新宮城(しんぐうじょう)

新宮城の基本情報

通称・別名

丹鶴城、沖見城

所在地

和歌山県新宮市新宮

旧国名

紀伊国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重5階/1633年築?/破却(廃城令)]

築城主

浅野忠吉

築城年

元和4年(1618)

主な改修者

水野重仲、水野重上

主な城主

浅野氏、水野氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、天守台、石垣

指定文化財

国史跡(新宮城跡附水野家墓所)

再建造物

説明板

周辺の城

堀内新宮城(和歌山県新宮市)[0.8km]
京城(三重県南牟婁郡)[6.0km]
赤木城(三重県熊野市)[18.8km]
鬼ヶ城(三重県熊野市)[21.2km]
鷹巣山城(和歌山県田辺市)[24.8km]
古城山城(和歌山県東牟婁郡)[28.2km]
曽根城(三重県尾鷲市)[31.8km]
後山城(三重県北牟婁郡)[46.4km]
黒木御所(奈良県吉野郡)[46.6km]
龍松山城(和歌山県西牟婁郡)[48.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)167 新宮城

設置場所

新宮市立歴史民俗資料館[地図

新宮城の解説文



新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった日本の城。別名丹鶴城(たんかくじょう)。また、沖見城(おきみじょう)とも称された[1]。城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されている[2]

概要 

新宮城は、熊野川沿岸の田鶴原(たづはら)と呼ばれたあたりの小高い丘である丹鶴山(現在の和歌山県新宮市新宮字丹鶴)に築かれた平山城である。別名・丹鶴城は、もとこの地に、源為義と熊野別当の娘の子である丹鶴姫の住まいがあったことによる[3]。ちなみに、「堀内新宮城」(別名・堀内屋敷)を築城した堀内氏[4]以前に、熊野地方を統治した新宮氏の祖とされる新宮十郎行家(源頼朝の叔父[5])は、丹鶴の弟である[6]。堀内氏時代の「堀内新宮城」(堀内屋敷)の城跡は、全龍寺の境内となり、寺の西側に水堀が残る。

現在の地に築城したのは浅野忠吉であり、一国一城令により一度廃城した後、忠吉が再築城した新宮城には、大・小の天守や二ノ丸(水野氏時代には鐘ノ丸)などがあった[7]。松ノ丸のある姿となったのは水野2代重良の頃である[8]。浅野・水野氏時代の「新宮城」の城跡には、切込み接ぎ(きりこみはぎ)の石垣のほかに打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石垣も残されている[9]

1952年(昭和27年)には、新宮城本丸周辺は民有地となっており、当時旅館業を営んでいた業者が旅館「二の丸」入口(登坂〈とさか〉側登り口。本来の水野氏時代の二ノ丸は、現在の正明保育園の場所に位置する)と本丸を結ぶケーブルカーを運行していたが、ケーブルカーは1980年(昭和55年)に休止し、1990年代に正式廃線となっている。現状は、民有地時代のケーブルカー跡なども残るが、本丸のほか主な城域が公有地化されて丹鶴城公園となっており、「和歌山県朝日夕陽百選」にも選定されている。地下には紀勢本線のトンネルが通されている。また、東側の一部は天理教南海大教会の敷地の一部になっている。現在、新宮市では天守の再建も視野に入れた整備計画が進行中である。

歴史 

もともと田鶴原と称されたこの地には、平安時代末に熊野三山を支配した熊野別当の別邸が建てられ、その後代々が居住したといわれる。源為義は、熊野別当の娘のもとに通い1女1男をもうけたが、その女子が丹鶴山および丹鶴城の別名の由来となった丹鶴姫である[10]。丹鶴はのちに熊野別当第19 代となる行範(ぎょうはん)に嫁ぎ、行範が死去すると剃髪して鳥居禅尼と名乗り、1130年(大治5年)、丹鶴山に夫の菩提を弔う東仙寺を建立した[11]

安土桃山時代

堀内氏
堀内氏の「堀内新宮城」(堀内屋敷)は、天正年間(15731593年)に熊野地方を統治した堀内安房守氏善が構えた平城であり、その城跡は、新宮市千穂にある全龍寺(新宮城主・水野重仲〈重央〉の菩提寺)に位置し、西側に水堀の一部が認められる[12]。この堀内氏の居城は、堀内氏が関ヶ原の戦いで西軍方についたため、東軍(徳川)方に寝返った桑山一晴により攻略された。ちなみに、全龍寺の近くにつけられた「取出町」という地名は、氏善の砦があったことによるといわれる[13]

