大野城(おおのじょう)

大野城の基本情報

通称・別名

大野氏宅

所在地

愛知県一宮市浅井町大野東堤外

旧国名

尾張国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

大野治定

築城年

不明

主な改修者

主な城主

大野氏

廃城年

不明

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

松倉城(岐阜県各務原市)[3.1km]
黒田城(愛知県一宮市)[4.1km]
下奈良城(愛知県一宮市)[4.2km]
伏屋城(岐阜県羽島郡)[4.4km]
宮後城(愛知県江南市)[5.6km]
野府城(愛知県一宮市)[6.0km]
一宮城(愛知県一宮市)[6.2km]
更木陣屋(岐阜県各務原市)[6.5km]
田代城(岐阜県羽島郡)[6.7km]
小折城(愛知県江南市)[6.8km]

大野城の解説文



大野城(おおのじょう)は、かつての尾張国葉栗郡(現在の愛知県一宮市浅井町)にあった日本の城である。

略歴 

築城時期は不明。元京都石清水八幡宮の祠官で[1]、当時の尾張国葉栗郡若宮寺村(後の美濃国羽栗郡若宮寺村、現岐阜県羽島郡岐南町)に在住の大野伊賀守治定が、織田信長の命により同郡馬美塚村(現愛知県一宮市浅井町大野)に移住して築城した城屋敷[2]

1584年、小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉(豊臣秀吉)側の砦として利用されたと見られ、秀吉入城のために堀左衛門尉と岡田監物が無断で城の外堀を掘ったため、大野才兵衛(治定の子治久)と争いになったという話が伝わる。戦後、治久(大野治長の叔父)は所領を没収された[3]

1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦である河田木曽川渡河の戦いでは、東軍の一柳直盛に属した。

廃城時期は不明。

現状 

大正時代まで城跡として、盛り土や土塁があったが、河川敷の為河川改修工事で撤去された。現在この地は、大野極楽寺公園の一部となっており、石碑がある。

所在地 

愛知県一宮市浅井町大野字古屋敷北

交通 

  • 名鉄バス名鉄一宮駅前より「川島」行きで、大野バス停下車。

大野城の口コミ情報

2023年03月03日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
富塚古墳[大野城  寺社・史跡]



この付近は木曽川の形成する犬山扇状地の末端にあり、数条の河川が運搬する土砂によってつくられた自然堤防と、その後背の低地が、弥生文化をよく定着発展させた。東北2㌔㍍に浅井古墳群、西南3㌔㍍に今伊勢古墳群もあって、尾張有数の古墳密集地帯を形成している。本古墳は径30㍍、高さ6.6㍍の三段築成の円墳で、近くに周溝跡も確認されている。築造年代は不明であるが、立地から今伊勢古墳に次いで、浅井北古墳群に先行するものではないだろうか。
一宮市教育委員会
説明板より。

墳丘上に社殿跡のコンクリート基礎が残り、所々防草シートで覆われている。

2023年03月02日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
佐千原城[大野城  周辺城郭]



築城時期、築城主、来歴等、一切不明の城跡。
城ノ内・屋敷と字名に城があったと思われる、痕跡が僅かに残るのみです。

坂手神社関係の史跡(御厨塚之跡・荷置塚之跡)が近くにあるので、坂手神社と何かしら関係が有りそうだが、神社の由緒碑にも佐千原城を示す記述は無い。
昔の寺社は、堀や土塁等を巡らせていたらしいので、真清田神社と一宮城のような神官が住まう屋敷か何かあったのだろうか?
謎のまま終わる。

2023年03月02日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
御厨塚之跡(坂手神社 旧鎮座地)[大野城  碑・説明板]



垂仁天皇ノ朝倭姫命神鏡ヲ奉シテ、美濃國ヨリ尾張國ニ遷リ給ヒシ時、此ノ地御厨塚ニ御假泊アラシトイフ御厨塚道荷置塚ハコレニ因メル舊跡ナリ。明治維新ニ至ルマデ、伊勢大神宮神官年々コノ地ニ来リテ幣帛ヲ奉レリ斯カル由緒地モ後世ニ至リ或ハ煙滅センコトヲ慮レ里人相謀リ、愛知縣知事 宮尾舜治閣下ノ揮毫ヲ請ヒ、此ノ碑ヲ建ツ。一言其ノ事由ヲ記スト云爾。
石碑裏面の碑文より。(一部、句読点追加)

