赤木城(あかぎじょう)
赤木城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 三重県熊野市紀和町赤木字城山
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 藤堂高虎
築城年
- 天正16年(1588)
主な改修者
- -
主な城主
- 藤堂氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、横堀、井戸、虎口、門跡、礎石
指定文化財
- 国史跡(赤木城跡及び田平子峠刑場跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
京城(三重県南牟婁郡)[12.8km]
鬼ヶ城(三重県熊野市)[14.9km]
鷹巣山城(和歌山県田辺市)[17.1km]
新宮城(和歌山県新宮市)[18.8km]
堀内新宮城(和歌山県新宮市)[19.1km]
曽根城(三重県尾鷲市)[23.5km]
黒木御所(奈良県吉野郡)[28.9km]
後山城(三重県北牟婁郡)[33.9km]
鶴ヶ城(和歌山県田辺市)[42.5km]
古城山城(和歌山県東牟婁郡)[43.8km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- (続)155 赤木城
設置場所
- 道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里[地図]
赤木城の解説文
赤木城の口コミ情報
2024年05月06日 やまぴぃ
赤木城
熊野市にある赤木城に行ってきました。熊野市といっても賑やかな海沿いではなく、山側の奥まったところにあり、山々に囲まれて静かなところで趣深い城跡でした。野面積みの石垣がしっかりと残っていて、石垣好きとしては満足な城攻めとなりました。続名城のスタンプは少し離れた道の駅九郎兵衛の里にあるので、城跡に行く前に立ち寄った方がいいと思います。戻る途中に丸山千枚田もあり充実した1日でした。是非に行ってみてください。
2024年03月08日 尼崎城駿河守一口城主
田平子峠刑場跡[赤木城 碑・説明板]
続100名城巡りをする時は、萩原さちこ先生の『続100名城巡りのたび』📚を携帯してお城見学をしており、赤木城のページに田平子峠刑場跡の写真が出ていたので赤木城下城後に北山一揆殉難者供養塔(写真①)をお参りに行きました。
供養塔左側の碑(写真②)の碑文ですが写真では文字が見えづらいかもしれないので書いておきます。
<供養塔の建立について>
自然の美しさと人の和によってかたく結ばれていた私たちの郷土も天正十六年国主豊臣秀長の北山征伐、慶長十九年大阪乱の余波による北山一揆等によって大ゆれに搖れました。天正の兵乱は、豊臣政権の重要施策である検地、つまり年貢の取立ての基準となる田畑の測量にたいして強く反抗したため、慶長のそれは豊臣に味方した吉野熊野の修験者たちに誘われ、徳川方の新宮城を攻撃したため却ってその反撃をうけたものと伝えられていますが、日々食べることに精一杯だったわが郷土の人々にとっては、全くやむにやまれぬ戦いだったに違いありませぬ。だがそれからおよそ四百年、こうした戦いのためにあたら一命をささげた私たち先祖の苦しい心境も理解されることなく、殆ど世に忘れられ見捨てられているのは真に痛ましくまた口惜しい限りであります。私たちはいまそれを思いここに供養塔一基をたてていささか追弔の意を表すると共に後世永くこうした史実にたいする関心と認識を新たにしたいと念願する次第であります。
昭和四十三年九月 有志一同
一揆側にも立ち上がらざるをえない追い込まれた状況があったこと、豊臣政権から徳川時代にかけての時代の転換点での犠牲者だったことがわかり切ない気持ちになりました。
供養塔の行き方ですが、写真③の田平子峠に着いたら丁字路を写真④の丸山千枚田方面に進みます。(供養塔は写真④右側の丘の上にあります)丁字路の道路標識がまだ視界に見える所くらいまで進んで振り返ると写真⑤の登口があります。※私は現場近くで迷ってしまい、最初に田平子峠六地蔵尊(写真⑥)に行ってしまいました。
