赤木城(あかぎじょう)

赤木城の基本情報

通称・別名

所在地

三重県熊野市紀和町赤木字城山

旧国名

紀伊国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

藤堂高虎

築城年

天正16年(1588)

主な改修者

主な城主

藤堂氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、堀、井戸、虎口、門跡、礎石

指定文化財

国史跡(赤木城跡及び田平子峠刑場跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

京城(三重県南牟婁郡)[12.8km]
鬼ヶ城(三重県熊野市)[14.9km]
三里城(和歌山県田辺市)[18.1km]
新宮城(和歌山県新宮市)[18.8km]
堀内新宮城(和歌山県新宮市)[19.0km]

赤木城の解説文

赤木城の構造
赤木城は主郭を中心に三方の尾根と山裾に郭が設けられている。尾根を利用して築かれた郭配置は、中世山城の様相を引き継いでいる。

一方、高く積まれた石垣や横矢掛かり、発達した虎口などは、近世城郭の要素が見受けられ、過渡期の城郭であることを表している。また、石垣に反りがなく自然石をそのまま積み上げる手法も過渡期の要素といえる。

石垣は、主郭や東郭のように周りからよく見える所は高く丁寧に積まれ、北郭や西郭のように見えにくい所は石垣が低かったり、角度が緩くなっている。見栄えを意識して築かれていたことがわかる。

主郭・北郭
主郭は城の最高所にあり、城下からの比高は30mほどで、方形に近い台形をしており、高さ4mほどの石垣が巡る。随所に横矢掛かり(敵を側面から攻撃するために石垣を突出させた部分)が設けられている。石垣は他の郭よりも高く丁寧に積まれ、城の中心にふさわしいつくりとなっている。

また、主郭に残っている礎石も大きく、他の郭より立派な建物があったと考えられている。ここからは播磨地域で生産された焙烙(土製の鍋)が出土した。主郭からは赤木・長尾・平谷といった周辺の集落が一望できる。

北郭は石垣が2~4段と低く、西面には石垣が積まれていないなど他の郭に比べて簡素なつくりだが、尾根の先は堀切が設けられ、北から来る敵を防いでいる。

東郭・門跡
東郭は門をはさむ2つの郭からなっており、最初に敵を迎え撃つ場所である。そのため、石垣は高く険しく積まれており、郭内で発掘調査は行われていないが、礎石がいくつか見られることから、建物があったと考えられる。

門跡では礎石が2石残っており、間口8尺・奥行6尺の西脚の門があったと推測される。門の直前で坂が急に険しくなっているのは、敵に攻められ難くするためだったと思われる。

南郭
南郭は、他の郭と違い山裾に築かれている。これは他の郭が防御の役割を担っていたのに対し、南郭はおもに生活の場であったためと考えられている。「南郭1」と「南郭3」では建物の礎石や土留めの石積みが見つかった。さらに「南郭3」では、かまど跡も見つかっている。

かまどは三方を石と粘土で固め、土が焼けて赤色に変色していた。付近には、かつて4基のかまど跡が残っていたと言われており、生活色の強い場所であったと考えられる。下には田平子峠を経て入鹿へと続く道があり、普段の生活には便利だったと思われる。

西郭
細長い尾根の上に築かれた西郭は、4つの郭からなっている。尾根の西側にある大きな谷は、斜面を削り敵が登りにくいようにしている。「西郭1」では2棟の礎石建物と室(食物などを所蔵する施設)か水溜と思われる石組み遺構が見つかっている。「西郭1「西郭2」にも礎石がいくつかみられることから、建物があったと考えられる。

西郭の石垣は、他の郭と比べて傾斜が緩くなっており、また、麓からよく見える部分には大きな石が使われている。

西郭からは天目茶碗や砥石、釘などが出土した。

虎口
城攻めの時にはここが要所となるので、敵を防ぐための工夫が凝らされている。赤木城では通路を何度も折り曲げて二重の虎口を設け、要所には門を構えて備えている。下段の虎口には防御のためか階段が見られず、梯子のようなもので登っていたと考えられる。また、戦いの時以外は登城のための通路でもあり、主郭へ入る上段の虎口では大きな石を用いて立派に見せている。

