坂戸城(さかとじょう)

坂戸城の基本情報

通称・別名

所在地

新潟県南魚沼市坂戸字坂戸山

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

新田氏

築城年

鎌倉時代?、南北朝時代以降?

主な改修者

主な城主

新田氏、長尾氏、上杉氏、堀氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

国史跡(坂戸城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

樺沢城(新潟県南魚沼市)[7.7km]
大井田城(新潟県十日町市)[15.4km]
荒戸城(新潟県南魚沼郡)[19.4km]
下倉山城(新潟県魚沼市)[21.0km]
今井城(新潟県中魚沼郡)[26.4km]
岡野町城(新潟県柏崎市)[28.5km]
稗生城(新潟県小千谷市)[29.2km]
浅貝寄居城(新潟県南魚沼郡)[31.4km]
室野城(新潟県十日町市)[31.7km]
仙当城(長野県下水内郡)[33.4km]

坂戸城の解説文



坂戸城(さかどじょう)は、新潟県南魚沼市に存在した大規模な日本の城(山城)。坂戸山山頂(標高634メートル)に本丸、麓に平時の居館跡の遺構が見られ、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置する。1979年(昭和54年)6月11日、国の史跡に指定された[1]

概要 

上田長尾氏ゆかりの城として知られており、長尾政景や上杉景勝の居城として名高い。上杉謙信の姉仙桃院の嫁ぎ先でもある。また上杉景勝が会津へ移され、かわって堀氏が越後に入ると、堀直寄が坂戸城主を務めたことで知られる。

沿革 

中世越後の魚沼郡南部(南魚沼郡)には上田荘があり、鎌倉時代頃には清和源氏流新田氏一族の勢力下にあって、当時、荘の中心を扼する坂戸山に城郭が築かれていたものとも推定されるが、本格的な造営は南北朝時代にはいって以降のことと考えられている。

南北朝動乱において、北朝方に立った上杉氏は、越後国南部から南朝方に属した新田氏らを放逐し、上杉憲顕のときに越後の守護に任じられたが、その家臣長尾高景の一族の者が、文和年間(1352年-1355年)に上田荘を領し、上田長尾氏を称して、坂戸山を居城にしたと伝承される。こののち上田長尾氏は、守護代の長尾氏とならんで越後国に枢要な位置を占めた。その居城である坂戸城は、越後府中(現在の上越市直江津地区)と関東平野を結ぶ陸上交通の抑えとして、また、魚野川を利用した河川交通の要所として、さらに魚沼の穀倉地帯を擁する経済上の要地として、重要な役割を担うこととなった。

守護代長尾為景は、永正4年(1507年)、越後の国人衆を糾合して守護上杉房能を排斥し、永正7年(1510年)には関東管領上杉顕定をも長森原の戦いにおいて敗死させて越後一国に覇を唱えた。上田長尾氏は守護代長尾氏に対して一定の独立性を保持したものの、為景の死後、長尾景虎(上杉謙信)が越後国主となるにおよび、天文20年(1551年)には上田長尾氏の長尾政景が上杉謙信に坂戸城を包囲され、謙信に誓詞を提出して、その軍門に降ったとされる。なお、その後、政景は立身するものの、永禄7年(1564年)、付近の野尻池にて琵琶嶋城主宇佐美定満(下平吉長とも)との舟遊び中に定満とともに謎の死を遂げている。

謙信の死後政景の子で謙信の養子となっていた上杉景勝と、後北条氏出身の上杉景虎との家督争い御館の乱が勃発する。景虎の要望に応えて出陣した北条氏照・氏邦(景虎の兄)らは入越すべく、三国峠を越えて坂戸城を指呼の間に望む樺沢城を奪取し、坂戸城攻略に着手した。しかし景勝方はよく守り、また冬が近づいてきたこともあって、北条勢は樺沢城に氏邦・北条高広らを置き、北条景広を遊軍として残置しての撤退を強いられた。そして景虎は翌年滅亡、北条勢の越後への侵入をこの城で阻んだことが景勝方の勝利の大きな要因となった。

