松代城(まつだいじょう)
松代城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 新潟県十日町市松代字城の腰
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- 独立式層塔型[2重2階/1981年築/模擬]
築城主
- 不明
築城年
- 南北朝時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 風間定勝
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- 市史跡(松代城跡)
再建造物
- 模擬天守(展望台)
周辺の城
-
岡野町城(新潟県柏崎市)[12.0km]
直峰城(新潟県上越市)[14.5km]
今井城(新潟県中魚沼郡)[15.1km]
大井田城(新潟県十日町市)[16.1km]
猿毛城(新潟県上越市)[18.7km]
仙当城(長野県下水内郡)[19.0km]
上条城(新潟県柏崎市)[21.1km]
樺沢城(新潟県南魚沼市)[21.4km]
雁金城(新潟県上越市)[21.7km]
京ヶ岳城(新潟県上越市)[23.8km]
松代城の解説文
松代城の口コミ情報
2014年05月29日 まるさん伊豆守小町時間割
室野城[松代城 周辺城郭]
2014年5月25日に室野城跡へ原チャリにて行ってきましたが…下の駐車場横にある大手門(でいいと思います)から本丸への登城路が工事中のため通行止めになっていました!(@_@)
また下の駐車場も工事関係車両の転回場として利用するために駐車禁止に!(>_<)たまたま日曜日で工事休みだったので本丸まで行くことは出来ましたが…途中の道路脇に一部あった側溝を延伸していました。
ですから工事実施中は歩行者でも通らせてもらえるかは疑問です。また工事期間の表示もないため近々訪れようと考えていらっしゃる方は十日町市に事前に確認されるのが無難でしょう。
2013年06月06日 まるさん伊豆守小町時間割
室野城[松代城 周辺城郭]
室野城跡のある十日町市では3年毎に大地の芸術祭なる催しが行われ、大自然の景観を生かした芸術作品の展示が各地にあるのですが、そのほとんどの作品が芸術祭の期間以外も常設され見ることが出来ます。
そして、室野城跡への経路からほんの少し入った場所にある『城の池』(案内看板があるので、すぐにわかります)にも作品は設置されていますので、もし城跡に訪れるならば寄り道してはいかがでしょうか?
そこには展示物とは別に実昇清水なる延命水もありましたからご利益もあるかもしれません!
2013年01月20日 まるさん伊豆守小町時間割
室野城[松代城 周辺城郭]
↓その3
室野城は遠景に富み、本丸跡より眺望すれば、上越・春日山、北は米山・黒姫山等を一目に集め、最も要害の山城なり。
又、上杉謙信公の当時は、春日山城に属する越後97城の1にして、東方越後、関東の関門として、妻有・坂戸を経て、三国峠を越え、沼田・厩橋に通じる要城であった。
↑以上です。
本丸跡にも説明文の書かれた板がありますが…文字がかなりかすれていて撮影した写真からの読み取りが出来ませんでした(>_<)
なので、次に現地に行った時にはしっかり解読(笑)して来たいと思います。
2013年01月20日 まるさん伊豆守小町時間割
室野城[松代城 周辺城郭]
↓その2
正平17年(1362年)足利方と南朝方の戦いの中、室野城は南朝方に属し、足利義詮(尊氏の子)の命を受けた大友刑部大輔氏時の兵に12月31日、不意の襲撃を受け、落城。
時の城主・渡辺民部大夫は、室野村下屋敷(現在の殿屋敷跡)にて討死をした。
故に、近世に至るまで当地では、大晦日・年取りの刻には各家戸締りを厳にして要心を成す習慣がある。
正平17年(1362年)の大晦日に討死した室野城主渡辺民部大夫の墓と思われる五輪塔が、室野・佐藤家(重家・隠居)の墓地の中にあるが、これは、この当時室野村の庄屋(むらおさ)であった佐藤家が城主の供養のため建てたものと考えられる。
以下、その3につづく
2013年01月20日 まるさん伊豆守小町時間割
室野城[松代城 周辺城郭]
室野城山保存会による室野城址案内図に記載されていた説明文を転記しておきます。
↓その1
史跡 室野城
寛治元年(1087年)この地方の豪族で代々松之山姓を名乗った。松之山二郎室野城山に居を構える。
元久2年(1205年)越後は、北条幕府の直轄地として、北条朝時の支配となり、命を受け部下の藤部氏、室野城を築城する。
以下、その2につづく
2012年11月25日 まるさん伊豆守小町時間割
室野城[松代城 周辺城郭]
本日初めて登城してみました!が、予想していたよりもかなり整備されていて驚きました。
↓の口コミに書かれています集落からの入り口に『室野城址』と表示されていますが…そこから約1.8kmくらい進むと下の駐車場に着きます。ここまでは普通の乗用車などでも大丈夫でしょうが…
投稿した写真にある木製の黒い門の先も道路は車でも進めます。(コンクリート舗装されています)が、かなり狭い部分がありますので軽自動車でなければ難しく感じました(私は原チャリでしたから問題なし)し、途中の待避所を使わないとすれ違いは無理です。
ちなみに本丸までは1.2kmと書かれていましたが…その少し手前に上の駐車場がありまして、仮設トイレも設置されていました。ここから本丸跡までは徒歩で5分程度で登れました。
とにかく眺めが素晴らしかったです!










松代城(まつだいじょう)は、新潟県十日町市松代の標高385mの尾根上にある戦国時代の山城です。
構造
南方は急峻を利用し、北方には渋海川(しぶみがわ)を境にして、各種削平地を伐り開く、東西に尾根が連なり、西に二の丸、東に三の丸(現在は櫓が建っている)を有し、尾根には堀をつくる普請跡がみえます。西南方向に進むと2条の空堀があり、それぞれ深さ2.6m、幅1.5m、長さ24mと、同じく3.5m、4m、25m。北東方向位は、三の丸跡が昨今削平されて模擬城が建ち、遺構が破壊されています。
伝承
南北朝時代に、風間九郎左衛門が南朝方の風間信濃守に呼応して拠ったという伝説があります。また、後年、上杉謙信の関東出陣の際に、軍用道路に沿って城があり、謙信愛用の袈裟をかけた松もあったと云います。謙信死後の「御館の乱」(※)の際には、上田城(南魚沼市)と春日山(上越市)とを結ぶ通路にある要害のひとつだったと推測されています。※御館の乱(おたてのらん)
1578年(天正6年)3月13日に上杉謙信が急死したあと、上杉家の家督をめぐって謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎との間で起こった後継者争い。景勝が勝利し家督を継いだ。
1970年(昭和45年)8月7日に旧・松代町の文化財に指定されました。
参考文献
・十日町市博物館ホームページ