黒木御所(くろきごしょ)

黒木御所の基本情報

通称・別名

所在地

奈良県吉野郡十津川村谷瀬

旧国名

大和国

分類・構造

御所

天守構造

なし

築城主

竹原宗親

築城年

元弘2年〔南朝〕/正慶元年〔北朝〕(1332)

主な改修者

主な城主

護良親王

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

阿瀬川城(和歌山県有田郡)[24.4km]
鷹巣山城(和歌山県田辺市)[27.4km]
二見城(奈良県五條市)[27.4km]
真田庵(和歌山県伊都郡)[28.1km]
吉野城(奈良県吉野郡)[28.7km]
赤木城(三重県熊野市)[28.9km]
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黒木御所の解説文

※この城郭は2021年4月6日に名称と位置が変更となりました。

黒木御所(くろきごしょ)は、奈良県吉野郡十津川村にあった御所。上野地の対岸、谷瀬にある。

歴史
鎌倉幕府の末期、今からおよそ600数十年前、第96代後醍醐天皇は倒幕を企てたが、計画がもれ隠岐の島に流された。世にいう元弘の変である。

後醍醐天皇の第3皇子、大塔宮護良親王は、難を避けて元弘3年(1333)の秋、しばらく十津川郷に身を潜められた。この時、豪族竹原八郎をはじめとする十津川郷民は、谷瀬に仮の御殿を建て、親王をお守りしたという。

天皇はその後、倒幕の軍を起こし、いわゆる建武の中興を成し遂げたが、3年後再び政権は足利氏にうつり、親王は鎌倉に幽閉され、尊氏の弟直義によって害され、28才の生涯を閉じられた。

明治38年(1905)郷民によって、谷瀬に「黒木御所舊址」の碑が建てられた。

提供:十津川村教育委員会

黒木御所の口コミ情報

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