2024年03月08日 尼崎城駿河守一口城主
赤木城
[西郭・南郭・北郭散策編]
3月3日、主郭見学後にまず西郭を散策。西郭から主郭を撮ってみたり(写①)、古城感を感じさせてくれる苔むした石垣(写真②)を見学。
続いて南郭(説明板:写真③)を散策。一番低い南郭3は猪🐗によるものか全面的に掘られた痕跡がありました(写真④)説明板に南郭3からはかまど跡が見つかったとあり、猪にとっては美味しそうな匂いがまだ染み付いて感じられるのかもしれません。上の方の郭1、2の芝は無事でした(写真⑤)
南郭見学後、主郭方面に戻り北郭を散策。写真⑥の通り階段状の郭になっていました。口コミを書きながら縄張り図を見直していると北郭から少し山の中に下った所に堀切があったようで見落としてしまいました😢北郭から主郭を撮った際(写真⑦)、後方の山を主郭の石垣と合わせてみたくなったので山を主郭に載せるように位置調整をして撮ってみました(写真⑧)
2024年03月08日 尼崎城駿河守一口城主
赤木城
[進軍及び主郭編]
3月3日、続100名城の赤木城に登城。当日は早朝に新宮城などを巡った後に熊野に移動して熊野市方面からバスで道の駅熊野板谷九郎兵衛の里に向かい、道の駅からレンタサイクルで赤木城を目指しました🚲参考までに私の走力で道の駅〜赤木城まで約25分でした💦往路は上り坂が多かったのですが電動自転車だったので助かりました。
赤木城入口に看板や幟が建っており、伝鍛冶屋敷跡付近に駐車場🅿️やトイレ🚻、説明板(写真①)がありました。説明板後半部に「築城当時の原形を残した城跡は全国でも少なく貴重である」と書かれており、ワクワクしながら登城開始‼️虎口から主郭までは縄張り図(写真②)の左下に記載の通り、写真③→(✖︎(④→⑤○(⑤→④)※写真逆の順に上がっていました🙇🏻♂️)と何度も折り返し曲がりながら進んでいき攻め手の進軍スピードを落とすような仕掛けを体感出来ました。
主郭に辿り着くと<史跡赤木城跡>の石碑(写真⑥)があり、石碑周囲には桜の木🌸が数多く植えられてられていました。訪城時はまだ開花していませんでしたが道の駅に戻った際に道の駅の方の携帯写真で昨年の桜が咲き誇る様子を見せてもらいました🌸当日は桜の開花の様子は見れなかったものの写真⑦の通りの快晴に恵まれ好天に感謝の一日でした☀️主郭から西郭と段々畑の風景を撮り(写真⑧)次に主郭周りの散策に向かいました。
※道の駅板谷九郎兵衛の里(続100名城スタンプや御城印、レンタサイクル等)に公共機関で向かわれる場合ですがバス🚌の本数が少ないので事前に時間を調べてからの移動が良いかと思います。
2024年02月21日 ナァロ蔵人頭
赤木城
織豊期の枡形虎口や野面積みなどの遺跡が見られます。藤堂高虎が縄張したという云われがあります。
2023年12月03日 ザビ
赤木城
間違えて以前のスタンプ設置場所の紀和鉱山資料館に行ってしまいましたが、館長さんが現在の設置場所や時間、赤木城までの行き方を説明してくださいました。道の駅から車で10分のところにあります。トイレもありきちんと整備されていました。石垣美しかったです。
2023年08月14日 宇治ひろの勘解由長官ふくやん
赤木城
快晴でドライブ日和。紀伊山地の山あいにこんな素敵な城趾!よく整備されていて石垣など遺構をよく観察できました。
2023年04月23日 どあら2006
赤木城
駐車場から城郭までの行程は楽でしたが、駐車場までの道路が狭く対向車にひやひやの連続でした。石垣がよく残っており深い山奥によく築いたものだと感心。でかい熊蜂がブンブンと偵察飛行していますが刺激をあたえないよう散策しました。
2023年03月21日 高松備中守俊
赤木城
隅々まで探検しましたが、整備もされており、歩きも楽でした。40分位散策しました。
2023年03月11日 ひよこ中隊長
赤木城
「道の駅おくとろ」から南下。山道もそれほどの難所はなく辿り着けました。駐車場にはトイレ有り。車を降りたら、目の前が赤木城跡です。
2022年12月18日 今日は休日大和守
駐車場[赤木城 駐車場]
無料で駐車でき、トイレもついていて、主郭までそこまで時間もかからないので便利です。
2022年08月15日
赤木城
石はどこから運んだの?