石碑碑文には、この辺りにあったとされる、佐千原城の記載は無い。

2023年02月18日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
河田城[大野城  周辺城郭]



河田城跡
天正十二年(1584)小牧・長久手合戦の時、秀吉が小牧山の徳川・織田軍に対して、構築した城砦の一つ。同年九月十七日には秀吉が居陣する。秀吉と信雄の和議成立後も暫く秀吉方の城として残された。
昭和三十八年 本城跡は護岸工事のため湮滅。
一宮市観光協会建立

石碑裏面の碑文より。

2023年02月18日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
河田渡跡[大野城  寺社・史跡]



「河田(こうだ)の渡し」
この渡しは、美濃(岐阜県)と尾張(愛知県)とを結ぶ重要な連絡路として、今より約八百年前の承久年間(1219〜)から、永きに亘り、利用されたとの伝承をもっている。
特に、一宮の三八市などには、多数の人々が渡船を利用し、この地方の織物の発展に寄与したものである。
昭和二十七年(1952)南派川改修工事、昭和三十三年(1958)永久橋「河田橋」の架橋により、過去、幾百星霜の歴史に終止符を打つに至り、その面影なし。
この位置より、河田橋上流に向かって、約百㍍にある標柱の場所が渡場の跡である。
一宮市公園管理者
説明板より。

2023年02月14日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
石刀神社(15号墳)[大野城  寺社・史跡]



石刀神社由緒
延喜神明式に、中島郡石刀神社尾張國神名帳に従三位石刀天神ともある旧社で、古来社殿はなく天然に躓踞する巨岩を以って神体とし、古代人の信仰を其のまま現在に伝えている。
参道にある石碑碑文より。

石刀神社拝殿後ろに板塀に囲まれた区画があり、格子の隙間から、神体と思われる巨岩が見えます。これが、浅井古墳群15号墳の横穴式石室の石材と考えられています。他にも、柵に囲まれた石があるが、石室の石材だろうか?

2022年12月08日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
大野渡船場跡[大野城  寺社・史跡]



尾張国大野村から、美濃国河田島村への渡し船として、天正年間(1573年頃)より運営され、昭和初期に幾多の変遷を経て廃止された。
石碑裏面の碑文より。

石碑の他にも、堤防の内側に説明板があったらしい。

2022年12月08日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
大野城



この城は、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで、下奈良・宮後・河田の砦と共に、羽柴秀吉の砦として利用された。
石清水八幡宮(京都府)の神官を退き、美濃国若宮地村(岐南町)に住していた大野伊賀守治定が、織田信長の召しにより、八町四方の屋敷城を賜り、この地に住したのがはじまりといわれ、のち、大野佐渡守等が居住したと伝承されている。
大野伊賀守治定の子 大野才兵衛は、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの前哨戦で、東軍の先陣 一柳直盛の兵を案内して木曽川を渡り、岐阜攻めに加わった。
浅井町大野字古屋敷北の城跡を畑にした時、高さ一間余の古跡から石垣、木杭等が大量に出土した。
石碑碑文より。

石碑のある場所は、北と南に堤防があり、西側は堤防をつなぐ道路の盛土があるので、ある意味『方形居館』みたいです。石碑には八町四方(一町 約109㍍)なので、主郭部以外にも複数の区画かあったのかなと思います。(西側に兵部屋敷の地名有り。)

2022年11月03日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
浅井神社古墳[大野城  寺社・史跡]



浅井神社の由緒
浅井神社は、欽明天皇二十四年(西暦563年)創建と伝えられます。
浅井町が浅井古墳群と呼ばれる、古墳時代後期の古墳の密集地にあり、また浅井神社の社殿が古墳上に建てられたものであることから、東浅井を中心とする地域には、当時から高い文化を持つ集落があり、浅井神社のあるこの場所が尊崇の場所であったことが想像されます。
浅井神社御由緒より一部抜粋。

