安田城(やすだじょう)
安田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 新潟県柏崎市安田字南谷
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 安田憲朝
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 安田氏
廃城年
- 慶長3年(1598)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
北条城(新潟県柏崎市)[2.2km]
琵琶島城(新潟県柏崎市)[4.8km]
上条城(新潟県柏崎市)[4.9km]
赤田城(新潟県刈羽郡)[8.9km]
桝形城(新潟県長岡市)[12.0km]
勝山城(新潟県刈羽郡)[12.1km]
猿毛城(新潟県上越市)[13.8km]
旗持城(新潟県柏崎市)[13.9km]
岡野町城(新潟県柏崎市)[14.4km]
椎谷陣屋(新潟県柏崎市)[15.0km]
安田城の解説文
[引用元:Wikipedia「安田城」の項目]
安田城(やすだじょう)は、新潟県柏崎市(かつての越後国刈羽郡)にあった日本の城。
築城年は不明だが、歴代の城主である安田氏が北条(きたじょう)の北条家から分家独立し鵜川庄安田城に移っている事から、安田氏初代当主の安田憲朝が築城したと思われるが、憲朝の父の道幸が安田条の地頭職を憲朝に移譲した記録(安田文書)もある為、憲朝以前に城ないし館が有った可能性もある。
室町期、越後は守護である上杉氏と守護代の長尾氏の争いを始めとし、数多くの内乱が起きているが、上条の乱のごく一部の時期を除いてはこの城は常に長尾家側に組しており、天文23年(1554年)の北条高広の謀反をいち早く長尾景虎に伝えたのはこの城の城主安田景元である。
ただし、景元は安田氏の本家に近い庶流からの入嗣であったとみられ、永正12年(1515年)に長尾為景から安田氏の後継者として安堵を受けているものの、安田自体は本家筋の女性が継承した。系図では実際の古文書と異なり、安田広春が継いだように記されているが、広春は北条家・安田家の庶流から上杉氏の奉行人に抜擢された人物とみられ、前述の本家筋の女性の婿として名代を務めていた可能性がある。長尾為景の尽力で景元が安田城に入城したのは天文2年(1533年)の上条勢との戦いの後である[1]。
慶長3年(1598年)の上杉氏の会津への移封時に廃城となる。
現在は主郭部分がほぼ原形の地形のまま児童公園となっており、他に堀切や土塁が残る。
[続きを見る]
安田城の口コミ情報
2023年06月25日 號号権中納言虎右衞門⚔️破瓶
安田城
JR信越本線安田駅から15分くらいです。駅からは高さは感じませんが急登があるので注意してください。駅前の大和屋菓子店の饅頭が美味しかった😊
2023年06月21日 RED副将軍
安田城
上杉謙信の重臣である安田氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。南北朝時代に安田憲朝により築かれたとされます。
安田憲朝は、有力鎌倉御家人の大江広元の系譜で越後毛利氏の一族とされ、北条(きたじょう)氏から分家独立し鵜川庄安田条を領して安田氏を称しました。室町時代の越後は、守護の上杉氏と守護代の長尾氏が争いましたが、安田氏は長尾氏に属していました。
五代目当主の安田広春は、本家の北条家惣領及び北条城主を兼任しましたが、安田広春が没すると安田氏は養子の安田景元が、北条氏は北条高広がそれぞれ継承し再び分裂しました。
1554年、北条高広が長尾氏に敵対する甲斐の武田信玄と通じて謀反を起こした際に、長尾景虎(上杉謙信)に伝えたのは安田城の安田景元で賞賛を受けたとされます。
1578年、上杉謙信が没すると後継者争いである御館の乱が勃発。当主の安田顕元は上杉景勝に味方します。上杉景虎側についた国人衆を調略し、景勝側に引き入れて勝利に大いに貢献したとされます。しかし、論功行賞において恩賞は国人衆にほとんど与えられず国人衆は反発。板挟みとなり責任を感じた安田顕元は自害し、家督は弟の安田能元に継承されました。
1598年、上杉景勝が会津へ移封されると安田氏も会津に従い、安田城は廃城となりました。
見所
鯖石川左岸の丘陵先端に築かれており、ピークに主郭を配し、東側下に二郭、北側から西側下に三郭を巡らせた輪郭式です。
主郭南側の丘陵基部は二重堀切で区切り、西側下には二条の竪堀が認められます。二重堀切の一条は大きいです。
竪堀は「空堀り」の案内板がありますがヤブってました。二郭は公園となり、三郭は水道施設となり改変を受けています。
行き方は、西側の工業団地側に駐車場があり散策路が付いています。比高は30mほどで気軽に登れます。王坂は道が狭いため車で上がるのは避けた方が良いと思います。
2021年05月06日 mootze
安田城
道路から安田城入口の看板みつけて進入、竹やぶの中に墓地があり、その道から入っていきました。本丸には石碑しかありません、
2017年08月17日 安田大蔵卿秀俊
安田城
・墓所情報・
初代安田城主 安田憲朝は 安田城築城前の「佐橋朝広」という名で同市高柳町の広済寺に供養塔があります。
又、戦国時代 上杉家 御館の乱の後に安田氏当主となった安田能元は上杉家移封とともに米沢に行った為、米沢の慶福寺に墓所があるそうです。
2017年05月28日 まー刑部卿
安田城
城之組と呼ばれる一帯に城跡への矢印板があったため示す通りに向かう。県道側に『安田城址入口』の石碑有り。県道側だと左折すると車一台分の道幅を直進。後から気づいたが左手にニノ丸跡の駐車場有り奥にトイレも有り。気づかず直進し墓地に到着。曲輪の跡というこの墓地は切り返すのが大変なため手前左折したニノ丸に停めたほうが良いです。ここからだと本丸まで徒歩5分ほど。墓地から先を歩くと空ぼり跡→本丸跡とこちらも徒歩5分くらいです。ニノ丸に【城之組農村公園(安田城跡入口)】と掲げられていました。本丸に石碑があります。なお先人の云う城址公園に説明板がありました。だだっ広い駐車場とトイレ有り。
2013年04月11日 【隠者】史学会帰新参
安田城
道路沿いの駐車場が あるきれいに整備された安田城址公園は城跡とは関係ないみたい。公園に入って少し先にあるのが本来の城跡。一部の帯曲輪は墓地になっている。本丸、二の丸はよく残る。本丸は周りの曲輪より高い。堀切もあった。