佐川城(さかわじょう)
佐川城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 高知県高岡郡佐川町甲(牧野公園)
旧国名
- 土佐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 久武親信
築城年
- 天正元年(1573)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 久武氏(長宗我部氏家臣)、深尾氏(山内氏家臣)
廃城年
- 元和2年(1616)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
戸波城(高知県土佐市)[8.2km]
片岡城(高知県高岡郡)[8.9km]
姫野々城(高知県高岡郡)[9.0km]
須崎城(高知県須崎市)[11.0km]
波川玄蕃城(高知県吾川郡)[11.5km]
蓮池城(高知県土佐市)[11.6km]
須崎台場(高知県須崎市)[12.0km]
吉良城(高知県高知市)[15.8km]
森山城(高知県高知市)[16.9km]
朝倉城(高知県高知市)[18.6km]
佐川城の口コミ情報
2024年05月26日 RED副将軍
佐川城
土佐藩主山内氏の筆頭家老であった深尾氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1573年頃に久武親信により築かれたと云われます。
久武親信は長宗我部元親の重臣であり松尾城の城主でしたが、水不足を嫌い向かいの山に築いたのが佐川城です。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて西軍に付いた長宗我部氏は改易となり、土佐には代わって山内一豊が入部すると、山内氏重臣の深尾重良が佐川城に入城。
1615年の一国一城令により翌1616年に佐川城は廃城。代わりに東麓に土居屋敷を構え、明治まで続きました。
見所
標高200mの古城山に築かれています。
山頂に主郭を置き、城域は広く東西に伸びた尾根上に郭を展開しています。
主郭は東側面に高石垣が残り一番の見所です。深尾氏時代のものと思われますが、分かりにくい場所にあり探すのに苦労しました。
主郭南側は二郭を配し堀切で区切られています。更に西へ伸びる尾根筋にも郭が点在し堀切も残ります。西端部の西出郭は周囲を堀切と畝状竪堀で硬められています。
主郭の東側尾根筋には三郭と四郭が堀切と細尾根を経て続きます。
主郭北側下の五郭は物見岩が残りますが公園化により大きく改変を受けています。
現在は中腹が牧野公園となっており、青山文庫の駐車場を利用することができます。主郭までの比高は約160mあります。
佐川町は朝ドラ「らんまん」のモデルで植物学者の牧野富太郎博士の出身地であり、牧野公園では牧野博士ゆかりの約400種の植物を見ることができます。
昨年は牧野博士ゆかりの植物園(東京、兵庫、高知)を全て訪れました。ちなみに「らんまん」は一度も視ておりません。
2024年01月05日 RED副将軍
松尾城[佐川城 周辺城郭]
尾根をザク切りした様な12連続堀切がエグい佐川氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代、築城主等の詳細不詳。
南北朝時代に南朝方の佐川四郎左衛門の拠点でした。築城主ともされますが定かではありません。
1340年に佐川氏は北朝勢と戦い敗北。更に津野氏に攻め寄せられて落城し佐川氏は没落しました。
その後、津野氏の縁者であり佐川氏一族でもある中村信義(佐川信義)が城主となり津野氏の前線基地となりました。
1571年、勢力拡大した長宗我部元親に降伏し、中村信義は隠居。長宗我部氏重臣の久武親直が中村信義の養子となり家督を継承し城主となりました。
しかし城内の水源確保が難しかったことから、新たに佐川城を築いて居城を移し廃城になったとされます。
見所
松尾八幡神社の背後に聳える標高202mの山陵に築かれています。
山頂の主郭と南西峰の二郭を中心として南東、北、南西の各尾根筋に郭群を展開した縄張りです。
南西峰の二郭には巨大な物見岩と西から南側面にビッシリと畝状竪堀群が認められます。
最大の特徴は、南東尾根であり12条の連続堀切で撤退的に防御線を張られており、尾根先端部にも郭が配されています。
主郭から北尾根にも連続堀切と小郭群が連なります。
縄張り萌えで訪城しましたが、南東尾根の大半が下草に覆われていました。冬期に再訪をしたい山城です。
行き方は、南側麓の松尾八幡神社を目標に設定。案内板があり背後に登山道が付けられています。比高は約110mで20分程度で辿り着きます。
写真
①②南東尾根の多重堀切
③北尾根の多重堀切
④主郭の土塁
⑤⑥⑦二郭側面の畝状竪堀群
⑧物見岩
2023年10月14日 かしよし讃岐守1181
佐川城