道の駅でスタンプ押して、処刑場跡通り、千枚田にも寄りながら。どんどん上に登って行きます。
高虎公っぽくないような??初期の頃の過渡期の石垣と言われていますので、そのように見てみましょう。
そろそろ秋の風が、心地よく吹いていましたよ。
(公共交通機関での経路は不明ですが坂の上大変でしょう)
修復もされてます。多雨地帯なので痛みも激しくなるかと。
2022年08月15日 IDS主計頭ハタハタ王子
虎口[赤木城 遺構・復元物]
赤木城にはたくさんの虎口や枡形がありました。今は階段になっているところは元々はしごだったそうです。権力を示す鏡石もありました。
2022年08月15日 竹中播磨守じゅん兵衛
赤木城
和歌山南下して田辺から新宮目指して紀伊半島横断中に赤木城に立ち寄るコース、めっさ遠かったけど価値あるあるでした。駐車場から城跡よく見えます、階段整備されてお手軽登城可能。石垣素晴らしい、土塁の南郭も見応えあります。
2022年08月13日 IDS主計頭ハタハタ王子
赤木城
赤木城。築城の名手藤堂高虎が建てた城で築城当時の姿を残す珍しい城。秀吉がこの辺りの鉱山や木を支配するためや三度おきた一揆にそなえつくらせたそうだ。
2021年10月31日 更科山城守六兵衛
赤木城
山の中にひっそりとある平山城です。石垣や土塁も整備されてます。行ったときは除草作業をされてましたし、安心して行けます。駐車場から本丸まで歩いて3分程度です。
2021年10月12日 Sデストロイヤー安房守
赤木城
桜木が綺麗で、石垣も保存状態が良好で景色もきれいで、オススメの城跡です
2021年08月15日 課長大和守Ver.B
尾呂志城[赤木城 周辺城郭]
尾呂志城は室町期に入鹿氏の一族尾呂志氏により築かれた城で永禄年間に手狭になった古城から現在地へ移設されたそうです。
城は現在尾呂志学園の敷地となり明治頃の学校建設の際遺構の大半を失ったとのことで、現在は学校入口の井戸や的石と呼ばれる礎石、学校西側の土塁が城を偲ばせています。
また学校北側に上野の大杉という大木がありますがここも城の鎮守地であったとのことです。
因みに、三重県教育委員会の「三重の中世城館」や現地説明板には遺構として土塁が残る旨の記述は無く的石が礎石かどうか又学校正面の井戸に関しても説明が無いため、遺構の紹介は諸々の情報を勘案した私個人の推定に過ぎないモノですので悪しからずご了承を…(^^;
2021年07月23日 あーちゃん
赤木城
赤木城にて🎵ご近所のパン屋さんAriaのご主人が宣伝のために登城されてました。この営業努力に感動して食糧確保に向かいました。車で10分位のところです。
生地がとても美味しかったです!