虎口では石垣の崩落が著しい状態で、これについては城の廃絶後に、敵に利用されることを防ぐ目的で意図的に崩された可能性も考えられている。

赤木城の保存整備
『赤木城及び田平子峠刑死場跡』は、平成元年に国史跡に指定された。赤木城跡の整備は平成5年に作成された保管保存計画に基づき、平成16年度まで発掘調査と整備工事が行われた。

整備前は石垣の痛みが激しく、各所で石垣が崩れていた。石垣は現状を記録した後に、崩落した石や痛みの激しい部分についてのみ積み直しを行った。大部分は崩落した石で修復したが、足りなかった石については、近隣の赤木川から採集して補い、違和感が出ないようにしている。

現存していた石垣の上面には鉛板を差し込み、修復した部分と区別している。新たに補充した石は裏面に補充年度を記入して区別できるようにしている。礎石は基本的に遺構の石をそのまま展示しているが、虎口の門礎石については遺構の石を埋め、その上に新しい石を置いている。東郭の門跡では、遺構の礎石をそのまま露出し、足りない礎石を補充している。

情報提供:熊野市教育委員会林業振興課

赤木城の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋内大臣や〜きみ様[2017年10月09日]
熊野の奥地ですね。
近くに棚田とかあります。
城跡は石垣。
駐車場とトイレあります。

まるき〜淡路守高田純次様[2017年04月07日]
運営ブログに掲載されている桜満開の赤木城を見たい!
と思った方がたくさん居られるかと思いますが去年と比べて今年は熊野全域で開花が遅いみたいです。

現地はまだ写真のように咲いていないとの事です。

可児おじさん正木丹波様[2017年03月22日]
2017/03/20現在、赤木城のパンフレットは在庫切れでした(泣)
熊野市駅前の観光案内所にもありませんでしたが、熊野市駅にパンフレットを抜粋コピーしたと思われる「チラシ」は置いてありました

可児おじさん正木丹波様[2017年03月20日]
慶長の北山一揆と浅野軍との古戦場跡がR169沿い(赤木城に向かって南下すると、北山村役場の手前の橋の手前)にあり、解説板が設置されています。
この時の犠牲者363人は豊臣統治時代の天正の北山一揆の犠牲者とともに田平子峠に供養されています。
赤木城見学後に訪れて、合掌を捧げてください。

土佐守土佐っ子様[2016年09月11日]
綺麗に整備され、構造が非常に分かりやすい。東西南北に曲輪が配置され、虎口のくねり具合もよくわかります。
昨日9/10の朝7時前に行きましたが、朝霧が少し晴れてしまってました。夜明けとともにこちらを訪れ、その後丸山千枚田、の方が良いですね。
天空の赤木城見たかった。もう1度行くにはなかなか腰が上がらないほど山道をダラダラと登ります。

獅子丸城近江守様[2016年09月11日]
アクセスはかなり悪いですが、熊野市観光協会のサイトをみていると、熊野古道無料シャトルバス(予約制)があるようで、ホテル瀞流荘から、熊野古道通り峠、丸山千枚田、赤木城跡などに行ってもらえるみたいで、私も利用しました。私の場合は熊野古道靜流荘線のバスで熊野市駅前を11時25分発、ホテル靜流荘前12時12分着(片道600円)に乗りホテルから、無料シャトルバスを使い、赤木城へ行きました。私が乗ったのは、10人乗り位のバンで行きました。乗客は私一人だけでした。城の滞在時間は30分位で済みました。帰りもシャトルバスで帰りました。バスは私が登城終了まで待っててくれました。ただし、トイレの横に置いてあるパンフレットは無くなってました。城にはトイレと自販機があるだけで、何もありません。飲食物を持参された方がいいです。私はバスでホテルに戻り、ホテルのレストランで昼食を食べて、靜流荘14時45分発、熊野市駅15時32分着のバスに乗りました。

まるき〜淡路守高田純次様[2016年06月13日]
で、アクセスがかなり悪く公共機関では行きにくい城、今回は行き方を探ってみましたJR紀勢本線 阿田和駅近くよりコミュニティバスが運行されています。
町民サービスセンター(紀南病院)12:32発〜赤木13:33着そこから歩いて約10〜15分で赤木城、
帰りを考えると探索は20分程しかできない…赤木14:13発〜町民サービスセンター(紀南病院)15:14着 後は18:02分発があるが…
帰りのバスが無いし実用的では無い。
実質1日1本平日、日曜、祭日、時間変わらず料金は片道500円

