田平子峠刑場跡

田平子峠刑場跡([赤木城  碑・説明板])

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田平子峠刑場跡の口コミ情報

2024年03月08日 尼崎城阿波守一口城主


続100名城巡りをする時は、萩原さちこ先生の『続100名城巡りのたび』📚を携帯してお城見学をしており、赤木城のページに田平子峠刑場跡の写真が出ていたので赤木城下城後に北山一揆殉難者供養塔(写真①)をお参りに行きました。
供養塔左側の碑(写真②)の碑文ですが写真では文字が見えづらいかもしれないので書いておきます。
<供養塔の建立について>
自然の美しさと人の和によってかたく結ばれていた私たちの郷土も天正十六年国主豊臣秀長の北山征伐、慶長十九年大阪乱の余波による北山一揆等によって大ゆれに搖れました。天正の兵乱は、豊臣政権の重要施策である検地、つまり年貢の取立ての基準となる田畑の測量にたいして強く反抗したため、慶長のそれは豊臣に味方した吉野熊野の修験者たちに誘われ、徳川方の新宮城を攻撃したため却ってその反撃をうけたものと伝えられていますが、日々食べることに精一杯だったわが郷土の人々にとっては、全くやむにやまれぬ戦いだったに違いありませぬ。だがそれからおよそ四百年、こうした戦いのためにあたら一命をささげた私たち先祖の苦しい心境も理解されることなく、殆ど世に忘れられ見捨てられているのは真に痛ましくまた口惜しい限りであります。私たちはいまそれを思いここに供養塔一基をたてていささか追弔の意を表すると共に後世永くこうした史実にたいする関心と認識を新たにしたいと念願する次第であります。
昭和四十三年九月  有志一同

一揆側にも立ち上がらざるをえない追い込まれた状況があったこと、豊臣政権から徳川時代にかけての時代の転換点での犠牲者だったことがわかり切ない気持ちになりました。
供養塔の行き方ですが、写真③の田平子峠に着いたら丁字路を写真④の丸山千枚田方面に進みます。(供養塔は写真④右側の丘の上にあります)丁字路の道路標識がまだ視界に見える所くらいまで進んで振り返ると写真⑤の登口があります。※私は現場近くで迷ってしまい、最初に田平子峠六地蔵尊(写真⑥)に行ってしまいました。

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