須崎城(すさきじょう)

須崎城の基本情報

通称・別名

所在地

高知県須崎市多ノ郷甲字蛇ヶ谷

旧国名

土佐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

津野氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

津野氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、石垣

指定文化財

再建造物

周辺の城

須崎台場(高知県須崎市)[1.1km]
姫野々城(高知県高岡郡)[8.5km]
久礼城(高知県高岡郡)[10.0km]
佐川城(高知県高岡郡)[11.0km]
戸波城(高知県土佐市)[11.6km]

須崎城の口コミ情報

カーネル様[2017年08月16日]
土讃線 須崎駅から

駅をでて目の前に見えるのが須崎城。標高も低く傾斜もそれほどでないと思い、気軽に来たら結構ハードだった
雨の中をずっと歩いて、山城をはしごしてたのもありますが、やたらと疲れた印象があるお城です

駅前通りを進みT字を右
レトロな商店街の狭い道を、山に向かって歩くと、山に取りつく階段があるので登ったら公園でした

公園は細長い舌状の平地で石碑があり、奥に続く道を進むと石鎚神社
ここから直登でとにかく登る。廃屋を超えたあたりで山頂にでるけど、遺構なし

なので反対側に降りてみると結構な下りで、戻るか悩みながら進み、登り返すと二の段の看板であります。うれしい

周囲の堀を見てから、本丸へ登る。ここは土塁に囲まれてます

来た道を戻ると駅正面の道にでました。往復して1時間ちょい

時間があったので、駅前正面の駅前食堂で、なべ焼きラーメンとしらすご飯を食べました。最高でした

清水若狭守龍親様[2013年11月14日]
父・元親が土佐国の豪族・津野氏を降し、津野勝興の養子として親忠を送り込んだことにより、津野氏の当主となった。天正13年(1585年)の四国の役で、父が豊臣秀吉に敗れると、秀吉のもとへ人質として送られる。天正14年(1586年)、長兄の長宗我部信親が戸次川の戦いで戦死すると、長宗我部氏の家督相続争いに巻き込まれる。家臣の久武親直の讒言と、人質時代に藤堂高虎と親しかったこともあって父に嫌われ、家督は弟の長宗我部盛親が継ぐこととなった。慶長4年(1599年)3月には元親によって幽閉される。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、盛親が西軍に与して敗れた後、直政を通じて徳川家康に謝罪し、本領安堵をしてもらうように取り付けようとしたが、久武親直が「親忠が藤堂高虎と謀って土佐の半国を支配しようとしている」と讒言したために、盛親によって9月29日に香美郡岩村・霊厳寺にて殺害された。享年29。親忠を殺したことにより、盛親は「兄殺し」として家康に咎められたことが長宗我部氏改易の一因となった。

June02様[2010年11月23日]
姫野々城の支城であり、港の防衛施設であったと推測されます。
アップしている写真は、城山中腹にある物見櫓跡地と推測されるお社を、一段下の公園から撮影したものです。
平地部は、お社部分と公園部分の僅か。
周囲はかなりの急勾配の林で、お墓が数基集まっては、点在。
本丸跡捜索の為、頂上を目指したが、道が分からず、体力的にも無理があり、途中で断念。
中腹迄は須崎駅より徒歩10分強。見晴らし良くベンチ有り。駐車場は2台分ぐらい有り。復路の切り返しが大変そうですが…。
津波避難指定場所。

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