熊野駅から貸し切り観光タクシーで2時間コースで12000円前後、こちらは交渉次第であちこち回ってもらえます。
丸山千枚田+赤木城+花の窟とか…いろいろアレンジできるみたいです。

産業はあまり無い熊野ですが美しい自然の見所は盛りだくさんな所です。

まるき〜淡路守高田純次様[2016年06月13日]
前回この城に来た時にパンフは置かれていなかったのですが1年程前からトイレの建物内にパンフを置き始めたそうです、それを知らずに先週、熊野市役所に電話をして赤木城のパンフは無いのですか?と問い合わせした所「熊野市役所の観光課にて配布しています」との事、日曜祭日は熊野駅前の観光協会で配布していると…赤木城現地から熊野駅までは車で約3〜40分ほどかかり大変ですが…現地に無い場合はこちらまで
熊野駅前にある観光センターに行くと雲の中の赤木城の写真がでーんと飾られていまして…
最近は朝靄?雲海に包まれた赤木城が天空の城!と話題になっている事があります
竹田城や越前大野城に続けと言うような宣伝をしない理由はあの状態になるのは今の所7年に1度くらいの確率でしか雲海にならないから…という事でした。
自然現象なので仕方ないですよね
赤木城に行った時、雲海に包まれたならそれはとてもラッキーだと思いましょう(笑

東堂式部大輔六三四様[2016年05月15日]
今日丸山千枚田の田植えの後、初めて立ち寄ってみました。桜の季節にまた来たいです。

若狭守次郎吉1022可児様[2016年05月08日]
さすがは築城の名手藤堂高虎が築いた城跡だと思いました。石垣がしっかりと残っているので見ごたえが十分にあります。秋になると朝早くは天空の城となるそうです。
また、赤木城跡付近になると『赤木城跡』とかかれた看板や旗があり、大変分かりやすいと思います。
見学時間は30分もあれば十分だと思います。
オススメは星★★★★★です。

ソバッソ店長様[2015年12月27日]
熊野古道近く山間部の城郭。縄張りプロの藤堂高虎の作成です。
こんな辺鄙な所にプロを配置してたの?不思議に思ってたんですが、資料を見る&時系列をみると、ガッテンです。

この地方ひでよっさん統治に反対し一揆起こすんですって(紀州はそもそも一揆起こす奴ら多いっす笑)。その抑えに作った城郭だそう。
熊野地方の主要道路の田平子峠を抑え、見晴らしのいい丘の上に無骨な石垣を積み、北は堀切で絶壁。
近くに磔場あり、「一揆起こすんやったらいつでもやったんで」という、高圧的な統治方法が伺えます。周辺から見える場所にあり、地元民はガクブルっす。

何でこんな辺鄙な所を重要視?僕は恐らく木材じゃないかと考えてます。
熊野、吉野と上質木材があり、土木マニアのひでよっさんからすると大切な場所です。
小田原平定奥州仕置など大仕事が残っており、資材が大量にいるハズ。伏見大坂にも城作るし。名護屋も城作ってますね。
東西を繋ぐ京都、港にも近いこの地方は重要拠点やったんではないでしょうか。

なんて妄想しドライブしました。単純に景色がいいのでおススメっす。道はウネウネっすよ。

修理大夫あさよし様[2014年11月23日]
秋、朝早いと雲海の中なので靄の中です。

塩ぽん隼人正様[2013年05月08日]
中世の山城と近世石垣の様相を併せ持つ城で、北山一揆を抑えるために藤堂高虎が築城したと伝えられています。史跡整備が行われており、美しい石垣を見ることが出来ます。城が完成した際に、一揆に加わった村人を祝宴に招き、帰り道に田平子峠で全員処刑したとの伝説が残ります。
近くに丸山千枚田や鉱山資料館、湯ノ口温泉などがあります。

三河守コーキしゃん様[2011年05月01日]
赤木城はお城の規模は小さ目ですが石垣がとても見応えがあります虎口も枡形状になっていたりする部分もあります

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