衣笠城(きぬがさじょう)

衣笠城の基本情報

通称・別名

衣笠山城、愛洲城

所在地

和歌山県田辺市中三栖

旧国名

紀伊国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

愛洲経信

築城年

文永年間(1264〜1275)

主な改修者

愛洲氏

主な城主

愛洲氏、小牧氏

廃城年

慶長20年(1615)

遺構

曲輪、帯曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

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衣笠城の解説文



衣笠城(きぬかさじょう)は、紀伊国(現・和歌山県田辺市中三栖)にあった日本の城。

概要 

鎌倉時代、南部庄・三栖庄・秋津庄の地頭である愛洲経信が衣笠山に築城し、1247年(宝治元年)の宝治合戦以降に職を辞した経信が晩年に南部館から居城を移し、以降、紀伊愛洲氏の居城となった。田辺市立三栖小学校の北西に位置する。

南面に熊野街道中辺路および田辺湾、北面に秋津野を見下ろす要衡であった。

廃城年は不明だが、1615年(慶長20年)、愛洲直俊が浅野長晟に従って大坂夏の陣に参戦し、樫井の戦いで討死し、これ以降、帰農しているところから廃城もこの前後と思われる。

城は山城で、遺構として石垣がわずかに残されている。

第二次世界大戦末期には、田辺海兵団(第6特攻戦隊司令部)により桜花43乙型の特攻基地(カタパルト)が設営されていた。

衣笠城の口コミ情報

2024年01月01日 宇治ひろの勘解由長官ふくやん
衣笠城



2023大晦日に攻城。和歌山らしく段々のみかん畑と梅林の間を登ると城趾に辿り着きます。惜しむらくは麓から本丸に至るまで案内らしきものは見つかりません。しかし、本丸からの眺望は絶景と言えるでしょう。戦国期の土着した地方豪族の籠もった城跡としてわかりやすい遺構かもしれませんね。

2019年01月03日 しましま志摩守
衣笠城

城の南側から登りました。車(軽)で本丸の下まで行けます。三栖小学校の、ひとつ西側のバス停。中の宮BSから登って行けます。

2016年03月12日 柳生兵庫助如雲斎
衣笠城

龍神バス、龍神温泉行きにて上秋津停留所前くらいから制覇

衣笠城の周辺スポット情報

 城址碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

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