乱を制して景勝が春日山城主になると、父が政景の家臣であった樋口兼続(のちの直江兼続)をはじめとする「上田衆」が景勝の直臣団を構成するようになり、同時に、坂戸城は、春日山城の有力な支城として領国経営の重要拠点となった。兼続も坂戸城主に任じられている。

景勝は、天正10年(1582年)に越中方面で織田信長の軍勢と交戦しており、その際、上野国厩橋城(群馬県前橋市)から越後に侵入した滝川一益の軍勢とも戦っているが坂戸城は持ちこたえている。

慶長3年(1598年)、景勝は陸奥国の会津地方に転封となり、かわって越前国から堀秀治が越後に入部すると、坂戸城には、秀治の家臣堀直寄が入り、上田3万石を領した。直寄は坂戸城を山麓の居館部を中心に近世城郭へと改修している。

慶長14年(1609年)に堀直寄が信濃国飯山に移されたのち、坂戸城は廃却された。

立地と縄張り 

室町時代の坂戸が、交通上、経済上の要地であったことは上述の通りであるが、さらに同時代にあっては、越後国も上野国もともに関東管領山内上杉氏の分国だったため、関越間の交通もまた頻繁だったこと、また、当時の魚沼地方には上田銀山があって越後随一の銀の産出をほこってもいたことは、戦国時代に入ると、また激しい争奪の対象ともなったことを意味していた。

その軍事拠点たる坂戸城は、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす坂戸山に立地している。坂戸山は、山麓との比高は400mを超え、六日町盆地を流れる魚野川と三国川の合流点に向かって半島状に突出しており、北、東、西の三方は急崖をなし、西裾を流れる魚野川が天然の外堀として軍事上の防禦線となっている。

西麓の緩斜面に、城主の居館跡と家臣団の屋敷跡があり、東西110メートル、南北80メートルの城主居館跡は矩形をなし、その周囲は土塁がめぐり、特に西側正面には、高さ約2メートルの石垣がきわめて良好に遺存している。なお、家臣屋敷跡の前面、魚野川との間には「埋田」(うめた)と称される堀跡が残っている。

城主居館跡の南方、「薬師尾根」と称される尾根の中腹には「中屋敷」跡と呼ばれる東西約40メートル、南北約50メートルの区画があり、また、居館跡から東方、山上の尾根に向かう大手道を上った通称「桃の木平」には東西30メートル、南北120メートルと長狭な「上屋敷」跡がある。

戦闘時に使用する坂戸山頂上付近の「本丸」は、標高634メートルの平坦地でそれほど高所に位置するわけではないが、湧水が7合目付近でも得られることから、戦略上の価値はきわめて高かったと推定される。

「本丸」から北に延びる尾根上に「二の丸」「三の丸」などと称される主要郭跡が残っているほか、南東方向の搦手にも郭跡がみられる。南東尾根の先端、標高631メートル地点には「詰の丸」と呼称される平坦地があり、土塁が遺存している。

なお、山上尾根の要所には大規模な堀切があり、また、「本丸」東方斜面には石垣が遺存する。このほか、山頂から南西に延びる尾根の標高500メートル地点付近には「西の丸」跡がある。「西の丸」から尾根先端、寺ヶ鼻の「出丸」跡までの約2キロメートルの間に100基以上の畝状竪堀が築かれている。

周辺情報 

坂戸山の山麓には長尾政景墓所と上杉景勝・直江兼続の生誕碑がある。また、山頂には天正14年(1586年)、直江兼続の勧請によるとの伝承をもつ富士権現が祀られている。現在、坂戸山は登山道が整備され、多くのハイカーで賑わっている。山開きは毎年6月30日におこなわれる。

坂戸山の山麓周辺一帯には、現在、南魚沼市六日町地域の温泉街や市街地が広がっている。

登山口までのアクセス 

  • 新潟県南魚沼市六日町坂戸
    • 関越道-六日町インターチェンジから車で約10分
    • JR上越線・北越急行ほくほく線 六日町駅から東へ徒歩約20分