浅井神社古墳
墳丘の形状・大きさは不明。
昭和三十八年九月の玉垣改修の際、石積みが発見された。
横穴式石室の古墳で、須恵器・金環・鉄鏃が出土したという。

2022年11月02日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
小塞神社古墳[大野城  寺社・史跡]



小塞神社由緒記
本社は小塞宿称弓張の古墳と傳はる、前方後圓墳の上に祀る。
創立不詳なるも延喜式神名帳所載、小塞神社本國帳に従二位小塞神社とあり。
昭和十一年六月 郷社に昇格せらる。
拝殿前の石碑碑文より一部抜粋。

小塞神社本殿下にある、浅井古墳第1号墳は、後円部直径14.5㍍、墳丘全長32㍍の前方後円墳。
小塞神社東側に鎮座する、東神明社の背後に、浅井古墳第2号墳があり、その南側の玉垣の中に浅井古墳第24号墳があるらしい。(未確認)

2022年11月01日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
岩塚古墳[大野城  寺社・史跡]



この附近には、もと五十基あまりの古墳が群集していた。この岩塚古墳はそのなかでも、内容のわかる数少ない古墳の一つである。盛土は開墾のため、古く破壊されて大きさは分からないが、円形である。
なかには大きな岩石で組んだ、矩形の墓室の前に立石を並べて、通路にした横穴式石室である。墓室は床に平らな川石を敷き詰め、中央に凝灰岩を刳りぬいて、つくった家形石棺を安置している。また、前の通路にも木棺に入れた遺骸を葬られていたことが、鉄釘の発見によってわかる。そして、石棺の前後に長頸壷・平瓶・盌・杯・鉄鏃・刀子などの供献に用いた、遺物が沢山発見された。墓室と通路の間にある、巨石は石室を破壊したときに、取残した天井石の一つであろう。
昭和三十三年三月発掘
石碑碑文より。

綺麗に整備されて、家形石棺のレプリカが置かれています。

2022年10月31日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
毛無塚古墳[大野城  寺社・史跡]



愛知県指定文化財
毛無塚古墳は、直径38㍍、高さ3.5㍍の円墳で、浅井古墳群の中でも最大の墳丘で、保存状態が良い。
説明板より。

公園の入口の様な小さな門柱があり、墳丘も草刈りされ綺麗に整備されている。

2022年10月31日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
桃塚古墳[大野城  寺社・史跡]



浅井古墳群は、木曽川南派川と大江用水の間に挟まれた、尾関・河田地内に立地、古墳時代後期に属する。古来「四十塚」と呼ばれ、50基近くの古墳があったが、現在知られているのは30基余りである。史跡として指定されているものは5基で、一部については昭和33年から3ヵ年にわたって、名古屋大学考古学研究室を中心として発掘調査が行われ、その際の出土資料は、市博物館で保存・公開されている。

桃塚古墳は、直径15㍍、高さ1.5㍍の円墳で、以前桃の木が植えてあったことから命名された。
説明板より。

草刈りがされた直後らしく、綺麗に整備されている。(浅井古墳群 第4号墳)

2022年10月29日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
愛宕塚古墳[大野城  寺社・史跡]



寿福寺の北側の住宅と住宅の間に挟まれた、細い道の先に、愛宕塚古墳(20号墳)があります。本来の古墳は、前方後円墳でしたが、現在は後円部の一部のみが残存するのみです。
墳丘上の石碑は、下からでは読めないです。

北側の駐車場からは、入れないので注意。

2022年10月29日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
浅井31号墳[大野城  寺社・史跡]



寿福寺本堂裏の竹林内にある、浅井古墳群31号墳は、直径約8㍍の円墳とされる。竹林と言う程、竹は無く僅かな円墳の高まりが見られます。

2022年10月28日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
人麿塚(人麿塚古墳)[大野城  寺社・史跡]



昭和八年、東側の県道新設工事のときに発見された。円墳と考えられ、川原石積みの石室内に凝灰岩製の組合せ式家形石棺を安置する。石棺内部から、鉄鈴・玉類・馬具類が、石室と石棺の間から、須恵器・土師器・金銅製雲珠が出土した。古来、河田の四つ塚と称するものの一つで、葉栗臣人麿の墓と伝えられる。
当時の関係者の尽力により、現在地に移転・保存された。出土品は、散逸したものもあるが、一宮市博物館に展示・保存されている。
一宮市観光協会

石版碑文より。

浅井第18号墳で、消滅してしまった古墳、河田の四つ塚の残りの三つは、何処かにあるのだろうか?

