松前城(まつまえじょう)

松前城の基本情報

通称・別名

福山城、(福山館)

所在地

北海道松前郡松前町字松城144

旧国名

蝦夷国

分類・構造

平山城

天守構造

独立式層塔型[3重3階/1849年築/焼失(火災)]、独立式層塔型[3重3階/1960年再/RC造外観復元]

築城主

松前崇広(福山館)

築城年

慶長11年(1606)(福山館)

主な改修者

主な城主

松前(蠣崎)氏

廃城年

明治8年(1875)

遺構

曲輪、本丸御門、御殿玄関、石垣、土塁、堀

指定文化財

国史跡(松前氏城跡)、国重要文化財(本丸御門)、道有形文化財(御殿玄関)

再建造物

外観復元天守、石碑、説明板

周辺の城

大館(北海道松前郡)[0.6km]
脇本館(北海道上磯郡)[30.6km]
柴崎城(青森県北津軽郡)[36.1km]
上之国館(北海道檜山郡)[41.3km]
唐川城(青森県五所川原市)[44.5km]

松前城の解説文

松前城(まつまえじょう)は北海道渡島総合振興局管内松前町にあった平山城で、福山城(ふくやまじょう)とも呼ばれる。

概要
石田城と並び日本における最後期の日本式城郭である。戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す旧幕府の軍(元新選組の土方歳三が率いていた)との戦いにおいて落城した。天守や本丸御門などが現存したが、天守は太平洋戦争後に失火により焼失した。旧城内一帯が国の史跡に指定されており、また、築城時から現存する本丸御門が国の重要文化財に指定されている。2001年には北海道遺産(「福山城と寺町」)に選定された。

歴史・沿革
福山館
蠣崎家(後の松前家)が居城としていた大館より福山(現在の松前城の位置)に移り、1600年(慶長5年)から慶長11年にかけて陣屋を築いた。後にロシア艦隊などが来航すると幕府は、1849年(嘉永2年)に北方警備を目的に、松前崇広に福山館改築(松前築城)を命じた。

築城
築城計画の際、現在地の福山ではなく、地形的に要害となりうる箱館の臥牛山(函館山)に築城するべきという意見もあったが、城下の商人が城が移転することで経済的打撃を受けて松前港は寂れてしまうとの反対意見や予算があまりないということもあって、当時の松前氏の居館であった福山館を拡張する方法で落ち着き、三の丸から本丸までを津軽海峡に向けて雛壇式に築城した。

長沼流兵学者・市川一学の縄張りにより旧福山館の拡張・改築を行い、この時に初めて3重の天守を上げ、1854年(安政元年)に竣工し、この頃から松前城と呼ばれるようになったと伝わる。海側からの艦砲射撃に備えて砲台を備え、かつ城壁の中に鉄板を仕込んでおり、城の本丸方の虎口から本丸までの通路は複雑かつ側面から鉄砲などで射撃しやすい構造とした。天守や櫓、門の屋根には、寒さで凍み割れやすい粘土瓦のかわりに銅板を葺いた。

通常、天守の壁は柱の間の竹で編んだ骨組みに壁土を塗りこむが、ロシア戦の砲撃に耐えられるように、中に硬いケヤキ板を仕込んで備えとした。

石垣の石は付近の山で採れる、比較的柔らかく加工しやすい緑色凝灰岩が使用され、緑色の石垣に覆われた全国でも珍しい城であった。北地のために石垣の奥の土が解凍の際に流れ出してしまわないよう、隙間のないように石が敷き詰められるなどの工夫がなされている。ノミで丹念に整形し、隙間なく積んだ石は亀の甲羅の模様に似ているため、亀甲積みとも言われている。ただし城の中心である福山の台地から海岸まではあまり距離がなかったので、大規模な城郭とすることはできなかった。

戊辰戦争における攻防戦と落城
幕末の築城にも関わらず、松前城は激しい攻防戦を体験している。1868年(明治元年)秋、蝦夷が島に独立政権樹立を目指す旧幕府の榎本武揚を首領とする軍勢は、渡島半島の各地を制圧し、11月5日にはもと新選組の土方歳三が700名ほどを率いて松前城を攻撃した。松前藩の軍は防戦に努めたものの、わずか数時間で落城した。これは、函館湾からの旧幕府軍軍艦の艦砲射撃もさることながら、城の構えがあまりにもろいものであったためである。長沼流の軍学者であった市川は、大手門からの通路は曲がりくねって鉄砲の的になりやすい効果的な構えとしたが、搦手方は敵は攻めてこないものとして、直線に通路が続き鉄砲狭間も少ない防御力の低い配備としていたのである。これを土方に衝かれた形となってしまった。現在も石垣にこのときの弾痕がいくつも残っている。
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松前城の口コミ情報

左京大夫むねりん様[2017年05月14日]
松前城へ行ったら、松前城から車で数分のところにある「道の駅北前船松前」に寄るのもおすすめです。物販コーナーのほか、北前船の船着場や、海鮮丼などが食べられる食堂もあります。

五瓜ニ唐花紋内大臣や〜きみ様[2017年05月08日]
駐車場あり。
町なんですが、公共交通では行きにくい城ですね。
レンタカーで行った方がいいです。

城下町は観光客向けになっています。
お城は敷地内入場料必要。
展示はお城と歴史的に関わりがあったアイヌの事などです。

函館から松前に海岸線走ると途中千代の富士の故郷に資料館や道の駅があります。
海の波も海抜ゼロ位なんで凄い光景の所ありました。


イオニア外記様[2016年11月06日]
駐車場は隣接していて無料で停めれます。
復元整備は良い。


常陸入道ねんさい和泉守様[2015年01月31日]
江戸時代末期に松前城を築城するときに当代三大兵法学者の市川一学に依頼する。一学は海岸線より5キロ以上内陸の桔梗野の庄司山付近に築城するように勧めるも費用やその他の問題で現在の場所になる。一学はすぐ東側の豊岡周辺の台地に築城を勧めるも却下される。それまでの福山館を利用した築城となる。
概説 松前の歴史より

実際に松前城に行くと海からの備えはすごいが、北側の守りはかなり手薄である。実際、土方歳三に北から攻められて落城する。

やさぐれ征夷大将軍やなんちゅ様[2014年07月20日]
2008年松前城下時代まつりバイク武者パレードに参加しました。
毎年8月13日に鎧を着て松前町内の端から端を50台程度で走行します。
参加費はいくらか払いましたが松前藩Tシャツ、記念写真、炊き出し、ガソリンなど支給されるので元は取れました。
抽選で走る順番を決めます。
順番で役も決まるので大名、戦奉行、目付、足軽など着る鎧衣装も変わります。
私は1番だったので先手頭的な鎧でした。
バイクは自前で要予約なので詳しくは松前観光協会へお問い合わせください。

武蔵守タイニス様[2013年08月13日]
今年は今日から3日間、城下まつりがあるそうです。
バイクにまたがった武者行列を見ることができました。面白かったですw

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