牧野公園の最上部にある城に入る木戸を抜けて30分ぐらい登ります。公園はよく整備されてますが城跡は踏み跡はまあまあ着いてます。蜘蛛の巣にたまに突っ込みますが遺構は随所に見えます。
2023年04月16日 織田上総介晃司
佐川城
【追記】
2023年上半期の朝の連続ドラマに「佐川小学校」とあったので調べてみるとモデルとなった植物学者・牧野富太郎の出身地で、佐川城のある牧野公園は彼の名を冠した公園でした。
暫くは観光客が多いと思われます。
2022年09月26日 気分爽快豊後守
佐川城
車は観光駐車場に止めました。確かに石垣がありましたが、随所に石がゴロゴロしているので、もっと沢山石垣があったのでは?と想像して見て回りました。
①堀切の土橋部分が石積み
②石垣
③散乱する石
2022年05月03日 織田上総介晃司
佐川城
車は青山文庫前の土の駐車場に停めました。ただ花園保育園のグラウンドにもなっているので平日の利用は難しいかと…
牧野公園の最奥部に登城口があり札を裏返し閂を城側に掛けるので先客があれば待つようになります。
佐川城一番の見どころの石垣へは急峻な獣道を通るので手袋とトレッキングシューズが必要です。
2022年03月06日 大熊猫左近衛中将慶太郎悌次郎
佐川城
牧野公園の最奥部に入口があります。そこから詰までゆっくり登って10分くらいです。駐車場は青山文庫の駐車場に停めるか、そこが満車なら四国銀行・高知銀行の周辺に町の観光駐車場が沢山あるので、そちらから歩いてください。観光駐車場から青山文庫の駐車場まで、ゆっくり歩いて3分ほどです。
竪堀、堀割、石垣などの遺構が見られます。
2022年02月27日 右衛門督ミエ
佐川城
この扉の先は、花咲く公園とは別世界のようでした(笑)
ワクワクして進みましたが、先人の方々のお言葉通り、準備しないと道がわからないので帰ってこれるか危険と判断し10分ほど進んで諦めて戻ったら、扉の前で御婦人方が心配そうに見ていました。女一人で扉を開け黙々と歩く後姿を見て自○志願者かと思ったと言われました、、、
2022年01月31日 もも主殿允
佐川城
先に入城されてる時には待つよぅになってて、初めてお城好きの方と会話しました。せっかくの場所なのにとお声を頂きました。確かに整備されてない獣道で、登るのに大変でした
2021年11月30日 つか征夷大将軍ぽ
石垣[佐川城 遺構・復元物]
詰ノ段(北)の東側にあります。二ノ段から詰ノ段を見て左側に抜けるとありますが急斜面で通路らしい通路も無いので最低限トレッキングシューズやグローブ(軍手)は有った方が良いです。
2021年11月30日 つか征夷大将軍ぽ
登城口[佐川城 碑・説明板]
入口に縄張図があります。また入る時は札を反対にしてかんぬき外して入り裏側を木の板で止めます。複数人入ってる時は出る時のかんぬきと札の判断が難しいですね。
ここまでは公園化してるので軽装で大丈夫ですがここからは本格的な山城になります。
2021年08月29日 刹那F精鋭渡島守【元親】
佐川城
佐川城は大雨の土砂崩れのため入城できません。
2018年03月11日 尾﨑藤兵衛尉政儀
佐川城
佐川城跡もいい城跡ですが、対面にある松尾城跡は、町史跡ですが国史跡レベルの畝状竪堀、12連続堀切が見れるずごい城跡ですよ。ただし、縄張り図無しでは登城しては、危険です。
2017年07月24日 大隅守上
佐川城
ナビで青山文庫を設定して
目指します。
青山文庫に駐車場がありますのでそこに車を停めます。
城跡は牧野公園にあり 入り口に案内板があります。 牧野公園事態が城跡の一部です。
本丸へは そこから木の扉を開けて入ります。
佐川城の周辺スポット情報
物見岩(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
詰ノ段北の土塁(遺構・復元物)
二ノ段(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
松尾城址 登城口(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
南ノ段(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
西ノ段(一)(遺構・復元物)
西ノ段(ニ)(遺構・復元物)
西ノ段(三)(遺構・復元物)
本丸虎口(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
三ノ段(遺構・復元物)
東ノ段(遺構・復元物)
竪堀跡(遺構・復元物)
登城口(碑・説明板)
深尾土居屋敷碑(碑・説明板)
深尾土居図(碑・説明板)
松尾城址(碑・説明板)
佐川城跡案内図(碑・説明板)
本丸跡(碑・説明板)
松尾城(周辺城郭)
斗賀野城(周辺城郭)
鉢ヶ森城(周辺城郭)
城の台城(周辺城郭)
沖之古城(周辺城郭)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)