2022年07月08日 zato尾張守
大野城

公園になってます。遺構は全くないと思います。

2022年06月12日 スーさん
大野城



大野のバス停の前に広い大野極楽公園が広がっていて、スポーツやウォーキングができます。明治の頃まで土塁や盛り土があったようですが、河川改修工事の時撤去されたようです。駐車場もあります。

2022年04月26日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
兼松正吉墓碑(東林寺)[大野城  寺社・史跡]



一宮市島村字花ノ木にある「瑞應山 東林禅寺」には、兼松正吉の墓碑が、本堂の裏(北側)に説明板なども無く、ひっそりと佇んでいます。

真新しいお花が、飾られており大切にされていると思いました。

お寺の寺標の西側の駐車場は、月極駐車場で、その北側の駐車場が、お寺の駐車場なので注意して下さい。10台程度駐車出来ます。

2022年04月26日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
兼松屋敷[大野城  周辺城郭]



築城時期は不明。兼松又四郎正吉の屋敷とされる。

兼松氏は、越前国足羽郡兼松村の出で、後に尾張国葉栗郡嶋村へ来住したとされている。

屋敷跡は、現在の御子孫宅とも、東林寺西側辺りとも言われ、正確な跡地は不明となっている。御子孫宅には、古くから伝わる井戸が残されていると言う。

長屋門の前に、一宮市指定文化財 クロガネモチの石碑があったが、草に半ば埋もれてしまっている。

2022年04月08日 永久楽武蔵守マクシミリアン
大野城



大野極楽寺公園の桜並木の中に、トイレの向かい側に「大野城址」の石碑があります。無料の公園駐車場が利用できます。

2022年01月08日 【城郭道】たっきー
若栗神社[大野城  寺社・史跡]



天正11年(1542)、島村に生まれた兼松正吉は、織田信長に仕え、桶狭間の戦いで初陣して以来、幾多の戦いに加わり武功を重ねました。
初伝によると慶長10年(1605)、兼松正吉が武運長久祈願のため、若栗天神に八幡宮を合祀(ごうし)したといわれています。

2022年01月08日 【城郭道】たっきー
愛宕塚古墳[大野城  寺社・史跡]



愛知県指定史跡の浅井古墳群のうちの一つ。
古墳時代後期に築かれたとみられ、もともと前方後円墳であったが、現在は後円墳(直径6.5メートル、高さ2.2メートル)の部分のみ石垣に囲まれて残り、円墳の上と付近には石碑が建つ。
入り口がわかりづらいため、注意を。

2022年01月04日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
犬山城移築門(運善寺)[大野城  遺構・復元物]



一宮市指定文化財 運善寺山門

門の型式は高麗門で、主として城門に利用される方式である。屋根は内側にある小屋根とともに切妻で、棟は組棟、瓦は平成五年の修理の際、従来に戻し本瓦葺きとした。破風には蕪懸魚をいれ、軒は一軒の疎垂木である。
本柱は太く、脇柱とで大きな冠木を受け、これより束をたてて棟木をおく。丸桁は六本の男梁で支え、垂木をかける。本柱の内側に控柱を立て、飛貫と腰貫でつなぎ、腕木をいれて冠木からの丸桁を支え、小屋根は全開した扉の雨除けとなる。それぞれの柱には、柱頭や根巻の他各所に鉄金具をつけ、その扱いは入口のまぐさや蹴放にも見られる。扉は縦板張りで、これも筋鉄である。方形花金具、乳金具、菊金具つき入八双金具などで装飾され肘壺でつる。三間ある中で、向かって右の脇間は少し広くとり、これにも金具をつけた脇戸を設けている。
当門は、明治初年に犬山城から移されたもので、同二十四年(1891)の濃尾大震災で倒壊し、その折に改修されたが、平成五年の修理によって、当初に近い姿となった。
扉・柱ともに各種の金具や鉄枠で装飾し、大きな冠木とともに威圧的な構成をもち、いかにも城門らしい機能を備え、市内には珍しい存在である。