参考文献 

  • 小和田哲男監修『ビジュアルワイド 日本の城』小学館、2005年3月。 ISBN 4-09-681563-2

坂戸城の口コミ情報

2022年05月10日 安吉右近衛少将兼加賀守大江呑経
坂戸城



比較的、登りやすい城坂(大手口)も急斜面に息が上がるほどでした。六日町駅から90分弱で登頂可能です。足元の悪いときはお奨めしません。さすが要害です。

2021年05月23日 下沼下総守雄信
雲洞庵[坂戸城  寺社・史跡]

本堂(新潟県指定文化財)は室町時代永享年間、上杉憲実公によって建立。その後1707年に、新潟県出雲崎の小黒甚内を棟梁とする大工群によって再建された寺院は、近世寺院建築の最も優れたものとされている。
赤門から本堂に続く参道の石畳の下には、一石一字ずつ法華経が認められて埋められており、この石畳を踏みしめて参拝すると、罪業消滅・万福多幸の御利益に預かると信仰されている。
十三世 通天存達和尚は、10歳の喜平次(後の上杉景勝)と5歳の与六(後の直江兼続)を引き取り雲洞庵で教育。景勝、兼続は戦国時代の武将としては教養高く、四書五経をはじめ中国古典にも造詣が深ったと云われている。

2020年09月22日 権大納言尼子保久
坂戸城



いい天気に恵まれました。薬師尾根コースは辛そうなので城坂コースを登りました。それでも実城まで80分。結構脚にきました。

2018年07月31日 カーネル
坂戸城

上越線 六日町駅東口

駅を背に東へ歩く。豪雨なので屋根付きのアーケードが助かります。が、5分でアーケード終わり傘をさして歩く

魚野川を超えて、坂戸城址駐車場を目指します。駐車場の先は林道となり、家臣屋敷跡を過ぎると石垣群で、一つ一つの石が大きい。すごいです
下が草地なので、雨だとすぐに靴が浸水します

林道を先に進み、案内がないので不安になったころに、城坂遊歩道の看板があり、ここから山道にあります

つづらを切っているので傾斜はそれほどでもないですが、頂上まで長い。桃ノ木平を過ぎると曲輪っぽいのが多数あり、山道を辿れば頂上に至ります。ここまで駅から75分

頂上には、『大城・小城→』の看板があるので行ってみる。いくつかの堀?窪み?を経てたどり着いた小ピークは土塁に囲まれていい感じでした

来た道を戻って駅へ。170分でした

2017年05月03日 まー刑部卿
坂戸城

坂戸城周辺にある武将像は
・喜平次と与六(銭淵公園)
・上杉景勝と樋口兼続のレリーフ(南魚沼市役所)
・お六と桂姫(六日町大橋の足湯側)
『兼続商店街』
・真田幸村(第四銀行六日町支店駐車場前)
・石田三成(日本郵政六日町郵便局)
・上杉謙信(新潟県信用組合六日町支店)
(けんしん)
・直江兼続(関電気前)
《銀行庁舎工事中のため撤去、土台のみ残存》
・上杉景勝(北越銀行六日町支店)

2017年05月03日 まー刑部卿
坂戸城

文字数超過のため続編。
実城手前にある廣瀬曲輪跡には石垣がありました。実城には富士権現神社が鎮座。大城・小城へは廣瀬曲輪から実城に登らず直進するか富士権現神社を過ぎていくかのどちらか。矢印板はあったが実際に行ってみると堀切はあったが説明板は一切なし。帰りは途中まで城坂コースで行き一本杉で薬師尾根コースに入り御居間屋敷跡から鳥坂神社へ行きました。御居間屋敷から鳥坂神社に向かう途中竪堀がうねってました。
まだ残雪があるため運動靴は必ず履いていくと良いです。また飲水は必須です。
兼続商店街にある足湯【お六上の湯】は先人言ったとおり無料ですが駐車場なし。第四銀行か向かいにある北越銀行の駐車場を利用すると良い。またお湯の温度が高く熱い場合水道でぬるく出来ます。この時は誰も利用していませんでした。土日祝は午後6時までです。