城攻めの際の食糧確保におすすめですーー
2021年05月23日 カズ@大高の信長
赤木城
破壊されていた石垣を復元した城。
前に100名城のスタンプが置かれていた、鉱物博物館?の方にいろいろお話を伺うと、理解が深まります。
ほんとに藤堂高虎が作ったのか、高虎が一気勢を謀略で騙し討ちにしたのか。
通説を疑った方が良いかもしらません。
城そのものはコンパクトで、しっかり1時間楽しめましたが、戦う城というより、見せる城かもしれないですね。
2021年02月25日 おにくまん
駐車場[赤木城 駐車場]
赤木城のすぐ下にあり便利ですが、舗装されていません。
2020年10月25日 そらそら伊勢守♪
赤木城
県道311号から入る道が分かりやすかったです。くねくねで対向しにくい所もありますので、気をつけて向かってください。駐車場は十台ほど停められます。よく管理してもらってありました。トイレもありました。
2020年09月27日 ⚡️大宰少弐⚡️[永通豊栄]
赤木城
曲輪がとても複雑でした。この様に石垣が沢山残っていて石垣や曲輪の形だけでいろいろなことが分かる城は、初めてでした。とてもすばらしい城でした。💫⚡️⚡️💫
2020年06月13日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
赤木城
続100名城スタンプ、鉱山資料館より道の駅 熊野 板屋九郎兵衛の里に移設されてます
2019年06月12日 けろりん右京大夫
赤木城
石垣も含め修復・整備されており、当時の姿を偲ばせる山城でした。全ての郭が歩いて回れるのでいろいろな角度から見ることができました。それにしてもスケールが伝わらない写真ですみません…
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
有名なお城なので自分の陳腐な写真よりも他の皆様の素晴らしい写真で語り尽くされてると思うのでこれでおしまい。毎日変化が見たいというコアな赤木城ファンは熊野市の赤木城ライブカメラで楽しみましょう。
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
東郭の石垣も負けてません。切込み接ぎや打込み接ぎもよいですが、自分的にはどうしても余裕綽々な感じがして…乱世の必要に迫られた感のあるこっちの方が好きですが皆さんはどうでしょうか。
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
郭が連なる西郭の段々感なんて感動ものですね、東郭から南郭を下に見ながら西郭の段々を見れるなんて心憎いお城です。地元の方に聞いたところ、こんな山奥にお城を築いたのは良質な材木と銅山を抑える為だったに違いないとのお話でした。太閤検地が一揆の主要因らしいですが、案外理由はこんなところにあるのかもしれません。一揆鎮圧後に不正を働いて罰せられた秀長家臣もいますしねー
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
お城は石垣がメインですが北郭を過ぎたところには堀切が設定されてます。このお城は全般的に下手な整備がされていなくて安心します。整備と保存が仲良く共存していて多くの城郭で見習って欲しいところ。
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
来る途中、この道で本当にあってるのかと不安になるぐらいの山道で、対向車がいきなり来て2回急ブレーキを踏みました。帰りはツール・ド・熊野の真っ最中で交通規制にぶち当たり、1時間ぐらい待ちぼうけ。でも自転車レースを初めて間近に見れてよかったです。
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
とにかくワイルドな算木積、野面積、乱積のオンパレード、主張しまくり。近世城郭への過渡期にあるらしいのでプリミティブな高虎君が楽しめますねー
2019年06月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
赤木城
昨日行ったお城、赤木城なり。一年越しの念願が叶いました〜紀伊の山奥に一揆鎮圧の目的で造られた赤木城、防御施設であるというお城の実質的な価値以上の存在を石垣でこの地に証明しました。周辺の人、歴史、風土、築城者、それら全てひっくるめて赤木城なんだなと思います。
2019年05月01日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
赤木城
北曲輪の先の堀切。この赤木城へ来たら1度主閣から降りて裏手の堀切も忘れずに。潰れずに遺ってます。ゴツゴツ感で怖そうですが全体的に歩き散策しやすい城です。
2019年05月01日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
赤木城
荒削りながら自分の見て聞いた事を実践的に造ったろうなと思う縄張りと作事。高虎飛躍の元が窺える。私見ですが藤堂高虎が戦う現場作業員から現場責任者へ昇格したかと思うこの赤木城。