浅野氏
代わって1601年(慶長6年)、紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が築城を開始し、丹鶴山にあった東仙寺および香林寺(崗輪寺〈堀内氏時代以前〉[14]、熊野速玉大社の神宮寺。現・宗応寺)を移転させ[15]、翌1602年(慶長7年)に城を築いた。

江戸時代

1615年(元和元年)、一国一城令により廃城となる。その後、1618年(元和4年)に再び築城が認められると、浅野忠吉は熊野川沿岸の新宮城の再築に着手した。

水野氏
1619年(元和5年)、完成を前に、浅野氏は備後三原の三原城(現在の広島県三原市)へ転封し、徳川頼宣が紀州藩主として入国して以後、付家老・水野重仲(重央)が城主となった[16]。重仲は浅野氏の築城を継続し、2代重良の時代の1628年(寛永5年)に城下の田地であった伊佐田(いさだ)に堀を設け[17]、城は1633年(寛永10年)に完成を見たが、その後も3代重上が石塁などを造築し、1667年(寛文7年)、現在に見られる近世城郭が完成した。

1664年(寛文4年)、地震により松ノ丸が崩れている。また、1707年(宝永4年)の宝永地震による石垣などの被害は、幕府に届け出るため1708年(宝永5年)に作成された「紀州新宮城絵図」に見られ[18]、翌1709年(宝永6年)に大補修工事がなされている。さらに、1808年(文化5年)には暴風雨により被災している。

明治時代

水野氏の居城として明治維新を迎えた。1869年(明治2年)、水野忠幹の封土奉選後、新宮城の下屋敷に新宮藩の藩庁が置かれ、1871年8月(明治4年7月)には廃藩置県により旧藩庁に新宮県庁が置かれたが、1872年1月(明治4年11月)に和歌山県と合併した。1873年(明治6年)の廃城令より、天守などの建物を払い下げ、1875年(明治8年)までにすべて取り壊されて、旧材は寺院などに転用された。1891年(明治24年)には二ノ丸(上屋敷)跡に天理教南海大教会が開設され、1972年(昭和47年)に移転すると天理教会婦人部が経営する現在の正明保育園が開園している[19]

大正時代

1920年(大正9年)、伊佐田池(いさだのいけ)とも呼ばれる堀の埋め立てが着工され、1922年(大正11年)には大部分が「丹鶴町」として造成された[20]

昭和時代

1952年(昭和27年)、鐘ノ丸跡を中心とした民営の旅館「二の丸」が開業し、日本一短いといわれたケーブルカーや[21]遊具が設置され、ビアガーデンも開設された。ケーブルカーは1954年(昭和29年)に建設されたもので、定員10名、軌道約100メートル、駅間88メートルの距離を運行していた[22]。その後、1979年(昭和54年)10月に、旅館のあった鐘ノ丸や松ノ丸を除き、新宮市が本丸跡および登城道の全範囲を買収[23]。1980年(昭和55年)には主要部分を買収し、丹鶴城公園として、本丸・出丸・鐘ノ丸・松ノ丸跡などの整備が開始された。ケーブルカーの運行は、1980年(昭和55年)11月、美智子妃殿下(当時)の訪問時が最後となった。

1983年(昭和58年)10月、江戸千家を創始した茶人である川上不白の顕彰碑が、天守台のあった石垣の下に建立された[24]。不白は1719年(享保4年)に水野氏の家臣のもとに生まれ、碑には不白が好んだという「清風生蓬莱」の文字が彫られている。また、1985年(昭和60年)3月に「丹鶴姫之碑」が本丸跡に備えられ[25]、1986年(昭和61年)10月には、村井正誠の揮毫による与謝野寛の歌碑が建立された。

平成時代

2003年(平成15年)8月27日、新宮城跡は水野家墓所とともに「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定された[26]。2017年(平成29年)4月6日には、続日本100名城(167番)に選定されている。

