後山城(うしろやまじょう)
後山城の基本情報
通称・別名
- うしろ山城
所在地
- 三重県北牟婁郡紀北町海山区小山浦
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 息長(木本)氏
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 息長(木本)氏
廃城年
- -
遺構
- 石垣、水門
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 石碑、説明板
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-
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後山城の口コミ情報
2022年07月08日 RED副将軍
後山城
城域東側に開口した水門跡は必見です✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
13〜14世紀頃に新宮荘園の荘司である木本盛房築いて居城としたと云われています。
木本氏が木本へ移った後には、豊浦左衛門の屋敷となったと云われます。
見所
銚子川河口の南側の山腹に築かれており、巨石を積み上げた石垣と水門が残っています。
あまり整備はされておらず、登山道を外れるとヤブ化しています。
行き方は、長泉寺とその東側にある小山浦集会所の間に登城路があり、案内板が立っています。登城から5分もあれば辿り着きます。
2021年06月26日 イオ左衛門佐
環境防災林整備事業の案内板[後山城 碑・説明板]
ずいぶんかすれて判読しづらくなっていますが、環境防災林整備事業の案内板に、うしろ山城跡の記述と周辺略図が掲載されています。
2021年06月26日 イオ左衛門佐
後山城
鎌倉期に木本盛房が築いた城で、木本盛房がこの地を去った後は豊浦左衛門が移り住んだとされます。
小山浦集会所の駐車場に車を駐めさせてもらって登城開始。豊浦左衛門創建と伝わる長泉寺と集会所の間の道を上って行くと、環境防災林整備事業の案内板があり、後山城についての記載もあるんですが、文字がかすれてしまって判読しづらくなっています。案内板から少し行くと津波避難場所に続く舗装道からの分岐があるので、朽ちかけた木橋を渡り、その先の沢に架かる二本目の木橋を渡ったあたりからが城域になります。
木橋を渡ったところには自然石に彫られた城跡碑があります。正しくはこの城跡碑の左方向に進むべきところ、右側の登山道を進んでしまい、砂防ダムを過ぎ、東屋に着いたあたりでどうも道を間違えたらしいと気付いて引き返す羽目に。城跡碑から左奥に進むと沢沿いに石積みが見られます。さらに行くと右手に巨石による石塁が続き、その先に後山城最大の見どころの石組みの水門があります。水門の遺構というのはこれまでに見たことがありませんでしたが、沢の間の立地のため、しっかりした水門が必要だったということでしょうか。
下調べで縄張図を入手できずに登城したため、道に迷った上に見落としもあったかも知れませんが、春になり藪化しつつある山中をかき分けて進み、石塁や水門にたどり着いた喜びは格別でした。
2014年01月11日 征夷大将軍 速水右近
後山城
公民館の裏手の山を登り、いつ崩落してもおかしくない腐りかけた木橋を二つ渡ると、うしろやま城跡の石盤があります。石垣に使っていたのか?石が無造作に転がっていました。名付けて"ずぼら積み"!
2011年05月01日 三河守コーキしゃん
後山城
ジャングルの中にあるようなお城ですが石垣があってとてもいいです自分はこういうお城結構好きただ季節によって蜂が門番してるので注意