとめてセットで一日中歩けると思います。

城は単郭の城で、北東の大きな横堀の向こうは特に何もなく平坦地が続くだけで、南西側も堀切の先はこれといった遺構はなかったです。

写真は全くこの城の良さを伝えてません。そんな写真を見ても、これはえぐいやつだと気づけた方なら絶対に楽しめます。特に南西の横堀が長くて深くて綺麗で、主郭から見下ろしてるとたまらなかったです。

藪が平気な方なら余裕で春先も楽しめると思います。

①城址遠景。逆光で、城が眩しかった😂
②南西の堀切を郭上から。これは良かった。写真じゃわからないです。行った人だけの特権ですね。
③④その南西の堀切。
⑤北東の長い横堀。写真は右に折れて左へ繋がる横堀。
⑥横堀。
⑦横堀はかなり綺麗に折れてた。
⑧南西の土塁上から見た横堀。

2022年04月03日 水天一碧東方之衆
山小屋城[車城  周辺城郭]



山小屋城の行き方です。
まだ写真を出し切っていませんが、優良物件につき行き方を書いておきます😊

目的地は、マックス常盤株式会社に設定してください。駐車場も会社の駐車場をお借りしました。
会社がお休みの土日にリアしましたが、休日出勤されている方がおられたので、声をかけてお借りしました。とても親切な社員さんで、気持ちよくお借りできました。土日であれば、駐車場を使っていただいて構わないとおっしゃっていました。

城への入り方です。

自分は主郭にあたる神社の参道と反対方向の西から登って行きました。主郭は別にいいから、西の堀切をまず見たいなと。それに、案内表示なしで参道がまるでわからないんだもの…。
その山の西側はイノシシ用のくくり罠をいくつか仕掛けているそうです。知っていたら絶対に行きませんでした。下山した時に、前述の社員さんが教えてくださいました。
知らないまま、あちこち歩き回り、罠にかかったイノシシがめちゃくちゃに暴れているのを横目に登りました🤣

神社の参道は社員用の第一駐車場(看板ついてます)の土手(切岸?)を登ったところにあります(写真参照)。
参道は堀底道になっていてすごく快適です。堀底道からそれて、段曲輪を乗り越えて、主郭にある神社めがけて最短で直登もアリです。

お城は岩城氏の物件ですが、岩城氏の本城の大館城みたいな切岸と勾配で守る城とは全然違います(注・もちろん、切岸勾配物件も大好きです)。
北茨城市付近は、岩城氏と佐竹氏で争った地域です。茨城の他の地域で見る城とは、また違う土木ぶりが最高でした😊

2021年07月14日 水天一碧東方之衆
車城



猛虎とも呼ばれる車丹波守のお城です。
その主郭背後の大堀切です(写真①②)。

藪がVの字に、堀切風に生えてるだけみたいになっていますが(笑)、堀切のサイズがでかすぎるのと、藪というか、藪によく生えてる名前がわからないあの低木の葉っぱが元気すぎて、めちゃくちゃ邪魔なんです。たしかに撮れていないけれど、そもそもうまく入りきらないぐらい大きいです。鎌を持参しなかったことをとても後悔しました。
最初に主郭から見下ろした時には、「谷を堀切って言っちゃうとかやめなよ…」と思いました。一瞬、谷かと思って呆れて引き返そうとしたぐらい、土木量がすごいです。
堀切が猛虎でした😂

車城の行き方です。

Googleマップは、車城址で設定してください。同じ山に車城跡と出ていますが、そちらを選ぶと無理やり民家を抜ける変なルートを取るかもしれないから気をつけてください。
先人様の情報から、川を渡ったスペースに車を駐めました(写真③スペースは川の向こうにある木のところ)。普通車2台ぐらいなら寄せまくれば止められるかなあと思います。ただ、寄せすぎて川に落ちないように気をつけてください。
このスペースに駐めると、車城址と書かれた看板が見えますから、そこからお城に行きます。
舗装された神社の参道を行きます。大堀切までは、何本かの堀切を横目にしながらすぐに行けます。