構造 

新宮城は、和歌山県の東南端、熊野川の右岸に位置する丹鶴山に築かれた。正保年間(1645-1648年)に、諸藩が幕府に提出した正保城絵図の一つである「紀伊国新宮城之図」には、熊野川に突き出た新宮城の縄張とその城下町が描かれている[27]。その絵図によると、城山には、天守台と本丸、分離した出丸、鐘ノ丸、松ノ丸があり、西側の山麓には二ノ丸(上屋敷)や下屋敷、また、水ノ手の船着き場まで上下連郭式に配置され、現状とほぼ同様の構造が描かれている。

1667年(寛文7年)、増築は水野3代重上により完成し、規模は、東西180間(約324メートル)、南北110間(約198メートル)、周囲540間(約972メートル)であったといわれる。北側は熊野川に面し、また、南側には東西75間(約135メートル)、南北45間(約81メートル)、深さ1間半(約3メートル)の堀が造られていた[28]

本丸

東西180間(約324メートル)、南北115間(約207メートル)。城郭の中心として北東の最高所(標高約60メートル)に位置し、北面には正保城絵図に記されていない搦手の枡形虎口が残る。本丸の南端には天守台が設けられ、3層5階と推定される天守閣があったといわれる[29]。天守台の石垣は、昭和20年代に崩壊。

出丸

本丸の北西に突き出た長方形の別郭で、熊野川や水ノ手を見下ろす位置にあり、本丸側に面して入口の石段が見られる。浅野氏の時代には本丸とつながりその間に城門があったが、水野氏の時代には完全に切り離され、本丸側の石積みには橋を架けた部分を埋めた改修の跡が認められる[30]

鐘ノ丸

本丸の南西部にあり、浅野氏の時代には二ノ丸であった[31]。切込み接ぎ布積みの石垣や桝形虎口跡が残る。

松ノ丸

鐘ノ丸の西側に付属し、虎口跡が残る。

二ノ丸

東西32間(約58メートル)、南北28間(約50メートル)。西側の山麓にあり、浅野氏の時代は三ノ丸であったが、水野氏の時代には二ノ丸(上屋敷)となり、大手道が北側から松ノ丸へと通じていた。また、道路を挟んだ現在の市街地(NTT跡)には下屋敷があった。二ノ丸跡には、花崗岩による算木積みの石垣が残る。

水ノ手

水ノ手には、北側の熊野川に面した船着き場が置かれた。1994年(平成6年)、水ノ手で行なわれた調査において[32]、13棟の炭納屋群跡が発掘され、水野氏の時代に備長炭を江戸の市場に送り財源を得る拠点であったことが認められた。

文学 

佐藤春夫

新宮城跡の南西の麓に、詩人・作家である佐藤春夫の父が建てた「熊野病院」と家があったことから[33]、幼少時より城跡によく登ったことが、小説『わんぱく時代』などに描かれている[34]

与謝野寛歌碑

1906年(明治39年)11月、与謝野寛が大石誠之助に招かれ、北原白秋・吉井勇・茅野蕭々らと初めてこの地を訪れた際に詠んだ歌。1910年(明治43年)の歌集『相聞』(あいぎこえ)では、「海を觀る憂(うれひ)きたらず喜び來(く)誰そ淚すや城のゆふべに (丹鶴城に登りて。)[35]」とされている[36]

周辺 

  • 熊野速玉大社
  • 佐藤春夫記念館
  • 西村記念館
  • 阿須賀神社

参考文献 

  • 【書籍】「定本・和歌山県の城 」
  • 【書籍】「城 5 近畿 」
  • 【書籍】「日本城郭大系 第10巻 三重・奈良・和歌山 」

新宮城の口コミ情報

2024年11月01日 noble権中納言弥勒菩薩
新宮城



丹鶴城、新宮城です。

現在保存されている城域は狭く、丘陵上一帯になります。本来は、麓にも曲輪が拡がっていたらしいです。

登り口に駐車場スペースがあり、急な階段ですが、すぐに本丸に到着します。さほど苦労しません。

しかし、新宮は遠いですね。東側からも西側からも、車の場合は結構時間かかります。

2024年10月27日 寺左京大夫にゃん
新宮城



本丸前の石垣がカッコいいのは勿論、水の手の石垣も素敵ですね。

2024年08月12日 首藤但馬守通宗
水野家墓所[新宮城  寺社・史跡]

新宮城と併せて国指定史跡。歴代城主墓碑16基が並んでいる。水野家菩提寺は市内寺町にある本廣寺だがここに墓所はなく、菩提寺ではない場所(当地)に墓所があるのは全国的にも珍しいらしい。ただしここに本葬されているのは九代忠央ただ一人で、それ以外の藩主は鎌倉の高松寺や四谷の戎行寺に本葬されたとのこと。いろいろ何で?