2018年12月28日 "征夷大将軍"小野の妹の子
赤木城
公共交通機関で行くのは中々至難の業。阿田和駅を降りて、すぐ右手に道の駅七里御浜がありその裏手の道に、町民サービスセンターのバス停があります。
12時32分の平谷行きに乗り、13時34分田平子バス停で降りて、下り坂を10分程度降りていくと左手に城が見えてきます。
城の感想は他の方に譲ります。
戻り方として、その田平子バス停から、阿田和方面に戻る時刻が14時16分と、城の往復だけで時刻になってしまうので写真を撮ったりしてると難しいと思われます。
その為、ここは田平子バス停から歩いて下っていきます。田平子バス停にはスタンプのある鉱山資料館まで4.5キロという標識があり、下り坂の為徒歩1時間で道の駅付近まで戻ってこれます。
鉱山資料館でスタンプをもらい、新設された道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里を17時06分発の紀南病院行きに乗り、17時46分七里御浜ピネのバス停でおります。これは前述した道の駅の目の前のバス停なので阿田和駅は目と鼻の先。
松阪方面の終電にも間に合います。ご参考になれば。
2018年10月10日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
赤木城
続日本100名城の赤木城(NO.155)のスタンプが完成しました。
10月7日から押印できるように戻りました。
スタンプは紀和鉱山資料館の営業時間内の押印となっておりますのでご注意下さい。
開館時間:午前9時 ~ 午後5時
※入館は閉館の30分前までとなっています。
休館日:月曜日
(月曜日が祝日の場合は開館、翌日休館)
2018年10月02日 じょーうん隠岐守
赤木城
日本城郭協会のHPより転記
続日本100名城の赤木城(NO.155)のスタンプが盗難にあいました。
代わりのスタンプが出来るまでの間は、臨時の措置として紀和鉱山資料館でスタンプの代わりになります臨時の証明書を発行していただいています。
スタンプラリーのご参加の方は、この証明書をスタンプ帳に貼っていただければ認定いたすますのでご利用下さい。スタンプの実物を押したい方はご不便をおかけいたしますがスタンプ完成まで、しばらくお待ち下さい。(10月半ば頃には準備できる予定です。)
臨時措置の証明書は紀和鉱山資料館の印鑑がない物、印鑑が押印された物をカラーコピーした物は無効になります。
臨時の証明書は紀和鉱山資料館の営業時間内の配布となっておりますのでご注意下さい。
開館時間:午前9時 ~ 午後5時
※入館は閉館の30分前までとなっています。
休館日:月曜日
(月曜日が祝日の場合は開館、翌日休館)
また、紀和鉱山資料館では8月より赤木城のジオラマの展示も行われています。
有料の展示コーナー内になりますが、スタンプは集めていないという方もぜひお立ち寄りください。
2018年08月17日 まるき〜陸中守
赤木城
続百名城スタンプは紀和鉱山資料館の玄関口にあり入館しなくても捺印できます。
赤木城跡のコーナーは取って付けたかのように一部で資料も少ないですが城跡のジオラマが凄く出来が良いのにビックリしました、正直見応えあり!
スマホのビデオを回し、登城口より道なりに辿り本丸から上空に引きクルっと一周すればまるでドローンの映像を見ているような気分になるほど精密。
あちこちの城、城跡ジオラマを見ていますがここのは再現度のレベルが凄く高いと思います。
鉱山、鉱石の展示もそこそこ楽し…め…るかな?
興味のある方は是非!
入館料は大人300円でした。
2018年08月13日 摂政頼光
赤木城
100名城スタンプの設置箇所は月曜日が休館日です。
2018年04月07日 伊勢守はち公@堀隊
赤木城
続百名城スタンプ設置場所の鉱山資料館は紀和町の街中、赤木城からは少し離れた場所にあります。
一見あまり城とは関係の無い施設に思えますが、割としっかりした資料館です。
名城認定を受けて急遽追加したと思われる展示も見受けられました。
城自体は藤堂高虎公の手によるものですが、吉野時代には刀工が住んでいたそうです。
昭和の頃には鉱業で栄えた町との事で、資料館の方が色々と丁寧に解説して下さいました。
2017年11月07日 織田上総介晃司
赤木城
紀宝町の道の駅「ウミガメ公園」でウミガメに癒されて車で約40分。赤木城の駐車場に到着。トイレにパンフレットが置いてあります。
こんな山奥に凄い城があるなんて感動です!百聞は一見にしかず。ぜひ行って確認してみてください。
近くには日本の棚田百選の丸山千枚田もあります。そちらもぜひ!
※位置ゲー「国盗り」もされてる方は赤木城リア攻めで三重の主が手に入ります。
2017年10月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
赤木城
熊野の奥地ですね。
近くに棚田とかあります。
城跡は石垣。
駐車場とトイレあります。
2017年04月07日 まるき〜陸中守
赤木城
運営ブログに掲載されている桜満開の赤木城を見たい!
