亀山城(かめやまじょう)
亀山城の基本情報
通称・別名
- 丸山城、湯川城、湯河城
所在地
- 和歌山県御坊市湯川町丸山
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 湯川光春
築城年
- 室町時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 湯川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 市史跡
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
入山城(和歌山県日高郡)[1.5km]
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亀山城の解説文
亀山城の口コミ情報
2018年05月26日 シバヤン近江守雲外蒼天
亀山城
この亀山城麓の紀央館高校跡から湯川氏の小松原城館の遺跡群が発掘調査から判明したことが今年(2018年1月)に発表がありました。大きな濠を周囲にまとった規模に発掘チームも興奮した様子です。
また、私の推理ですが、普段はこの館で暮らしや政務をとり緊急事態には亀山城に退避する構えかと思いました。
山城登城散策されたら汗もかかれます。この紀央館高校から南に行き小松原南の交差点まで行けば(野天風呂宝の湯)がありますので汗を流されるのをお勧めします。
少しぬるめで長風呂派には喜ばれると思います(笑)。
ここでも食事休憩できますが、お勧めは御坊駅前のいきいき酒場です。しらす丼とうどんのセットは美味しいですよ(笑)。
2018年05月26日 シバヤン近江守雲外蒼天
亀山城
JR御坊駅ホームの北側にある山が目的なのであるが、改札口は逆の南側•••。左手にコンビニがあり、ここで頂上で一人宴会用に食料と飲料水を購入。バスターミナルから西に伸びる道を歩き、北裏病院の前を通り過ぎて紀州鉄道の踏切を渡って直ぐに北に伸びる道を進みます。川にかかる橋を渡り左へ。後は亀山城までの看板がありますから探しながら進んで下さい。
登城手前に集会所があります。車も止めれます。ここから右手に登り道がありこれが亀山城入口。舗装化されてありスニーカーでも十分。山頂まで20分~30分で本丸下に曲輪、本丸の周囲に土塁、特に西側はかなり高いです。城趾のある本丸はかなり広いです。北側は切岸があります。本丸下に簡易トイレとテーブル、ベンチ。食事休憩も十分できます。たまに野兎が顔出しもあります(笑)。御坊の街を一望できる眺望は素晴らしい!紀州の湯川直春の底抜けに明るく豪快さが感じる城ですよ。
2015年05月22日 じゅん
亀山城
亀山城西側の丸山集会所に車を止めて登れます。
頂上まで四駆の軽自動車かバイクなら辛うじて登れますが、途中止まると悲惨です。
JR御坊駅北からも登れます。
2014年11月22日 大宰大弐あさよし
亀山城
JRと亀山の間に丸山集会所があり、そこに車を止められます。案内板が親切
2014年05月13日 伊達常陸入道ねんさい伊予守
亀山城
城跡の西側の丸山集会場に石碑があり、城山への入口もそばにある。山頂までは途中に案内があるので分かりやすかった。
山頂には本丸と周りの曲輪と土塁がよく残る。
今の遺構より実際の亀山城はもっと規模が大きかったらしい。
【歴史】
築城年代は定かではないが、湯川氏により築かれたと伝わる。
湯川氏は南北朝内乱期には北朝に属して勢力を拡大し、少なくとも15世紀初頭には将軍直属で守護不入権を持つ奉公衆に編成された。戦国時代には、守護の畠山氏をも凌駕するほどの実力を備えていたという。
亀山城は小松原館の詰城として、15世紀中頃の両畠山氏の家督争いの時期に築かれたと推定される。畠山氏が政長流と義就流に分かれて抗争を始めると、湯川氏は政長流について戦った。その後は紀伊国内で地位が向上し権力を保持したようだ。
永正17年(1520)には、熊野衆と結んで紀伊国内に覇権を確立しようとした畠山尚順を、野辺氏らと結んで淡路に追放。以後、日高郡・有田郡にまたがる戦国領主として君臨した。
天正13年(1585)の羽柴秀吉による紀州攻めでは、湯川直春は抗戦を主張。娘婿である手取城主の玉置直和がこれに従わなかったため、200余名で手取城を攻め落とした。その後、秀吉の大軍に亀山城を攻められると、湯川氏は城を焼き払って退去し、後に和睦した。
【遺構】
日高平野の中央部にそびえる、標高約120mの亀山に築かれている。城東1.5kmには熊野街道、山麓には比井殿街道が通る。
本城と、東尾根の出城で構成される。本城は上下2段に分かれ、直線的な土塁で囲まれた空間だ。南西隅や南東隅部には櫓台らしき高まりもあるが、堀切などの遮断線はなく、2か所の虎口も平虎口だ。
出城は本城の東尾根先150mのところにあり、現在は竹林になっている。削平のあまい主郭の東側に3本の堀切を設け、周囲に横堀のような溝を取り巻いているという。
本城と出城を合わせても小規模で、小松原館と比較すると面積は狭い。秀吉の侵攻時に城に籠らず逃げていることからも、籠城を想定した城ではなかったようだ。
【交通】
西日本旅客鉄道・紀州鉄道御坊駅から徒歩約25分
湯浅御坊道路御坊ICから車で約15分
【参考文献】
・『図解 近畿の城Ⅱ』戎光祥出版、2015年。