2024年03月07日 尼崎城駿河守一口城主
神倉神社の手水鉢[新宮城  碑・説明板]



新宮城下城後に神倉神社⛩にお参りに行ったところ、境内に新宮城主第2代の水野重良公寄進の手水鉢(写真①)がありました。説明板(写真②)を読んでみると重良公の姉(妹)にあたる下野国那須城主の大関高増公の母の延命と繁栄を祈願して寄進したものとありました。
神倉神社本殿(写真③)をお参りして振り返ったところ新宮城址の丹鶴山(写真④ほぼ中央の小山)が望めました。新宮城のパンフレットを読んだところ新宮城は浅野忠吉公が築城に着手し、水野家新宮城主初代重仲公が継続、手水鉢を寄進した2代重良公の時代に完成した(1633(寛永10年))とありました🤔

2024年03月07日 尼崎城駿河守一口城主
新宮城



[水ノ手丸及び対岸]
3月3日本丸、鐘の丸見学後に水ノ手丸(写真①②)を散策。説明板(写真③)に「城内での経済施設の発見は全国的にも例がなく、ここは近世城郭の経済的側面を実証するものとして極めて重要な場所である」との記載がありました🖋
水ノ手丸から本丸方面を見上げたところ、鶴が翼を広げた形のようにも見えてきました(写真④)。新宮城は源為義の娘の丹鶴姫がかつて当地に住んでいたことから丹鶴城とも呼ばれるようですが鶴の文字が似合うお城だなぁと感じられました。
当日は越権行為ならぬ越’県’行為で熊野川を渡って対岸の三重県紀宝町側からも新宮城を眺めてみました(写真⑤⑥)熊野川は平時は水ノ手丸からの港利用、合戦時は流れ付きの天然の要害にもなり、いい縄張りだなぁと対岸から感心して眺めていました🤔
続100名城のスタンプは観光案内図(写真⑦)の右上の阿須賀神社境内の歴史民俗資料館にありました。当日は早朝に登城したため開館時間になっておらず、熊野速玉大社→全龍寺(堀内新宮城/堀内氏屋敷跡)→神倉神社にお参りした後に向かいました。
歴史資料館に向かう道中、松ノ丸(三ノ丸)経由の登城口(写真⑧)も見かけたので撮ってみました。

2024年03月07日 尼崎城駿河守一口城主
新宮城



[本丸、鐘の丸編]
18きっぷ🛤で和歌山を所々寄り道しながら前日に新宮入りし、3月3日早朝に登城。新宮駅近くの徐福公園側に泊まっており、進軍していくと写真①右側のお城MAPの現在地と示されている所に着いたのでそこから本丸を目指していきました。登口から合戦時の攻め手側の気持ちで本丸方面を見上げて見ると色んな角度から待ってました!と守備部隊から狙い撃ちされそうな場所(写真②)でした😱
当日は本丸から太平洋からの日の出🌅を見ようと考えていましたが写真③の通りで作戦失敗。宿の女将さんから日の出を見るなら王子ケ浜がいいよと言われていましたがお城ファンとして城址から拝みたかったので失敗しても諦めはつきました😅本丸の下に降りて朝日に照らされる石垣(写真④)を見上げて立派な石垣に感激‼️再び本丸に上がり、出丸と天然の要害の熊野川方面も撮影(写真⑤)出丸にも行ってみたいところでしたが立入禁止🚧(写真⑥)となっていました。
鐘の丸(二ノ丸:写真⑦⑧)の広い郭を見学後、水ノ手丸に向かいました。

2024年02月24日 尾張守えりっき
新宮城

水の手が素晴らしいので、本丸散策後に必ず立ち寄ってください。

2024年01月15日 _ClaD雅楽頭リアの季節
新宮城

2024年1月7日時点で水ノ手は「通路が回遊できないため」立入禁止となっています(市民らしき人たちは平気で立ち入って犬の散歩などをさせていましたが😅)ので、上から舟入を眺めるだけになります。
(追記)2月の時点で立入禁止が解除されているそうです。

