平舘台場(ひらだてだいば)
平舘台場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 青森県東津軽郡外ヶ浜町字平舘田の沢
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 台場
天守構造
- なし
築城主
- 弘前藩
築城年
- 嘉永2年(1849)
主な改修者
- -
主な城主
- 弘前藩
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- 県史跡(平舘台場跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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蓬田城(青森県東津軽郡)[21.4km]
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尻八館(青森県青森市)[26.8km]
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平舘台場の解説文
平舘台場の口コミ情報
2021年05月29日 tk
平舘台場
道の駅が有ります。外が浜【旧蟹田町】から今別町にどんだけ通行量が有るのか疑問に思う 例年ならば海水浴場で、賑やかになる筈下北半島が間近に見える。右手に『鯛じま』がはっきり見えます。真ん中に『仏ヶ浦』の白い景色です。左手は下北半島のまさかり部分です。右手奥の方に陸奥湾から夏泊半島も見えます。松林に囲まれ土塁が往時を偲ばれます。
弘前藩の北海道斜里町警備と幕末期に於ける、外国船の侵入に台場を作るとは大変な出費でした。但し、北方警備が認められて弘前藩は石高の見直し倍増する 天守閣の再興と10万石大名になる
2019年06月01日 武さーん
平舘台場
平舘灯台の手前にある場所です。杉林がたくさんあります。
2014年11月03日 三日左馬助落人
平舘台場
道の駅たいらだて、愛称「Oh!だいば」の裏手すぐ。
公園化された土地の一角にあり、七つの砲口をもつ扇型の遺構がよく残っています。
案内板によると、幕末に異国船から乗組員が上陸したことから、嘉永2年に弘前藩が築城した、とあります。
ちなみに道の駅たいらだては、11/1~4月下旬頃(たぶん雪の具合)まで閉鎖されてます(--;)
台場の遺構は、やや扇形をした土塁に囲まれており、大砲を据えたと考えられる窪地が7ヶ所、出入口が2ヶ所残されている。土塁の高さは約2.3メートル、幅は概ね10メートル、土塁内部は南北80メートル、東西11メートル程である。
土塁には33本の松が植えられている。また、台場の西側には、南北1.8キロメートルにわたる松林があり、一体で景観を形成している。
指定面積は、松林を含む11,941平方メートルで、平坦地に造られた7つの砲台を持つ西洋流の台場として重要である。