説明板より
駐車場はありますが、道幅がとても狭いので注意が必要です。
健脚な方は、浅井山公園駐車場に駐車して、長誓寺本堂(名古屋城三の丸移築書院)を見てから、歩いて行く事をおすすめします。

2022年01月04日 ▷☽◁猫耳萌え▶☾◀
長誓寺本堂[大野城  遺構・復元物]



愛知県指定文化財 長誓寺本堂

正面十二間、側面八間の単層入母屋造り。もと名古屋城 三の丸にあった、尾張藩の重臣 渡辺半蔵の書院であったものを、寺が本堂として譲り受け、明治七年(1874)に移築したものである。
内部の一段高くなった上段の間は、天井を格天井とし、書院窓、武者隠しなどの武家屋敷の遺構を残している。
大棟から葺き下ろした屋根は錣屋根で、途中で段をなしている。また端飾り瓦には渡辺家の家紋(三つ星に一文字)があり「瓦師三州棚尾 杢兵衛作」の銘がある。
本堂として利用され、一部は改造されているが、江戸時代初期の建物で、華美をきらい質素な落ちつきを見せている。
なお正面の向背は、明治三十四年(1901)に付け加えられたものである。

説明板より
北側に駐車場あり

2021年10月10日 ゆき丸雅楽頭
大野城

名鉄バス「大野」下車2分。グランド歩道に石碑があります。夕方以降は人が居なくなるので、日中行くことをお勧めします。

2021年08月06日 【城郭道】たっきー
小塞神社古墳[大野城  寺社・史跡]



愛知県指定史跡である浅井北古墳群の一つです。神社となっていて、神社には古墳がいくつか存在するそうです。他の浅井北古墳群のような石碑や説明板は見当たりません。付近を散策していくつか見つけてみると良いかもしれませんね。

2021年06月26日 【城郭道】たっきー
毛無塚古墳[大野城  寺社・史跡]



浅井古墳群のひとつである毛無塚古墳。高さ3.5メートル、直径38メートルの円墳で、1963年(昭和38年)に浅井古墳群として愛知県指定史跡となりました。
現在は、石碑や説明板を添えた街中の丘のようになっています。なお、発掘調査で出てきたものは一宮市博物館(苅安賀城の近く)に展示されています。
(名前で判断しないでね。)

2021年05月30日 Yana宮内大輔
大野城



整備された公園の中にひっそりとした感じで石碑が立っていました。

2021年05月29日 【城郭道】たっきー
桃塚古墳[大野城  寺社・史跡]



少し土地がもっこりしているところが愛知県指定史跡、浅井古墳群五基のうちの一つ、桃塚古墳です。直径15メートル、高さ1.5メートルの円墳で、桃塚は桃の木が植えられていたことから由来します。出土品は大和町(苅安賀城の近く)にある一宮市博物館で展示されています。
住宅街の中に存在し、石碑、説明板、椅子があり、なかなか整備されていると思いました。

2021年03月26日 能登守さとみっくす
大野城

駐車場から歩いてすぐそこのところに石碑がある城。周辺には史跡が多い。又、桜が綺麗。

2021年02月21日 【城郭道】たっきー
岩塚古墳[大野城  寺社・史跡]



浅井北古墳群のひとつである岩塚古墳。現在は発掘調査で石棺が出てきた状態を見学者にわかりやすくしています。
円墳で発掘品は一宮市博物館に展示されています。

2020年12月23日 【城郭道】たっきー
佐千原城[大野城  周辺城郭]



佐千原城は坂手神社西にあった城です。現在は農地となっており、遺構はありません。水路がありますが多分、遺構ではないですね。

リア攻めする方は名鉄バス『東佐千原』で降りて徒歩で行くのをお勧めします。

御城印は12月23日時点ではないです。

2020年10月21日 【城郭道】たっきー
石碑・説明板[大野城  碑・説明板]