2023年12月24日 saizo
新宮城

名城スタンプ年末年始は9時から17時まで観光協会で対応してもらえるそうです。2023.12.24確認

2023年12月03日 ザビ
新宮城

歴史民族資料館の館長さん。とってもいい方でした。石垣も立派でした。

2023年11月24日 駿河守しゅうや城
新宮城



歴史民俗資料館が休館だったので新宮市観光協会でスタンプを押させていただきました。新宮城には説明板がないのでここでパンフレットをもらってから行くことをお勧めします。

駐車場から階段を上がると鐘ノ丸跡に着きます。そこから左に進むと鏡石、松ノ丸西門跡、鐘ノ丸渡櫓門跡、水ノ手曲輪へ降りる階段などがあります。
階段を上がった後に右へ進むと、本丸に着きます。天守台、小天守台、本丸渡櫓門跡などがあります。出丸、搦手門跡は立ち入り禁止ですが、案内の人がいれば、同伴で入ることができます。

1枚目 出丸と本丸の間の橋が架かっていた場所
2枚目 本丸の橋が架かっていたところを埋めた写真
3枚目 搦手門跡の石垣の薬研目地
4枚目 草が刈られた搦手門跡の横の櫓跡の石垣

2023年05月21日 gannac
新宮城



すぐに上まで登れるため、こぢんまりとした城かと思ったが、意外な程しっかりとした造りになっている。上から見ると高低差もそれなりに有り、なかなかな城。

2023年04月23日 どあら2006
新宮城

新宮城公園駐車場への入り口が分からずうろうろしていると阿須賀神社の看板を見つけ先にスタンプゲット。民俗資料館のおじさんに教えていただき無事駐車場到着。公園内は本丸跡とか天守跡とか城関連の案内板が無いのが少し残念。事前勉強しておけばと少し後悔。城跡の下をJRが通っているのも歴史を感じます。

2023年02月26日 課長大和守Ver.B
鵜殿城[新宮城  周辺城郭]



鵜殿城は新宮城より熊野川を挟んだ北岸丘陵上にあった城です。
築城の詳細は不明ですが古くから熊野水軍の将であった鵜殿氏の居城で、南北朝期には合戦の舞台にもなり城を巡る攻防が繰り返されたようです。
因みに、この頃熊野別当が荘園を領していた縁から三河へ渡った鵜殿氏の一族が後に上ノ郷城を有し今川家臣となってゆきます。

縄張りは単郭で前後を堀切で遮断し周囲を掻き上げ土塁で守る形となっており、郭は綺麗な楕円形を描いています。
また海側の一角には展望台が設置され、東に見える製紙工場の夜景や日の出を拝むスポットとしても知られているようです。
現在城下は製紙工場と住宅が広がっていますが、往時は熊野水軍の根拠地ということもあり能島城のような水軍施設が見られたんでしょうか…(´ω`)

城へのアクセスですが、紀宝町ふるさと歴史館脇の滑り台のある遊歩道を5分程登った所で駐車場も併設されています。
新宮城で石垣を味わった後にでも是非☆

2022年12月30日 6777ヘッズ
新宮城



駐車場から5分もかからず登城でき、熊野川が一望できます

2022年10月08日 摂津守突風丸
新宮城



本丸のすぐ下に駐車場があって、お手軽に攻城できます。が、説明らしい説明が何にもないので、歴史民俗資料館で先に資料を貰った方が断然良いです。大手門側からの石垣は、ラピュタを彷彿とさせる石垣でした。

2022年07月19日 Hiro3104左近衛大将
新宮城

まさに石垣の城です。発掘も進んでいるようで資料館の受付の方が丁寧に教えてくださいました。

2022年03月15日 畳屋北見守散歩ノ助
新宮城



城下の岩盤を掘り抜いてJRが走る珍しい風景です。運良くボランティアガイドさんと巡り会えると普段立ち入ることのできない石垣下など案内してもらえますよ

2021年12月14日 勝家の忍弾正少弼ふしき☆ぁん
新宮城



水の手。キレイに整備していただいておりますが、城内から降りる方をオススメ。民家の間を抜けるのは控えられよ。

2021年11月29日 山城守信長
新宮城



海側も川側も、眺めが良い。水の手、石垣もいいですよ。スタンプは、新宮市立民族資料館が空いているときは、新宮駅前の新宮市観光協会では押せないようです。

2021年08月25日 サリーのとうさん
新宮城



スタンプがいつも置いてある新宮市立民族資料館はコロナの為に現在休館しています。スタンプはその期間、新宮駅前の新宮市観光協会で押印できます。

2021年07月24日 嘉翁
新宮城



続100名城のスタンプがある新宮市立歴史民俗資料館は阿須賀神社境内の中にあります
マップで飛ぶと閉鎖された保育所に飛びますので、阿須賀神社で探したほうがわかりやすいです

