龍松山城(りゅうしょうざんじょう)
龍松山城の基本情報
通称・別名
- 竜松山城、市ノ瀬城、市之瀬城、弘撰寺城
所在地
- 和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 山本忠行
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 山本氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、堅堀、切岸
指定文化財
- 県史跡(龍松山城跡)
再建造物
- 碑、説明板
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龍松山城の口コミ情報
2022年12月19日 気分爽快豊後守
龍松山城
本丸を二ノ丸が囲む単純な構造。本丸の北には二重の堀切が確認できる。二ノ丸まで車で行くことは可能だが、道は細い。
2022年02月11日 RED副将軍
龍松山城
湯川衆 山本氏の詰城
舗装された林道で二郭まで車で登れるお気軽城
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
天文年間(1532年〜1555年)に山本忠行よって築城。山本氏の詰城です。
山本氏は清和源氏の系譜で山本勘助と同族とも言われています。
1585年の豊臣秀吉による紀州征伐においては杉若無心、藤堂高虎らの3,000の軍勢を僅か300の兵で応戦。3か月間の籠城の末に和睦するも、結局は東堂高虎の館で謀殺されてしまいました。
見所
山頂を同心円上に2段に削平され主郭と二郭を形成し、北側尾根は二重堀切で断ち切るシンプルな縄張りですが、規模はかなり大きいです。
主郭、二郭は土塁が巡りますが残存度は薄め。
主郭北側の大堀切は大規模ですが、余りにも酷いヤブに覆われて降りられず。
2021年02月23日 山本官兵衛
龍松山城
ご先祖様の御無念はいかばかりか…
登城は容易で二郭まで乗用車で登れます。
2018年06月09日 ノボッタ大炊頭
龍松山城
平成30年3月に新しい説明板付いたようです。文字だけで、前は手書きのイラスト付きの味がある看板だっただけに少し残念です。
2013年04月22日 三日左馬助落人
龍松山城
国道311沿いに見逃しようがない大きな看板があるので、登り口はすぐわかります。
なら二の丸まで舗装道(狭いですが)があり、スペースと簡易が設置されるなど整備されていました。
縄張りは単純ですが遺構は意外にしっかり残っており、本丸を囲む土塁や切岸・堀切などが確認できます。ただ、本丸と二の丸以外はブッシュがひどくて苦労します
城跡の説明板は文字がかすれて読めず、こちらにまだ説明文もないですが、天正13年の豊臣秀吉による紀州攻めに対し、わずかな兵力で3ヶ月に及ぶ篭城に耐えた歴史があります。
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