湯浅党城館(ゆあさとうじょうかん)
湯浅党城館の基本情報
通称・別名
- 湯浅党城館[湯浅城(平野城)・藤並館(藤並城)]
所在地
- 和歌山県有田郡湯浅町青木/有田川町熊井他(地図は湯浅城を示す)
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 湯浅宗重[湯浅城]、不明[藤並館]
築城年
- 康治2年(1143)[湯浅城]、不明[藤並館]
主な改修者
- 湯浅氏[湯浅城]
主な城主
- 湯浅氏[湯浅城]、藤並氏、堅田氏[藤並館]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて]
指定文化財
- 国史跡(湯浅党城館跡)
再建造物
- 碑、説明板[すべて]
周辺の城
-
岩室城(和歌山県有田市)[5.2km]
鳥屋城(和歌山県有田郡)[7.6km]
小坊子城(和歌山県日高郡)[11.1km]
大野城(和歌山県海南市)[11.6km]
亀山城(和歌山県御坊市)[14.3km]
日方城(和歌山県海南市)[14.6km]
手取城(和歌山県日高郡)[15.1km]
入山城(和歌山県日高郡)[15.4km]
本之脇城(和歌山県日高郡)[17.2km]
雑賀城(和歌山県和歌山市)[17.4km]
湯浅党城館の解説文
[引用元:Wikipedia「湯浅党城館」の項目]
湯浅城(ゆあさじょう)は、紀伊国有田郡(和歌山県有田郡湯浅町青木)にあった日本の城。城跡は国の史跡に指定されている[1]。
概要
康治2年(1143年)に湯浅宗重によって在田郡の青木山に築城された山城である。代々湯浅氏が居城した。湯浅城は要害として知られ、文安4年(1447年)に畠山氏がこの城を三度攻めてようやく落としたとされる。
城跡には土塁、曲輪等が残る。青木山の向かいには城を模した湯浅温泉・湯浅城があり、4階の資料館には湯浅氏に関するものが展示されている。
2012年4月15日、地元のボランティア団体が中心となって、全国の湯浅姓70人の有志を集めてイベントを行い、城跡に湯浅宗重顕彰碑を建てた[2]。
城跡は2021年に国の史跡に指定された(藤波館跡とともに「湯浅党城館跡」として指定)[3][4]。
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湯浅党城館の口コミ情報
2026年03月12日 ᴿᴱᴰ副将軍
湯浅党城館
※登録地である湯浅城の口コミです
紀州最古の城とされる湯浅党の本拠地🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1143年に湯浅宗重により築城。
湯浅氏の出自は諸説あり、紀国造、清和源氏、桓武平氏とする説もありますが、鎌倉時代の湯浅氏は藤原鎌足の子孫として藤原氏を称しました。
湯浅氏が記録として現れるのは、1160年の平治の乱であり、平清盛が熊野参詣の際に京都の異変を知り、湯浅宗重が帰京を手助けしたと伝わります。
源平合戦では源氏に従い、湯浅宗重は湯浅荘を安堵され鎌倉御家人となり、河荘・保田荘・田殿荘・石垣荘の地頭職に任ぜられました。
その後、有力御家人として勢力を拡大。紀ノ川流域にまで所領を広げ、一族は湯浅党と呼ばれる巨大な武士団を組織しました。
南北朝時代には南朝方に従い、文安年間(1444年~1449年)には義有王を奉じて湯浅城に立てこもったとされます。
しかし南朝方が不利になると湯浅党は内部分裂を繰り返し、北朝と南朝に別れて勢力は急速に衰退していきました。
室町時代後期に近隣の広城を本拠とした畠山氏が拠点として利用する際に大規模な改修を行ない、現在の縄張になったと考えられています。
見所
山田川東岸の標高78mの青木山に築かれており湯浅市街を一望できるロケーションです。
頂部に主郭を置き、南東と西の2か所に虎口が開口。南東虎口は主郭南下の二郭につながり、二郭には城跡碑が立っています。
二郭の更に南下には三郭、その北に四郭、その東に五郭と六郭を配し、四郭と五郭との間は竪堀で区切られ土塁状の土橋が架かります。
主郭の西側下には七郭を配し、堀切で区切られ土塁状の土橋が架かります。
七郭の西には八郭があり、さらに西側下は土塁で囲まれた武者隠し状の空間が認められます。
