上条城(じょうじょうじょう)

上条城の基本情報

通称・別名

所在地

新潟県柏崎市上条

旧国名

越後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

上杉清方

築城年

文安2年(1445)

主な改修者

主な城主

上杉氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

安田城(新潟県柏崎市)[4.9km]
琵琶島城(新潟県柏崎市)[5.0km]
北条城(新潟県柏崎市)[6.7km]
猿毛城(新潟県上越市)[8.9km]
旗持城(新潟県柏崎市)[10.2km]

上条城の解説文

上条城(じょうじょうじょう)とは現在の新潟県柏崎市上条にある、室町時代中期に築城された平山城である。

概要
越後国の守護をしていた上杉房方が次男の上杉清方|清方に越後中郡の土豪衆を押さえるために配したのが始まりであり、上杉清方|清方の子の上杉房定|房定と孫の上杉定実|定実は越後守護職を継いでいる。

歴史
室町時代
永正4年(1507年)8月2日 (旧暦)|8月2日、守護代の上杉為景は守護の上杉房能と対立し、府中にある館を襲撃、上杉房能は関東に逃げる途中で天水越で自刃した。その後、長尾為景は上杉家から上杉定実を支持し、高い地位に就かせようとして守護に迎え、上杉為景に反抗する本庄城主の本庄時長と平林城主の色部昌長らを攻撃し、色部昌長は関東管領の上杉顕定(房能の兄)に援軍を求めたが、為景も白井城主の長尾景春と結んで顕定を止めた。為景は室町幕府に願い出て定実の守護の相続を許されるが、永正6年(1509年)4月に上杉顕定は長尾景春を鎮圧し越後に侵攻した。上杉為景と上杉定実は一時越中に逃れた。為景は永正7年(1510年)4月、為景は佐渡を経由して蒲原津に到着した。このときの上条城主の上条定憲は為景派に寝返り、為景軍は寺泊まで進攻した。不利だと思った上杉顕定は体制を立て直すため関東に撤退を試みたが、6月20日に長森原で上杉為景に、8月2日に高梨氏館主の高梨政盛らに包囲され戦死した。これを長森原の戦いという。

上杉為景は越後を自分の都合の良いようにしたが、次第に定実との関係が悪くなりつつあった。永正10年(1513年)上杉定実は琵琶島城主の宇佐美房忠と上条城主の上条定憲らと語らって挙兵、永正11年(1514年)1月17日に房忠ら一族が討ち死にして反乱は一時収まったかのように見えたが、しかし、為景が権威、権力の獲得を図るのに対して、上条城主の上条定憲は周りの人々の支持を集めて享禄3年(1530年)に上条城で挙兵した。享禄4年(1531年)に一時収まるが、天文2年(1533年)に再発した。為景は下倉城主の福王寺孝重や北条城主の北条光広らの支持を得るものの苦戦し、天文2年(1533年)には朝廷に奏請して綸旨を得、国民の気勢を削ごうとしたがあまり効果はなく、天文3年(1534年)3月には安田城主の安田景元に上条城の攻撃を命じた。北条光広と安田景元らは上条城付近で定憲と戦い勝利した。定憲軍は天文5年(1536年)4月10日 (旧暦)|4月10日、春日山城下まで侵攻し、為景は高梨政盛らの援軍を得て三分一原で撃退した。この戦いの後、為景は長男の長尾晴景|晴景に家督を譲って隠居し、しばらくして病死した。

戦国時代
天正年間には能登七尾城主畠山氏の一族、義春に上条家を継がせ、義春は上条政繁|上条弥五郎政繁と名乗り、上杉の一門衆として96名の軍役を負った。天正6年(1578年)の謙信の死後勃発した「御館の乱」では、政繁は景勝に味方したが、天正7年(1579年)、景虎方に一時攻略された。同年3月3日 (旧暦)|3月3日に旗持城主・佐野清左衛門尉が奪還し、旗持城の兵士に守らせた。天正14年(1586年)、上条政繁は上方に逃げて行方をくらましたため、上条城には村山慶綱が入った。慶長3年(1598年)の上杉景勝の会津移封後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに呼応して起きた上杉遺臣一揆の際に上杉氏の旧臣に攻略されてしまい、その後廃城となった。

現代
現在、土塁や堀、曲輪等の遺構は整備されている。駐車場はない。

交通
鉄道
JR越後線・信越本線柏崎駅より徒歩約60分
...

上条城の口コミ情報

まー宮内卿様[2017年05月27日]
国道353号線の新御殿橋のたもとに『上条城↑』とありますがこれは間違いで左折します。川と並行に道路があるのでそのまま直進すると左手に左折し上ると石碑があります。花畑を歩きましたが空堀は藪で見つからず花粉まみれになりました。駐車場は近くの宮之窪公民館から歩いて到着しました。

うつけ大宰大弐麺喰丸様[2015年11月01日]
正直、見つけるのに苦労しました。上条集落センターという白い建物の裏に有ります。

ヤマコフ505I様[2014年02月12日]
防衛目的の城砦というか館城みたいな感じです。15m程の小さな丘に築かれ、鵜川と御殿川をそれぞれ内堀外堀としてます。郭構えは7〜8000㎡もあり広大な館城であったことを伺わせます。


〜余談〜
越後内乱の主要人物の1人であった上条定憲の居城であるのにこの防備では…と思い辺りを見回すと西の方に良い塩梅の山を見つけたので、車で近づいて調査開始。
案の定でした、近くにいた爺様に聞いてみたら黒滝城という城で、さらに調べたら黒滝城は上条城の要害ということでまさに読み通り(キリッ


暇があればどっちも行ってみてね

まるさん武蔵守小町時間割様[2012年04月30日]
本日リアルに攻略(笑)しましたが…


柏崎市街から国道353号線で近づくと小さな案内看板がいくつかあるので、
それを辿れば行きやすいと思います



ちょうど風が出てきて桜吹雪が見事な状態でした

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore