鷹巣山城(たかのすやまじょう)
鷹巣山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 和歌山県田辺市本宮町大居
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、堀切
指定文化財
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再建造物
- -
周辺の城
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赤木城(三重県熊野市)[17.1km]
京城(三重県南牟婁郡)[21.4km]
堀内新宮城(和歌山県新宮市)[24.5km]
新宮城(和歌山県新宮市)[24.8km]
鶴ヶ城(和歌山県田辺市)[26.4km]
黒木御所(奈良県吉野郡)[27.4km]
鬼ヶ城(三重県熊野市)[31.7km]
龍松山城(和歌山県西牟婁郡)[32.1km]
衣笠城(和歌山県田辺市)[34.3km]
阿瀬川城(和歌山県有田郡)[38.3km]
鷹巣山城の口コミ情報
2025年03月23日 上之庄右衛門督平蔵
鷹巣山城
城跡東側にある東光院から少し先にある田辺市営本宮町大居墓地の駐車場に車を停め墓地を抜けて登城。
2024年12月31日 尼崎城山城守一口城主
鷹巣山城
[前編]12/8、和歌山県田辺市の鷹巣山城を訪城。熊野三山巡りで紀南地方を訪れており、鷹巣山城の位置を確認したところ熊野本宮大社から2、3kmということが分かったので新宮の熊野速玉大社をお参り後、Gマップに従い新宮市内から大和八木行きのバス🚌(※本数は少ないです)で本宮大社前では下車せずに本宮大社前から3つ目(3分)の大居口バス停🚏で下車して出陣⚔️
Gマップを頼りに進み、途中写真①の道を左上に進みます。写真①の右側には熊野川が流れ山城の天然の堀の役目を果たしていたのかもしれません。さらに進み集落の入口(写真②)を左に進むと緊急避難所にもなっている東林院のお堂越しに城山(写真③)が見えてきます⛰️12月ながら秋を感じるお堂の道沿い(写真④)を少し進むと墓地の裏手に城山(写真⑤)が見えてきました。墓地の奥の方に階段(写真⑥)を進んだものすぐに途切れてしまいました💦
目的地は見えているので、そこに山城があるからという気合いで斜面に生える気を手掛かり、足掛かりにして直登🥾天然の地形が切岸状になっていて、往時は斜面に木が生えていなかったり、斜面に逆木を置いて攻め上がりづらくなっていたのかも知れません。無事に登り切ると上部は細長い曲輪(写真⑧)になっており写真⑧の奥の方に五輪の塔が見えていました。
2024年12月31日 尼崎城山城守一口城主
鷹巣山城
[後編]山城上部の細長い曲輪に到達後、まずは熊野川方面の五輪の塔がある方面を散策。五輪の塔の上部は落下していたものの、後世まで慕われている方(武将⁉️)だったのか上部の石塔が正面に置き直されていたのが印象的でした。五輪の塔から熊野川方面には石の割合が多い遺構のような盛土(写真②)や小刻みに段差が築かれた痕跡(写真③)などが見られました。
続いて細長い曲輪の熊野川と反対方面を散策。こちらは確かに遺構と思われる土塁があったので前・後・横(写真④⑤⑥)から撮影。写真⑥の石は明らかに人が土留め用のためにか並べたように見受けられました。土塁から少し奥に進むと速水山という黄色い標柱(写真⑦)がありました。
鷹巣山城の説明板がなかったので、いろんな可能性が考えられる余地がある山城ですが、私的には山頂部を削平して細長い曲輪を築き両端は土塁などで防御を固め、両サイドの山の斜面は切岸代わりに活用したのではないかという感想でした。
下山後、山麓の東林院に立ち寄ったところ山号が山城と同じ名前(鷹巣山 東林院:写真⑧)だったのでもしかしたらお寺の方が山城について何かご存知かと思い訪ねてみました。運良くお寺の方はいらっしゃったのですが、あまり知らないとのことで村史に記載はあるよという山城でした。
2021年04月10日 まるき〜出羽守
鷹巣山城
城跡下の墓地の駐車場を拝借しました
墓地の右端の道のような道で無いような道で直登
主郭の北側に出ます、直ぐ左手には2条の堀切と竪堀、両脇は帯曲輪?
犬走りのような通路が続く、その上段が主郭でしょう(たぶん)
南に進むと一段下がった所に曲輪、そこから熊野川がよく見える。
お弁当食べてるとシジュウカラやヤマガラが寄ってきます
先は降って行くばかり、たどり着いたのはお墓の左手…
そう、このルートは全くの逆でした
城攻めする方はお墓の中から左上方向に登城して下さい…。
堀切から尾根沿いに北側ですが、どこまでが城跡かわからず途中で撤退しました、左通路の奥は水が流れていました。
2021年01月19日 近江守フロクニ
三里城[鷹巣山城 周辺城郭]
熊野古道小辺路から分岐してつづら折れで南南西に登る道の途中に神社に登る階段があります。道を登り切ると公民館?が有るので車はここに停められそう。頂上の平坦部の広さと崖の急さが人の手によるものの証拠かもしれません。