平安時代後期に築かれた紀州最古級の城とされ、中世城郭にみられる堀切や空堀はあまり使用されておらず、高く鋭い切岸のみで防御といういわゆるストロングスタイルの城郭です。
国史跡に指定されていますが、私有地であり普段は立入禁止となっています。
年に数回の特別公開日のみ見学可能で訪城難易度は高めです。
次回は未定ですが、興味がある方はこまめに湯浅町のHPを確認してください。
2024年10月30日 noble大納言弥勒菩薩
藤並館[湯浅党城館 周辺城郭]
藤並氏の城館。辺りは一面のミカン畑&住宅地ですが、四周を囲っていたと思われる堀跡のうち、北側部分が良好に残存しています。残してくれた地権者の方に感謝。
周囲はごく狭い道で、かつ側溝(というか割りと幅広の水路)もあるので駐車できるところは見当たりません。かなり離れたところに場所を探して短時間路駐しか無さそうです。住宅のあいだをすり抜けて行く、恐らく私道に、案内板が出てきます。城趾の北側です。
2024年08月13日 織田上総介晃司
湯浅党城館
湯浅城:国民宿舎湯浅城を目標にして行くと、五層の天守を連立式櫓で取り囲む建物が見えます。もちろんこれは温泉宿泊施設です。
本来の湯浅城は国民宿舎の南にある山城で、現在管理者が有田川町教育委員会になってます。見学できるかどうかは連絡してみてください。
♪ゆあっさー(さーさー)愛で空が落ちてくる〜と歌ってしまいました(笑)
2024年02月03日 tracer_azu
広城[湯浅党城館 周辺城郭]
広城(高城城)
岩盤堀切の残る良きお城ですがスポット登録がなかったので登録しました^ ^
広城の主郭は西側にあったようですが、、
現在は果樹園となっており、、遺構は壊滅してしまっていますが、東城の方の遺構はよく残っていました。 特筆すべきは岩盤を掘削した堀切、さらにクランクするように土塁が設けられています。
またII曲輪背後には二重の堀切があり、高低差も素晴らしくこちらも岩盤堀切となっていました。
2023年12月30日 近江守Silvine
湯浅党城館
湯浅城ですが、2023年12月現在は管理者が有田川町教育委員会になっており、連絡先もそちらに変更されていました。連絡してみたところ、現在は年に何度か日にちを決めて公開しており、普段は非公開との事でした。
2023年12月08日 池田紀伊守信輝
湯浅温泉湯浅城[湯浅党城館 御城印]
湯浅温泉湯浅城 御城印
¥200
日付空欄販売
2022年01月03日 鈴木剛
藤並館跡[湯浅党城館 碑・説明板]
鎌倉時代には藤並氏の居城 室町時代には堅田氏の居城 平地に築かれ現在まで残る貴重な史跡です
2022年01月03日 鈴木剛
藤並館[湯浅党城館 周辺城郭]
湯浅党支配下の藤並氏の居城 堀と土塁が残っている
2022年01月03日 鈴木剛
広保山城の説明看板[湯浅党城館 碑・説明板]
平安時代末期湯浅宗重が築いた有田地方で最古の城だそうです
2016年09月10日 青コアラ美濃守
湯浅党城館
国民宿舎入口の目の前の山が城跡ですが、登り口はそこから南側に回り込んだ所です。(案内板あり) 車高の高い車なら1台駐車可能。
入口は施錠されていますが、城跡を管理されている方の電話番号が書かれているので、そこに電話すると鍵を開けに来てくれます。パンフレットも貰えました。
入るとすぐ、野面積み石垣と案内のある石垣が現れますが、積み方が斜めになっており、恐らく城の遺構ではないでしょう。リアル湯浅城は、五層天守が聳える国民宿舎とは似ても似つかぬ、切岸や削平地等で構成された典型的な中世の山城です。あちこちに説明板が立てられているので分かりやすいです。
見学後は扉の施錠とお礼の電話を忘れずにしましょう。
なお、ウィキペディアによると国民宿舎の四階が湯浅城の展示室になっているとのことですが、今は何も無く、四階は閉鎖中になっていました。
2012年05月27日 三河守コーキしゃん
湯浅党城館
駐車スペースはないので適当な路肩に駐車します。
国民宿舎の道を挟んだ山が城跡です。
南側に登城口がありますが柵と扉で入れなくなっていました。
扉の前に「入りたい方連絡して下さい」と書いてありましたが時間が無く断念しました。
2010年07月24日 こぱんだ左馬助
湯浅党城館
これは、国民宿舎です。
城趾はとなりの山です。