と思った方がたくさん居られるかと思いますが去年と比べて今年は熊野全域で開花が遅いみたいです。
現地はまだ写真のように咲いていないとの事です。
2017年03月22日 ️_
赤木城
2017/03/20現在、赤木城のパンフレットは在庫切れでした(泣)
熊野市駅前の観光案内所にもありませんでしたが、熊野市駅にパンフレットを抜粋コピーしたと思われる「チラシ」は置いてありました
2017年03月20日 ️_
赤木城
慶長の北山一揆と浅野軍との古戦場跡がR169沿い(赤木城に向かって南下すると、北山村役場の手前の橋の手前)にあり、解説板が設置されています。
この時の犠牲者363人は豊臣統治時代の天正の北山一揆の犠牲者とともに田平子峠に供養されています。
赤木城見学後に訪れて、合掌を捧げてください。
2016年09月11日 権大納言土佐っ子
赤木城
綺麗に整備され、構造が非常に分かりやすい。東西南北に曲輪が配置され、虎口のくねり具合もよくわかります。
昨日9/10の朝7時前に行きましたが、朝霧が少し晴れてしまってました。夜明けとともにこちらを訪れ、その後丸山千枚田、の方が良いですね。
天空の赤木城見たかった。もう1度行くにはなかなか腰が上がらないほど山道をダラダラと登ります。
2016年09月11日 獅子丸城玄蕃頭
赤木城
アクセスはかなり悪いですが、熊野市観光協会のサイトをみていると、熊野古道無料シャトルバス(予約制)があるようで、ホテル瀞流荘から、熊野古道通り峠、丸山千枚田、赤木城跡などに行ってもらえるみたいで、私も利用しました。私の場合は熊野古道靜流荘線のバスで熊野市駅前を11時25分発、ホテル靜流荘前12時12分着(片道600円)に乗りホテルから、無料シャトルバスを使い、赤木城へ行きました。私が乗ったのは、10人乗り位のバンで行きました。乗客は私一人だけでした。城の滞在時間は30分位で済みました。帰りもシャトルバスで帰りました。バスは私が登城終了まで待っててくれました。ただし、トイレの横に置いてあるパンフレットは無くなってました。城にはトイレと自販機があるだけで、何もありません。飲食物を持参された方がいいです。私はバスでホテルに戻り、ホテルのレストランで昼食を食べて、靜流荘14時45分発、熊野市駅15時32分着のバスに乗りました。
2016年06月13日 まるき〜陸中守
赤木城
で、アクセスがかなり悪く公共機関では行きにくい城、今回は行き方を探ってみましたJR紀勢本線 阿田和駅近くよりコミュニティバスが運行されています。
町民サービスセンター(紀南病院)12:32発〜赤木13:33着そこから歩いて約10〜15分で赤木城、
帰りを考えると探索は20分程しかできない…赤木14:13発〜町民サービスセンター(紀南病院)15:14着 後は18:02分発があるが…
帰りのバスが無いし実用的では無い。
実質1日1本平日、日曜、祭日、時間変わらず料金は片道500円
熊野駅から貸し切り観光タクシーで2時間コースで12000円前後、こちらは交渉次第であちこち回ってもらえます。
丸山千枚田+赤木城+花の窟とか…いろいろアレンジできるみたいです。
産業はあまり無い熊野ですが美しい自然の見所は盛りだくさんな所です。
2016年06月13日 まるき〜陸中守
赤木城
前回この城に来た時にパンフは置かれていなかったのですが1年程前からトイレの建物内にパンフを置き始めたそうです、それを知らずに先週、熊野市役所に電話をして赤木城のパンフは無いのですか?と問い合わせした所「熊野市役所の観光課にて配布しています」との事、日曜祭日は熊野駅前の観光協会で配布していると…赤木城現地から熊野駅までは車で約3〜40分ほどかかり大変ですが…現地に無い場合はこちらまで
熊野駅前にある観光センターに行くと雲の中の赤木城の写真がでーんと飾られていまして…
最近は朝靄?雲海に包まれた赤木城が天空の城!と話題になっている事があります
竹田城や越前大野城に続けと言うような宣伝をしない理由はあの状態になるのは今の所7年に1度くらいの確率でしか雲海にならないから…という事でした。