常磐道や常磐線からポチして終わらせるのはもったいないお城です。ぜひ、足を運んで見ていただきたいお城です。

常陸には北にもいい城があって、登録城ではありませんが、行きやすいところで、御城山城や櫛形城などリア攻めマップに入れてみました。岩城氏との境目の城になるので、常陸の他の地域とはまた土木ぶりが変わっていて楽しめると思います😊

車城の遠景を追加しました。
小さな山の上にあり、川が流れていて、付近は湿地…高い山がない常陸ではこれだけで防御になります。常陸ではおなじみの地形にあるお城です。

2021年07月06日 水天一碧東方之衆
御城山城[車城  周辺城郭]

御城山城は福島県に近い北茨城市関本町にあるお城です。
詳しい来歴は不明ですが、位置的に、岩城氏によるもの、もしくは、佐竹氏がこの辺りを制圧した後に北側への備えとして築城した城ではないかとされています。
ちなみに、反対側の山に、御城山城を見下ろすような位置に館山城があります。二つの城の間には、福島へと抜ける街道があり、重要な街道であったんだろうと思われます。

とにかく大きくて深く長い二重堀に驚きました。思ってた規模を超えていました。特に三郭から二重堀を見下ろしていただきたいです。
オススメです。

2021年02月22日 ファン掃部助トム治郎
車城



車城跡の入り口よりを50mほど過ぎるとお墓がありお墓の切れ目のところに駐車しました。岩城と佐竹の国境あたりにあった城のようです。上からの眺望はききません。

2020年12月15日 南方館衆右衛門佐和侍
車城



登城口は狭くて暗い感じがあり登城するのも怖かったですが、登ってみると登りやすかったです。本郭跡には八幡神社が鎮座しています。井戸跡もありましたがどこがそうなのか分からなかったです。

2018年08月11日 まさ宮内卿猛虎
車城

車城は、我が先祖の居城です。

初の登城の時《15~20年前》には、篠茅をかき分け蜘蛛の巣を祓いながらでした。地元民の骨折りで登城路が整備され、登り易くなりました。感謝感謝です。

駐車場・トイレは無しです。車の置けるのは、用水路の橋を渡って、直ぐ右に少し広い処が有りますから其処がお勧めです。

2017年09月03日 
車城

小学生以来、数十年ぶりに行ってみました。入り口から歩いて山頂の八幡神社まで行った覚えがありましたが、一緒に行った父親が入り口から鳥居までなら軽トラで行けると細いガタガタ道を軽トラで行きました。さすが父親は何十回と行っているだけあって馴れていましたね。こっちは生きた心地がしなかったけど・・。
夏でしたので蚊がいっぱい!薮蚊の宝庫でした。八幡神社は昔に比べるとボロくなっていました。修復する予定は今の所ないそうです。

2017年06月07日 まさ宮内卿猛虎
車城

車城へ登城するには、入口にも車を置けるが、草刈の方々が車で出入が有りますから、入口手前の河川の土手に駐車が良いです。
今回で3回目の登城ですが、昔に比べて登坂路が整備されています。滑り易い所は、コンクリートに。又篠藪は道路には無くなり、登城し易く成りました。

2013年10月31日 まさ宮内卿猛虎
車城

数年前に車城趾を訪問した時だが、城跡を背にした農家の方から、畦道に車を置いて坂道を昇るがよいと。
道は、荒れた道だが、井戸跡を過ぎて更に昇ると本丸へ出ます。其処には、八幡神社の社が有ります。
旧城主は、小学生の郷土史に良く掲載されるとか?
武勇に秀で伊達政宗勢共、戦い勝利を納めてます。佐竹の関係で関ヶ原戦には、参加してないです。其れが原因で、佐竹は秋田に転封。それを不服と幕府に戦を仕掛けるが露見して、協力武士共々捉えられ、磔刑(たっけい…はりつけ)にて殺害される。 その時の衣装は、白のドンスとか?車氏は、数少ない徳川への反逆者では有るが、地元ではちょっとした英雄扱いされる役得とか?

車城の周辺スポット情報

 御城山城(周辺城郭)

 山小屋城(周辺城郭)

 大津三峯館(周辺城郭)

 岩塙館(周辺城郭)

 豊田鹿島館(周辺城郭)

 陣場山館(周辺城郭)

 臼庭城(周辺城郭)

 車伊豆堂城(周辺城郭)

 関本中粟野城(周辺城郭)

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