小松原館
小松原館([亀山城 周辺城郭])
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小松原館の口コミ情報
2024年01月03日 国府左京大夫城介
守護館にも匹敵する湯川氏の居館
【歴史】
天文18年(1549)頃に、湯川直光(湯川氏第11代)が土居を築いたと伝わる。
天正13年(1585)に豊臣秀吉の旗手征伐が始まると、湯川直春(直光の子・湯川氏第12代)は熊野山中に退去し、その際に居城の亀山城と共に小松原館にも火をかけたと伝わる。
別名:小松原土居、小松原屋敷
【遺構】
亀山城の南東950mに位置し、東西225m・南北200mにもなる方形居館であった。
遺構は湯川子安神社に館の庭園池の跡が残るのみである。
往時の館は、高校と中学校の敷地に位置し、発掘調査から北側と西側には堀の跡が確認され、特に西側の堀は二重堀だった。また、東側にも外堀があり、堀底から柱が出土したことから、搦手虎口に架けられた橋跡と推測されている。
【感想】
紀州において強大な勢力を誇った湯川氏の居館跡ですが、当の湯川氏については『センゴク』に登場するまで全く知りませんでした。
今回はその湯川氏の居城である亀山城と、平時の居館である小松原館を両方訪れました。亀山城は正に戦時の詰城ともいえる巨大な山城でした。この小松原館は平時の居館ですが、発掘調査の結果からは二重堀を施すなどある程度の防備を備えていることが分かります。
しかし、遺構として確認できるのは湯川子安神社にある庭園池のみですが、この池は館の東南に位置しています。そのため、小松原土居は花の御所や守護館を模して建てられたようです。あとは、僅かに道路の形状から外郭部とかを推測することができると思われます。
神社内には樹齢千年以上の樟があり、小松原館が在った頃から存在していると思われます。
亀山城をリア攻めするのであれば、この小松原土居も併せて訪れることをお奨めします。駅近でもあり、ぱっと見ることが出来るので時間調整するのにも丁度いいかと思います。
【アクセス】
御坊駅から徒歩6分程。
駐車場はなく、神社前の道は細いので路駐は不可。
【写真】
①湯川子安神社
②石碑
③説明板(湯川子安神社)
④⑤庭園池
⑥樟
⑦堀跡