二見城(ふたみじょう)
二見城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 奈良県五條市二見5
旧国名
- 大和国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 二見氏
築城年
- 元弘年間(1331〜1334)
主な改修者
- 松倉重政
主な城主
- 二見氏、松倉重政
廃城年
- 元和2年(1616)
遺構
- 堀跡
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬天守(ミニチュア)、説明板
周辺の城
-
長藪城(和歌山県橋本市)[7.2km]
佐味城(奈良県御所市)[7.5km]
千早城(大阪府南河内郡)[8.8km]
上赤坂城(大阪府南河内郡)[13.0km]
真田庵(和歌山県伊都郡)[13.4km]
櫛羅陣屋(奈良県御所市)[13.5km]
下赤坂城(大阪府南河内郡)[14.6km]
越智城(奈良県高市郡)[15.4km]
高取城(奈良県高市郡)[15.8km]
烏帽子形城(大阪府河内長野市)[16.2km]
二見城の口コミ情報
2023年03月12日 tracer_azu
岡西山城[二見城 周辺城郭]
口コミもなくどのようなお城かわからずでしたが、現地にはとても素晴らしい遺構が残る城で感動しました。秀逸なのは主郭周りの畝状竪堀群、横堀の深さ、堀切、主郭切岸と、遺構のメリハリがよくわかり良かったです。
多少の薮はありますが、踏み跡がついており遺構の薮はほとんどなく良い状態でした。駐車場は麓の公園駐車場を利用させていただきました^_^
2021年08月27日 イオ左衛門佐
五條代官所[二見城 周辺城郭]
五條代官所は、江戸中期に幕府が宇智郡、宇陀郡、吉野郡の天領を管理するために築いた代官所で、江戸末期、尊王攘夷を掲げ蜂起した天誅組の襲撃により焼き払われましたが、翌年、現在の位置に再建されました。明治期には五條県庁を経て裁判所となった後、長屋門と広場を五條市が引き継いで現在に至ります。
裁判所東隣の史跡公園には再建後の長屋門(正門)が現存し、内部は民俗資料館として整備されています。史跡公園と裁判所の南辺には石垣が築かれ、裁判所の南辺には長屋門から続く土塀も見られます。裁判所南西部には裏門も見えていますが、時季的に草が生い茂っていて遠くから眺めるだけにしました。
民俗資料館は主に天誅組に関する資料が展示されています。五條市は「維新のさきがけ」「明治維新発祥の地」として大いに天誅組推しのようで、名前は聞いたことがあるけど…程度の私でも、大まかな流れを把握することができました。その他、襲撃時の五條代官所の見取図に興味を惹かれました。
その襲撃時の五條代官所跡は現在は市役所になっていて、正面の植え込みに石碑と説明板が設けられています。
2020年08月15日 イオ左衛門佐
今井城[二見城 周辺城郭]
詳細は不明ながら、三箇氏の築城と伝わります(別名・三箇城)。
JR五条駅から北東に徒歩約10分、住宅と田畑が入り交じる地域に城址があります。城址の西側に城址碑が建っていますが、前の道路は狭く駐車場はありません。主郭や帯郭は今では田んぼになっていますが、東側を除いて主郭は水堀に囲われており(東側は帯郭)、郭の形状は明瞭に残っています。ただ、水堀はススキなどが茂っており、真冬でも水面はほとんど見えません(もともと水量も多くありませんが)。
2017年04月17日 まるき〜陸中守
二見城
城跡は現在の妙住寺、かつてあった水堀は、この辺の年配の方々が子供の頃に遊び場としていたらしく泳げたらしいです。
数十年前に埋め立てられて今はどこかの会社の資材置き場?兼駐車場になっていました…。
妙住寺前にある大きな雛人形の横に馬に乗った武士の姿の人形があります
おそらくここの元城主松倉重政公を模したと思われますが
近くに居た方に聞いてみた
「あの人形は誰ですか?」言う問いに
「あれは岩倉具視や!」と言う先祖が高取城城主の家臣だったと言う年配の方
それ信じて良いのか?
と疑問が残る城めぐりでした(~_~;)
2012年10月17日 邦順大和守大八郎宗久
二見城
松倉重政が、かつての二見氏の中世城郭の地に築城。五條市(旧宇智郡)内最大級の城跡とされる。
東を吉野川(紀ノ川)、ほか三方を堀で囲み、本丸と二の丸より成り立つとされるが、郭は寺院になり、遺構は土居程度しかない(写真投稿日時点)。
一応、自動車でも来れるが、たいして遺構がないので、松倉重政が礎を築いた新町の観光がてら、徒歩での散策を勧める。