2021年04月12日 みこ丹後守⛄️
新宮城



口コミで今まで城趾で2番目に萌えた場所とあり(笑)興味深々でリア攻めしました。本丸から熊野川を見下ろして。高さのある立派な石垣に圧倒。川と海が一望です。

2020年11月19日 りゅうましゃはる摂津守
新宮城



石垣の感じ、頂上からの眺めもよかったです。駐車場は整備という感じではないですが止めれます。

2020年11月11日 鉄武蔵守紺太郎信繁
新宮城



続100名城スタンプは駅前の新宮市観光協会の窓口で借りて押印可能。お城のパンフも頂けます。歴史民俗資料館は月曜日が定休日でスタンプは建物外には置いてないのでご注意。因みに観光協会の隣に郷土料理めはり寿司やさんま寿司等の人気のテイクアウト寿司店がある。

お城の駐車場は無料、そこから本丸 松ノ丸、水ノ手往復、二ノ丸に降りて駐車場に戻ると隈なくみれる。

お城の石垣は見事だが、天守台辺りは手入れが十分されてない感じで廃墟感が良い雰囲気を出している。でも地震で倒壊しない様に修復を望む。本丸から北面の出丸越しに熊野川、背景の山並みの眺望も素晴らしい。

2020年10月26日 そらそら伊勢守
新宮城

石畳の急な坂を少し上がると駐車場がありました。公園としてきれいに整備されています。海のすぐ近くの小高い岡の上に立派な城跡があり、42号線からもよく見えています。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



本当は赤木城見に行くつもりだったんですが雨降りそうだったので赤木城はパス。明日行けたらいいなぁ。でも想像以上によかった新宮城、大満足なり。未見の方は是非!

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



城内は枡形が多用されてました。此処は立派な櫓門だったことでしょう。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



この出丸、本当に好きだなぁ。どんな櫓が建っていたことやら。古写真お持ちの方は200万貰えます。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



出丸の石垣には高知城のオハコを奪う石樋があったりします。他にもどっかで見かけたけど何処だか忘れました。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



出丸から本丸石垣を見てみると本丸石垣の真ん中には切り込みが確認出来ます。回廊か橋で結ばれていたようなのでその名残なのでしょう。矢穴に似たおかしな3つの窪みもあって想像すると楽しいです。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



お城で2番目に萌えた場所はこの出丸です。水野氏時代になって本丸と切り離されたらしいです。出丸だけあって出っ張っていて石垣の堀切と言えなくもない感じ。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



素敵な石垣の段々。後世の積み直しなのか横須賀城のオハコを奪う玉石垣の部分も、それともたまたまでしょうか…(*´ー`*)…すいません…

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



水の手で見付けた変な石。ドスンと落ちた訳ではなさそうだし船を繋げとくビットみたいなものかしらん。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



川側から見てもいい感じ♪石段が幅広ですが、往時の活気が偲ばれますねー

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



熊野川に面したこの水の手にベタ惚れしました!13棟もの炭納屋があったと言われるここの石垣の複雑な段々感は他では見れないと思います。

2019年05月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
新宮城



今日行ったお城、新宮城なり。立派な石垣と備長炭をさばきまくったと言われる素敵な水の手で有名ですね。

2018年12月14日 陸奥守たろす
新宮城

続100名城スタンプ設置場所の新宮市立歴史民族資料館(210円)にて赤木城跡のパンフレットがもらえますした。初めは資料館のパンフレットのみでしたが管理人にスタンプのことを聞いたら出してくれました。
赤木城が続100名城に選ばれてから慌てて準備したそうです。

