曽根城(そねじょう)
曽根城の基本情報
通称・別名
- 曾根城、一名浄の城、宇杉城、つつじ城
所在地
- 三重県尾鷲市曽根町字杉城
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 曽根弾正(佐々木宇右衛門)
築城年
- 弘治年間(1555〜1558)
主な改修者
- -
主な城主
- 曽根氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸
指定文化財
- 市史跡(曽根城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
鬼ヶ城(三重県熊野市)[10.8km]
後山城(三重県北牟婁郡)[15.7km]
赤木城(三重県熊野市)[23.5km]
京城(三重県南牟婁郡)[27.5km]
長島城(三重県北牟婁郡)[29.7km]
新宮城(和歌山県新宮市)[31.8km]
堀内新宮城(和歌山県新宮市)[32.5km]
鷹巣山城(和歌山県田辺市)[40.6km]
黒木御所(奈良県吉野郡)[42.7km]
吉野城(奈良県吉野郡)[51.2km]
曽根城の解説文
[引用元:Wikipedia「曽根城」の項目]
曽根城(そねじょう)は、志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)南輪内曽根(現在の三重県尾鷲市曽根町)にあった日本の城(山城)。曾根城とも表記される。別名「つつじ城」など。
概要
標高180メートル、比高178メートルの山頂に建てられた[2]。東西130メートル、南北30メートルの、10の郭があり、2箇所の掘割によって防御されていて、本丸は露出した巨岩を石垣の代用としている。尾鷲市の市指定史跡に指定されている[3]。
歴史
弘治年間(1555年 - 1558年)に近江国甲賀の佐々木宇右衛門(一般には曽根に来て名乗ったとみられる曽根弾正と呼ばれる)が、曽根村落内に構えた居館の裏山に築城した。
遺構・復元建造物
- 城曲輪、堀
- 物見岩 - 石垣が残る。
- 井戸跡 - 風雨にさらされないよう入口を塞ぎ、その上に巨石が置かれた。
周辺施設
アクセス
所在地
- 三重県尾鷲市曽根町字杉城
交通
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曽根城の口コミ情報
2021年06月25日 イオ左衛門佐
曾根氏館[曽根城 周辺城郭]
曾根城は山上の詰の城と山麓の平時の居館で構成されますが、居館は曽根弾正屋敷と呼ばれ、曽根集落内に往時のものとされる石垣が見られます。
屋敷跡から南に少し行くと、佐々木氏(曽根氏)が悪疫退散のため建立したと伝わる曽根石幢があります。その他、集落の墓地には曽根弾正の五輪塔もあるようですが、見落としてしまいました。
飛鳥神社の道向かいにある「歴史探訪のふるさと曽根」の案内板を見れば、曾根城と周辺の見どころがよくわかります。
2021年06月25日 イオ左衛門佐
曽根城
戦国中期、近江国甲賀から入郷した佐々木宇右衛門(六角氏の一族)が曽根弾正を名乗り築いた城で、当初は伊勢国司北畠氏に、北畠氏の滅亡後は新宮から勢力を伸ばしていた堀内氏に従いましたが、関ケ原の戦いで西軍に属した堀内氏が改易されたことに伴って没落したようです。
賀田湾に面した曽根集落背後の城山と呼ばれる山頂部に位置し、主郭部から西にのびる尾根上にいくつかの曲輪を連ねています。また、山麓には曽根弾正屋敷と呼ばれる居館の跡が残っています。
飛鳥神社の前から細い道路に入り、随所にある案内標識に従って城山公園の駐車場へ。駐車場上の立派な猪垣を眺めた後、まだ車で行けそうなのでさらに上って行き、登城口の駐車場に駐めて登城開始。
登城口から曾根城西端の堀切までは急な坂道が続きますが、賀田湾と曽根集落の眺望や城山夫婦石などの巨石を楽しみつつ10分あまりで尾根に到達。堀切は浅くなっていて正直よくわかりませんが、城内には巨石が散在していて、登城路を挟んだ巨石は城門のようです。西尾根の曲輪群は三条の堀切で隔てられ、堀切のところどころは石垣になっています。二条目の堀切(外堀)に架けられた橋を越えて進むと主郭部に至ります。
主郭部の北辺には巨石列が壁のように連なり、物見岩の案内標識に従って巨石列の上を進むと賀田湾を一望する絶景が! 主郭部東下の曲輪には石組みの井戸がありますが、危険になったため大きな石で塞がれています。井戸の反対側には楯石と呼ばれる巨石があり、その名の通り南辺に続く石列と併せて南辺の防御を担っていたと思われます。東にもう一段下の曲輪には貯水施設と思しき窪地があり、そこから石段を下りた先の広い曲輪には一面に巨石が散乱しています。その中でも最大の「鯨石」を眺めつつ進むと、堀切に架かる橋の下に着きます。これで城内一周です。
曾根城は「つつじが城」とも呼ばれるようにオンツツジの名所として知られ、今回のお目当てのひとつでしたが、訪れるのが当初の予定より1~2週間遅れた(2021/04/25)こともあって、見頃は過ぎてしまっていました…。それでも、もうひとつのお目当ての巨石は期待以上で、壁のような巨石列とそこからの眺望は大いに見応えがありました。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
鯨石を見たら帰り道の途中で、最初の空堀の底に出てきます。お腹いっぱいになりましたので下山です。橋を、渡り時計の反対周りで散策する感じで歩いて下さい。お疲れ様でした。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
大坂城の蛸石には遠く及ばないがこの高い場所としたら凄い。あまり他に見た事がありません。大きな口を海側へ向けて横たわった鯨の形です···。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
最後は見落とさないでこの鯨石を見て行って下さい。矢印の方へ進むと···。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
主郭の海側(多分南側)からの石垣。ここまで運んだのか元々ここら辺の石を組み上げたのかどちらかな?