2017年05月03日 まー刑部卿
坂戸城

本日登城してきました。まず駐車場は鳥坂神社に駐車出来ますが朝早く行かないといっぱいになります。そこから銭淵公園に向かっていくと【坂戸山登山者専用駐車場】があるのでそこに停めました。そこでも停められない場合は少し遠いですが銭淵公園の駐車場に停めて下さい。登城は鳥坂神社へ向かう途中にある内堀(埋田堀)跡を見てから神社へ向かうといいでしょう。そこから城坂コース・薬師尾根コースに分かれます。トイレは鳥坂神社鳥居奥にあります。薬師尾根コースから登り城坂コースで下りる方が多いようですがキツい城坂コースで登りました。御館跡にある穴太積みの石垣は必見です。この時季でもとにかくキツいです。日陰はほぼなし。途中湧水のような小川で顔や首に水をかけながら登って行きます。80分(1時間20分)かかるとパンフレットに載っていますが2時間30分以上はかかったと思います。主水曲輪跡には堀切が確認出来ましたが脚が疲れきってたため降りるのを断念しました。またハチが結構飛んでいました。

2013年09月29日 傾奇揚げ仙兵衛
坂戸城

坂戸城対岸に『お六の湯』(無料の足湯)があります。六日町大橋たもと
坂戸山登山後や坂戸城散策の際は是非お立ち寄り下さい。
因みに「お六」は天地人で一躍有名になった直江兼続の幼少期の呼び名(大河で樋口与六)地元ではお六と呼ぶ!

2012年05月27日 傾奇揚げ仙兵衛
坂戸城

坂戸城下六日町の兼続通りに戦国武将像有り
真田幸村公 第四銀行前
石田三成公 郵便局前
直江兼続公 関電気前
上杉景勝公 ホクギン前
上杉謙信公 ケンシン前に鎮座

多分ギリギリ城郭内の銭淵公園内に景勝と兼続の像鎮座
直江兼続の生誕の家を模した資料館も敷地内に有り

2010年07月21日 さくら主膳佑にゃ〜
坂戸城

本日炎天下の中登って参りましたが、薬師尾根コースは登り易いものの日陰が無く、水分を多めにお持ち下さい。また城道コースは従来の大手道の様ですが、薬師尾根を利用する方が多いので若干下草が伸びています。しかしながら実城〜主水曲輪間では多くの平場、見事な堀切が拝めますので、是非とも脚を延ばしてみて下さいね。

…とか言いながら時間と体力の問題から大城、小城までは行ってないの(-_-; またあそこを登らなきゃならんのか〜。

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
坂戸城

[武将像]上杉景勝・直江兼続レリーフ
南魚沼市役所前に鎮座。

2010年06月12日 ムッシュ荒木ムラ村重
坂戸城

せっかく現地まで行かれるなら、是非とも実城まで行ってみてください
上杉の魂を前面に押し出して一歩ずつ歩いて行けば、必ず登頂できるハズ
そんな気持ちを込めて実城まで登頂した者だけが見ることができる解説板の画像をアップしました(あいり殿、しばらく思い違いにてご迷惑をおかけいたしました)
実城から眼下に広がる上田庄を見下ろせば「愛」民の精神を少しは理解できるかも
長尾政景無念の地・銭淵公園などもお忘れなく

坂戸城の周辺スポット情報

 水堀(遺構・復元物)

 家臣屋敷跡(遺構・復元物)

 家臣屋敷跡(遺構・復元物)

 実城(主郭)(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 廣瀬曲輪(遺構・復元物)

 大城(遺構・復元物)

 小城(遺構・復元物)

 主水曲輪(遺構・復元物)

 寺ヶ鼻曲輪(遺構・復元物)

 山麓居館跡(遺構・復元物)

 御居間屋敷跡(遺構・復元物)

 六万騎城(周辺城郭)

 坂戸城主 長尾政景の墓(寺社・史跡)

 上田長尾氏歴代と直江兼続の供養塔(寺社・史跡)

 上杉顕定公管領塚史跡公園(寺社・史跡)

 雲洞庵(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 直江兼続公伝世館(関連施設)

 上杉景勝と直江兼続の銅像(青年期)(関連施設)

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