あと管理人と話してたら新宮三社詣でや新宮市内のお菓子銘店マップを頂き、お菓子については「香梅堂」の「鈴焼」(熊野参詣道代表銘菓)を紹介されお土産として買って帰りました。人形焼きのような生地の一口サイズのお菓子で美味しかったです(^o^)v

2018年08月16日 まるき〜陸中守
新宮城

先日の台風の影響で被害を受けた鐘ノ丸より水ノ手へと下るルートが立ち入り禁止になっている件ですが、今年度末までに工事が完了し、通行が出来る予定との事です。

水ノ手へは今ある城門より西へ150mほど行った所(旧の大手道)から北へ行き川の堤防を上がった所からアクセスできました。

車は堤防手前の丹霞鶴体育館の臨時駐車場を使用しても良いそうですよ。(近くの住民情報です)

2018年04月01日 課長大和守Ver.B
新宮城

現在鐘ノ丸より水ノ手へと下るルートは斜面崩落の危険性から立入り禁止となっています。
城跡からは離れますが、新宮川沿いの住宅地から伸びる遊歩道からはアクセス出来るのでそちらから訪問されると良いと思います。

2017年11月06日 織田上総介晃司
新宮城

石畳の坂道を上がると駐車場があり、本丸まで数分でたどり着きます。

崩落の危険があるからか、台風のせいなのか、いたる所に立入禁止の虎ロープが張ってありました。

個人的に「これは!」と思ったのは天守台入口に石段が2つ有ることでした。「何故に?」と考えてしまう…

新宮の近くには那智勝浦町の那智の滝。
紀宝町の道の駅にはウミガメが泳いでます。
少し距離がありますが串本町の橋杭岩。本州最南端の潮岬が主な観光地としてあります。

2017年10月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
新宮城

駐車場スペースはありました。
トイレは本丸にあり。
24時間入れる公園タイプの石垣の城跡です。

近くに徐福公園とか新宮駅があり良いです。

グルメはマジックピエロと言うクレープ屋さんの熊野牛デラックスバーガーが完成度高くて良いハンバーガーです。

また、ホテルニューパレスの二階のフランス料理和食居酒屋もフランス料理が数百円の安い料理あり旨くていいです。

何処の店行っても日本酒は太平洋が置いてあります。

和食割烹きのしたも鯨やイルカの刺身、ヒラメやその他魚刺身、鯨の内蔵料理、鮪の胃の料理とか普段食べれない料理が安くて美味しくて良かったです。

ホテルニューパレスは駐車場沢山あり、城攻め宿泊にお勧めです。


2017年04月08日 まるき〜陸中守
新宮城

続百名城に選ばれた新宮城!イイね〜

桜咲くシーズン中
夜桜鑑賞用に提灯の点灯が行われています
期間 平成29年4月24日まで
時間 午後6時0分〜11時00分まで

去年ここに来た時にあるスジから聞いた情報なのですが…新宮城にも資料に基づいた櫓を再建する計画があるとかないとか…

ま、何かと問題があるかと思いますが早く再建出来れば良いですね(=゚ω゚)ノ


2016年05月03日 宮内卿あさよし
新宮城

2回目の訪城。1年半ぶりのようです。前回、駐車場情報を書き込んだのですが、城南の一方通行が両方向通行できるように変わっておりました。念のため書き込んでおきます。前回、ぐるぐる回ったのが懐かしい(^^;;

2014年11月23日 宮内卿あさよし
新宮城

城跡公園の南側の道路は一方通行。北西から侵入し、白鶴公園という大きめの看板のきつめの上り坂を侵入すると駐車場がありました。

新宮城の周辺スポット情報

 水ノ手の石垣(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 鐘ノ丸(遺構・復元物)

 松ノ丸(遺構・復元物)

 水ノ手(碑・説明板)

 丹鶴姫の碑(碑・説明板)

 新宮城説明板(碑・説明板)

 新宮城説明板(碑・説明板)

 丹城公園説明板鶴(碑・説明板)

 神倉神社の手水鉢(碑・説明板)

 鵜殿城(周辺城郭)

 新宮城(周辺城郭)

 阿須賀神社(寺社・史跡)

 水野家墓所(寺社・史跡)

 熊野速玉大社(寺社・史跡)

 新宮市観光協会(御城印)

 阿須賀神社 社務所(御城印)

 新宮市立歴史民俗資料館(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 休憩所(関連施設)

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