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
主郭の親分さん見たいに見張りしてる桜の神木。ここでブルーシート引いて朝コーヒーしました。貸切り状態で楽しい時···。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
崩落した主郭角の石垣かと思う。どこもかしこも苔、苔、苔です。テラリウムの世界に入ったようです。これ系が好きな方はオススメこ城です。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
主郭も自然に取り込まれてラピュタ状態です。見惚れてしまう苔石がたくさんです。そして森林浴が気持ちいい!
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
井戸跡の近撮影。自然石かどうか分からないが曽根城の石垣群、井戸跡他も凄い事になってます。時間が押していく!
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
お待たせしました、主郭です。苦労の甲斐あり「とったぞ!」ですわ。縦横10メートル位の方形です。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
降りて来た所に井戸跡です。落ちたら危ない観点から蓋石を上にある状態です。深さは未確認。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
物見岩からの湾岸の景観です。行き交う漁船や釣船が確認できます。ここ狭いのがたまにキズ。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
主郭の手前に物見岩。高さそれほどないが、足の落とし所が悪いので注意⚠を。苔石たくさんなので。海が見えますよ(笑)
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
巨石に(つつじが城)山道には蕾を膨らませたつつじがたくさんです。見所は五月中旬頃かな?
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
空堀底に降りた所、地面は苔とシダ類の天国のような鬱蒼さ。涼しい冷気の霊気です。よ(笑)
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
真横からの空堀の遺構。久しぶりに深いのを拝見。これだけ高い場所にこの規模とは。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
橋の真ん中からの空堀です。身長の2倍差です。しかし静かで貸切り状態。あちこちに休憩ベンチがあり休み休み見て下さい。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
人口橋が架かるここ空堀です。橋の真ん中へ来て深さを堪能して下さい。ここまでで休憩しながら1時間弱です。
2019年05月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
曽根城
この看板まで幾度も腰を下ろして登りました。案内板裏に盛土が···早くも土塁の御出迎えです(笑)皆さんしんどいですがここは見所満載の城ですよ。
2016年04月11日 若狭守きこりん
曽根城
地元では「浄の城」と呼ばれ、ツツジの名所であり、この時期は麓の集落から点々と「浄の城つつじ祭り」というのぼり旗が掲げられています(残念ながら今年は花の付きが悪いそうです)。
集落の中を通ってゆく城跡への道は非常に狭く、勾配の変化も激しいので、大きい車や低車高の車では行かないほうがいいでしょう。駐車場は車道の終点までに3箇所あります。真ん中の駐車場と最後の駐車場の間の車道沿いには、江戸時代に築かれた猪垣があり、大変素晴らしい物なので、真ん中の駐車場に停めて登りながら眺めることをおすすめします。
車道から上の遊歩道は急勾配ながらしっかりと整備されており、10分程度の登りで城跡の尾根にたどり着きます。
自然の巨岩をうまく利用した縄張りが面白く、また後世の歩道整備のものと区別がつきにくいものの石積みも多く見られます。物見岩からの賀田湾の眺望も素晴らしいです。
曽根城の周辺スポット情報
曾根氏館(周辺城郭)
曽根石の石丁場跡(寺社・史跡)
シシ垣遺構(寺社・史跡)
曽根弾正五輪塔(寺社・史跡)
曾根城城山公園駐車場(上)(駐車場)