姫野々城(ひめののじょう)
姫野々城の基本情報
通称・別名
- 半月城、半山城
所在地
- 高知県高岡郡津野町姫野々886-1他
旧国名
- 土佐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 津野氏
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 津野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、畝状竪堀
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
須崎城(高知県須崎市)[8.6km]
須崎台場(高知県須崎市)[9.0km]
佐川城(高知県高岡郡)[9.0km]
久礼城(高知県高岡郡)[12.9km]
戸波城(高知県土佐市)[15.1km]
片岡城(高知県高岡郡)[16.0km]
蓮池城(高知県土佐市)[19.4km]
波川玄蕃城(高知県吾川郡)[20.4km]
名野川城(高知県吾川郡)[21.4km]
吉良城(高知県高知市)[23.9km]
[大きい地図で開く]
姫野々城の解説文
[引用元:Wikipedia「姫野々城」の項目]姫野々城(ひめののじょう)は、高知県高岡郡津野町姫野々にあった日本の城。別名、半月城。津野氏代々の居城。
【概要】
新荘川の中流左岸の平地の北側にある津野町立葉山小学校の裏にある標高189mの小山丘上に存在していた。
津野氏は藤原仲平の子である越前国(福井県)今立郡山ノ内の山内経高を祖として、延喜13年(913年)に土佐国に入国したことよりはじまる。 これを理由に最初、津野氏は山内と称していた。津野氏は檮原町・津野山を本拠地とした。新荘川のほとりに津野荘を経営した。これは姫野々城の元である。
永正14年(1517年)、津野元実は一条氏の属城、戸波城を攻めて恵良沼で戦死し、津野氏の勢力は衰退。のちに一条氏の配下となる。
長宗我部氏の圧迫に耐えかねた津野勝興は、長宗我部元親の第三子、津野親忠を自分の養子とし、元親に降伏した。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れると、親忠は切腹させられ津野氏は滅亡した。[続きを見る]
姫野々城の口コミ情報
2020年12月07日 左京進左門
姫野々城
遊歩道が整備されており、登りやすいです。現在は詰ノ段に登る階段からつけられていますが、当時はなかったもので、どのように登ったかはよくわかっていないそうです。発掘調査で出土した遺物は津野町郷土資料館に展示されているそうです。
2017年07月25日 大隅守上
姫野々城
訂正
たま吉の手前左折って書きましたが
葉山小学校の方へ行く場合はたま吉の手前右折
葉山小学校から下ってきたらたま吉過ぎて直ぐ左折です。
2017年07月24日 大隅守上
姫野々城
ナビで行く場合はまず葉山小学校を目指します。
目的地行くまでに たま吉って言うこじんまりした 軽食屋さんがあります。
軽食屋さんの手前に左手に曲がる道がありますのでそこを左折(左折するところに木札があります) 見落とし注意!
行った時見落としてこの集落をさ迷う羽目に(゜ロ゜)
曲がったら後は道なり進むと城跡の入り口迄道があります。
駐車場もあります。
只 道は狭いです。