駐車場から徒歩1〜2分のところにあります。石碑は近年できたものでなかなか綺麗に整備されています。大野城リア攻めの際に写真を撮っておきたいところです。

2020年10月13日 【城郭道】たっきー
トイレ[大野城  トイレ]



駐車場に最も近いところにあるトイレです。中は小さいですが、綺麗なので使うことができます。

2020年10月11日 【城郭道】たっきー
トイレ[大野城  トイレ]



大野城から歩いて数分のところにあります。中は綺麗で大きいので使いやすいです。自販機も近くにあるのでここで飲み物を買っていくのもいいと思います。

2020年10月11日 【城郭道】たっきー
河田城[大野城  周辺城郭]



大野城から少し歩いたところにあります。遺構は何も残っていませんが、石碑が建っています。
どうやら平成二年度愛知県地方振興補助事業で建てられたようですね。

2020年09月09日 村国三成 無期限休止
河田城[大野城  周辺城郭]

小牧・長久手の戦いの時に羽柴方の城として利用されたそうですが、元からこの場所にあり廃城となった宮田城を作り直して建てられたのではとの説もあるそうです。

2019年08月31日 Marky武蔵守
大野城

駐車場のそばではなく、野球場の外野辺りにあります。

2019年05月12日 しげぽん
大野城



大野極楽寺公園の駐車場すぐそばに
城址を記した石碑があります。

2018年02月25日 我流尾張守クール
大野城

大野極楽寺公園の東端にひっそり石碑が建てられています。同公園は公園財団が管理する公園で、サイクリングやBBQが可能です。また、「桜」の名所でもあり、「木曽川堤」は国の名勝でもあります。
意外と知られていない「御囲堤」の中にあり、御囲堤は尾張を水害から守る為や木曽桧を運ぶ水運の要衝整備を目的として家康公が命じて造成したようです。堤防に着目するのも興味深いかもしれません。

2017年05月05日 衝動織部正Tak dc
大野城

何回ニアミスしてんねんってくらい近くを通り過ぎました。リアル城攻めする気持ちで攻略しましょう。大野大野球場という広い公園に車を泊めれます。歩きましょう。


2016年10月19日 カーネル
大野城

東海道線 木曽川駅から

県道181、182号線を東へ歩き続けると、浅井町大野信号のあたりで左側が公園になります。ここまで45分

その先の交差点で左折して大野極楽寺公園へ。遺構はわからず、公園を散策して帰ってきました
公園はいいところでした

往復して2時間ちょいかかりました。舗装路なので時間以上に疲れます

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

大野城の周辺スポット情報

 犬山城移築門(運善寺)(遺構・復元物)

 長誓寺本堂(遺構・復元物)

 石碑・説明板(碑・説明板)

 城名石碑(碑・説明板)

 荷置塚之跡(碑・説明板)

 御厨塚之跡(坂手神社 旧鎮座地)(碑・説明板)

 河田城(周辺城郭)

 兼松屋敷(周辺城郭)

 佐千原城(周辺城郭)

 大野渡船場跡(寺社・史跡)

 河田渡跡(寺社・史跡)

 毛無塚古墳(寺社・史跡)

 岩塚古墳(寺社・史跡)

 小塞神社古墳(寺社・史跡)

 桃塚古墳(寺社・史跡)

 愛宕塚古墳(寺社・史跡)

 若栗神社(寺社・史跡)

 兼松正吉墓碑(東林寺)(寺社・史跡)

 愛宕神社古墳(寺社・史跡)

 人麿塚(人麿塚古墳)(寺社・史跡)

 浅井神社古墳(寺社・史跡)

 浅井31号墳(寺社・史跡)

 千部塚古墳(寺社・史跡)

 石刀神社(15号墳)(寺社・史跡)

 坂手神社(寺社・史跡)

 富塚古墳(寺社・史跡)

 浅井古墳群(16号墳)(寺社・史跡)

 河田渡河戦の跡・木曽川笠田渡船場跡(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 川島会館 各務原市木曽川文化史料館(関連施設)

 木曽川堤櫻(その他)

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