安田城(やすだじょう)

安田城の基本情報

通称・別名

所在地

新潟県柏崎市安田(安田城跡公園)

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

安田憲朝

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

安田氏

廃城年

慶長3年(1598)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

北条城(新潟県柏崎市)[2.1km]
琵琶島城(新潟県柏崎市)[4.8km]
上条城(新潟県柏崎市)[4.9km]
赤田城(新潟県刈羽郡)[9.0km]
桝形城(新潟県長岡市)[12.0km]

安田城の解説文

安田城(やすだじょう)は、新潟県柏崎市(かつての越後国刈羽郡)にあった城。

築城年は不明だが、歴代の城主である安田氏が北条(きたじょう)の北条家から分家独立し鵜川庄安田城に移っている事から、安田氏初代当主の安田憲朝が築城したと思われるが、憲朝の父の道幸が安田条の地頭職を憲朝に移譲した記録(安田文書)もある為、憲朝以前に城ないし館が有った可能性もある。

室町期、越後は守護である上杉氏と守護代の長尾氏の争いを始めとし、数多くの内乱が起きているが、上条の乱のごく一部の時期を除いてはこの城は常に長尾家側に組しており、天文23年(1554年)の北条高広の謀反をいち早く長尾景虎に伝えたのはこの城の城主安田景元である。

五代目当主の広春は、本家筋の北条家惣領及び北条城主を兼任しているが、広春の死後に再び別の系図となり、広春の養子として景元が安田家を継ぐのであるが、継いだ後は妻の実家であり本家筋の北条城で暮らしていた(天文2年(1533年)の上条勢との戦いの後に安田城に入城している)。

慶長3年(1598年)の上杉氏の会津への移封時に廃城となる。

現在は主郭部分がほぼ原形の地形のまま児童公園となっており、他に堀切や土塁が残る。

安田城の口コミ情報

安田式部大輔秀元様[2017年08月17日]
・墓所情報・
初代安田城主 安田憲朝は 安田城築城前の「佐橋朝広」という名で同市高柳町の広済寺に供養塔があります。
又、戦国時代 上杉家 御館の乱の後に安田氏当主となった安田能元は上杉家移封とともに米沢に行った為、米沢の慶福寺に墓所があるそうです。

まー武蔵守様[2017年05月28日]
城之組と呼ばれる一帯に城跡への矢印板があったため示す通りに向かう。県道側に『安田城址入口』の石碑有り。県道側だと左折すると車一台分の道幅を直進。後から気づいたが左手にニノ丸跡の駐車場有り奥にトイレも有り。気づかず直進し墓地に到着。曲輪の跡というこの墓地は切り返すのが大変なため手前左折したニノ丸に停めたほうが良いです。ここからだと本丸まで徒歩5分ほど。墓地から先を歩くと空ぼり跡→本丸跡とこちらも徒歩5分くらいです。ニノ丸に【城之組農村公園(安田城跡入口)】と掲げられていました。本丸に石碑があります。なお先人の云う城址公園に説明板がありました。だだっ広い駐車場とトイレ有り。

常陸入道ねんさい和泉守様[2013年04月11日]
道路沿いの駐車場が あるきれいに整備された安田城址公園は城跡とは関係ないみたい。公園に入って少し先にあるのが本来の城跡。一部の帯曲輪は墓地になっている。本丸、二の丸はよく残る。本丸は周りの曲輪より高い。堀切もあった。

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