自然現象なので仕方ないですよね
赤木城に行った時、雲海に包まれたならそれはとてもラッキーだと思いましょう(笑
2016年05月15日 東堂根室守六三四
赤木城
今日丸山千枚田の田植えの後、初めて立ち寄ってみました。桜の季節にまた来たいです。
2016年05月08日 橘若狭守次郎吉
赤木城
さすがは築城の名手藤堂高虎が築いた城跡だと思いました。石垣がしっかりと残っているので見ごたえが十分にあります。秋になると朝早くは天空の城となるそうです。
また、赤木城跡付近になると『赤木城跡』とかかれた看板や旗があり、大変分かりやすいと思います。
見学時間は30分もあれば十分だと思います。
オススメは星★★★★★です。
2015年12月27日 ソバッソ80.0
赤木城
熊野古道近く山間部の城郭。縄張りプロの藤堂高虎の作成です。
こんな辺鄙な所にプロを配置してたの?不思議に思ってたんですが、資料を見る&時系列をみると、ガッテンです。
この地方ひでよっさん統治に反対し一揆起こすんですって(紀州はそもそも一揆起こす奴ら多いっす笑)。その抑えに作った城郭だそう。
熊野地方の主要道路の田平子峠を抑え、見晴らしのいい丘の上に無骨な石垣を積み、北は堀切で絶壁。
近くに磔場あり、「一揆起こすんやったらいつでもやったんで」という、高圧的な統治方法が伺えます。周辺から見える場所にあり、地元民はガクブルっす。
何でこんな辺鄙な所を重要視?僕は恐らく木材じゃないかと考えてます。
熊野、吉野と上質木材があり、土木マニアのひでよっさんからすると大切な場所です。
小田原平定奥州仕置など大仕事が残っており、資材が大量にいるハズ。伏見大坂にも城作るし。名護屋も城作ってますね。
東西を繋ぐ京都、港にも近いこの地方は重要拠点やったんではないでしょうか。
なんて妄想しドライブしました。単純に景色がいいのでおススメっす。道はウネウネっすよ。
2014年11月23日 宮内卿あさよし
赤木城
秋、朝早いと雲海の中なので靄の中です。
2013年05月08日 塩ぽん隼人正
赤木城
中世の山城と近世石垣の様相を併せ持つ城で、北山一揆を抑えるために藤堂高虎が築城したと伝えられています。史跡整備が行われており、美しい石垣を見ることが出来ます。城が完成した際に、一揆に加わった村人を祝宴に招き、帰り道に田平子峠で全員処刑したとの伝説が残ります。
近くに丸山千枚田や鉱山資料館、湯ノ口温泉などがあります。
2011年05月01日 三河守コーキしゃん
赤木城
赤木城はお城の規模は小さ目ですが石垣がとても見応えがあります虎口も枡形状になっていたりする部分もあります
赤木城の周辺スポット情報
主郭(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
西郭(遺構・復元物)
東郭(遺構・復元物)
南郭(遺構・復元物)
鍛冶屋敷跡(遺構・復元物)
北廓(遺構・復元物)
東郭1(遺構・復元物)
西郭2(遺構・復元物)
出城?(遺構・復元物)
東郭・門跡(碑・説明板)
赤城城の由来(碑・説明板)
赤木城跡石碑(碑・説明板)
田平子峠刑場跡(碑・説明板)
主郭・北郭(碑・説明板)
虎口(碑・説明板)
竹原八郎館(周辺城郭)
尾呂志城(周辺城郭)
川瀬城(周辺城郭)
小栗須城(周辺城郭)
小栗須堂ヶ谷城(周辺城郭)
田平子峠跡(寺社・史跡)
道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里(御城印)
道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里(スタンプ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
赤木城の構造
赤木城は主郭を中心に三方の尾根と山裾に郭が設けられている。尾根を利用して築かれた郭配置は、中世山城の様相を引き継いでいる。一方、高く積まれた石垣や横矢掛かり、発達した虎口などは、近世城郭の要素が見受けられ、過渡期の城郭であることを表している。また、石垣に反りがなく自然石をそのまま積み上げる手法も過渡期の要素といえる。
石垣は、主郭や東郭のように周りからよく見える所は高く丁寧に積まれ、北郭や西郭のように見えにくい所は石垣が低かったり、角度が緩くなっている。見栄えを意識して築かれていたことがわかる。
主郭・北郭
主郭は城の最高所にあり、城下からの比高は30mほどで、方形に近い台形をしており、高さ4mほどの石垣が巡る。随所に横矢掛かり(敵を側面から攻撃するために石垣を突出させた部分)が設けられている。石垣は他の郭よりも高く丁寧に積まれ、城の中心にふさわしいつくりとなっている。また、主郭に残っている礎石も大きく、他の郭より立派な建物があったと考えられている。ここからは播磨地域で生産された焙烙(土製の鍋)が出土した。主郭からは赤木・長尾・平谷といった周辺の集落が一望できる。
北郭は石垣が2~4段と低く、西面には石垣が積まれていないなど他の郭に比べて簡素なつくりだが、尾根の先は堀切が設けられ、北から来る敵を防いでいる。
東郭・門跡
東郭は門をはさむ2つの郭からなっており、最初に敵を迎え撃つ場所である。そのため、石垣は高く険しく積まれており、郭内で発掘調査は行われていないが、礎石がいくつか見られることから、建物があったと考えられる。門跡では礎石が2石残っており、間口8尺・奥行6尺の西脚の門があったと推測される。門の直前で坂が急に険しくなっているのは、敵に攻められ難くするためだったと思われる。
南郭
南郭は、他の郭と違い山裾に築かれている。これは他の郭が防御の役割を担っていたのに対し、南郭はおもに生活の場であったためと考えられている。「南郭1」と「南郭3」では建物の礎石や土留めの石積みが見つかった。さらに「南郭3」では、かまど跡も見つかっている。かまどは三方を石と粘土で固め、土が焼けて赤色に変色していた。付近には、かつて4基のかまど跡が残っていたと言われており、生活色の強い場所であったと考えられる。下には田平子峠を経て入鹿へと続く道があり、普段の生活には便利だったと思われる。
西郭
細長い尾根の上に築かれた西郭は、4つの郭からなっている。尾根の西側にある大きな谷は、斜面を削り敵が登りにくいようにしている。「西郭1」では2棟の礎石建物と室(食物などを所蔵する施設)か水溜と思われる石組み遺構が見つかっている。「西郭1「西郭2」にも礎石がいくつかみられることから、建物があったと考えられる。西郭の石垣は、他の郭と比べて傾斜が緩くなっており、また、麓からよく見える部分には大きな石が使われている。
西郭からは天目茶碗や砥石、釘などが出土した。
虎口
城攻めの時にはここが要所となるので、敵を防ぐための工夫が凝らされている。赤木城では通路を何度も折り曲げて二重の虎口を設け、要所には門を構えて備えている。下段の虎口には防御のためか階段が見られず、梯子のようなもので登っていたと考えられる。また、戦いの時以外は登城のための通路でもあり、主郭へ入る上段の虎口では大きな石を用いて立派に見せている。虎口では石垣の崩落が著しい状態で、これについては城の廃絶後に、敵に利用されることを防ぐ目的で意図的に崩された可能性も考えられている。
赤木城の保存整備
『赤木城及び田平子峠刑死場跡』は、平成元年に国史跡に指定された。赤木城跡の整備は平成5年に作成された保管保存計画に基づき、平成16年度まで発掘調査と整備工事が行われた。整備前は石垣の痛みが激しく、各所で石垣が崩れていた。石垣は現状を記録した後に、崩落した石や痛みの激しい部分についてのみ積み直しを行った。大部分は崩落した石で修復したが、足りなかった石については、近隣の赤木川から採集して補い、違和感が出ないようにしている。
現存していた石垣の上面には鉛板を差し込み、修復した部分と区別している。新たに補充した石は裏面に補充年度を記入して区別できるようにしている。礎石は基本的に遺構の石をそのまま展示しているが、虎口の門礎石については遺構の石を埋め、その上に新しい石を置いている。東郭の門跡では、遺構の礎石をそのまま露出し、足りない礎石を補充している。