柴崎城(しばざきじょう)
柴崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 青森県北津軽郡中泊町小泊字嗽沢
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 安東氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 安東氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
唐川城(青森県五所川原市)[8.7km]
福島城(青森県五所川原市)[11.8km]
中里城(青森県北津軽郡)[22.4km]
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柴崎城の解説文
柴崎城の口コミ情報
2021年05月04日 tk
柴崎城
本州最北端に位置する柴崎城は、小泊港の最北端から徒歩で急坂な階段を登るルートも有りますが、車で迂回出来ます。注意点は現在迂回路が伐採作業しています。大型車に注意が必要です。飛龍館看板から左折砂利道を行くと駐車場有
2013年05月02日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
柴崎城
中里経由、木造経由合計9本五所川原駅より発着電車を居眠りで乗り過ごし時間の大きなロスで到着しバスの待ち時間を利用して早足で駆け上るように散策、石碑は有るが堀切のような土塁ような人が歩いた道以外落ち葉ではっきり確認できず最終バスに間に合うように駆け下りて退却、僅か30分弱の行って見て帰って乗り込んででした(^。^;)
2011年08月19日 足軽越中守一歩
柴崎城
8月、残念ながら駐車場で100匹以上のアブに囲まれ、車から降りられず。
あえなく退散!
本城は、室町時代前期、南部氏との攻防が繰り広げられた安藤氏の山城である。古道下之切道の終点小泊から西方へ半里、遥か蝦夷島(現北海道)が望見され、眼下には阿曽内・大澗といった天然湊や、宗教施設弁天島を擁する。
永享4年(1432)南部氏との戦に敗れた安藤氏は、蝦夷島へ逃れた。幕府の調停により、一旦は十三湊に戻ったが、嘉吉2年(1442)再び南部氏の侵略を許す。
松前藩の家記『新羅之記録』は、「嘉吉二年秋攻破十三之湊而乗取津軽、盛季没落而雖左右舘籠、以為無勢不克防戦、被追出去小泊之柴舘、同三年十二月十日欲北渡狄之嶋之処、為冬天者順風不吹及難儀、粤道明法師仰天俯地砕肝胆、忽有天之加護巽風吹而出舩」、嘉吉2年(1442)秋に本拠十三湊を攻められた安藤盛季が、小泊の柴舘に撤退、翌3年冬蝦夷島へ落ち延びたと伝える。
その後、盛季の子康季と孫の義季は、失地回復を目指して津軽を侵攻したが、共に倒れ、安藤宗家直系の血筋は断絶した。