赤田城(あかだじょう)
赤田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 新潟県刈羽郡刈羽村赤田北方字城山
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 斎藤氏
廃城年
- 慶長3年(1598)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
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赤田城の解説文
赤田城の口コミ情報
2015年09月23日 ❄千ノ坂修理亮
赤田城
麓の東福院には赤田城主の斎藤夫妻の大きなお墓があります。
あと長谷川与五右衛門のお墓もありました。
与五右衛門は斎藤氏の家臣で、第五次川中島合戦であったといわれる「一騎打ち」の上杉方の功労者と言われています。
なんでも長期のにらみ合いに焦れた双方が一騎打ちで勝敗を決しようと行われたとか…。
2014年02月11日 ヤマコフ505I
赤田城
深さ底幅ともに10m以上の県下最大級の重厚な大堀切が段状に切り取られ、本丸東の下には長さ約140m幅21mあまりの千人溜まりのような帯曲輪
他、遊歩道外の尾根にでると数々の堅固な遺構があり赤田城の真の魅力を見たいかたはどうぞ自己責任で…笑
何気に内乱など味方した方を必ず勝利に導いた実績はもはや影の軍神?そんな斎藤氏の居城でここ一番の際には必勝を祈願するのもいいかも
2012年09月07日 傾奇揚げ仙兵衛
赤田城
前回訪問時は遊歩道の整備工事で入山出来なかったので再訪問
本丸後まで階段が整備されて登りやすい。
しかし訪問者が少ない為に蜘蛛の巣だらけで適当なすすきや笹をもって登る事をお薦めします。
見晴らしのいい場所から柏崎刈羽原発が見えます。
2012年06月04日 まるさん伊豆守小町時間割
赤田城
県道73号(鯨波〜宮川)線沿い刈羽村赤田に登城口への案内板が設置されていますが…
現在ある案内板は北口と東福院口に繋がるT字路にあるだけのようです。
大手口へ繋がる入口の十字路には壊れた看板の枠だけが残っていましたので、
もしかするとそれが入口の案内だったのかもしれません
全ての登城遊歩道の入口には駐車場(北口にはトイレも併設)がありますので安心です。
また、北口からはバイクか自転車ならば600mほど先まで進めますので、
そこから歩くと本丸跡まで20分弱で到着します
ちなみに、自動車だと進めますが置ける場所はありません
本丸跡からは5本の尾根が延び郭や空堀などがある。
赤田城主は斎藤下野守であり、刈羽郡案内には、「藤原利仁将軍の曽孫斎藤為時其の子為頼、実盛その末孫斎藤下野守朝綱上杉氏に仕え、当赤田に住し三千貫文の地を領す。その子孫に篤彭、朝信、直信等あり・・・・」と記載されている。
斎藤氏は藤原氏から派生したとされ、平安時代中期の鎮守府将軍藤原利仁の子叙用が斎宮頭に任ぜられたことから「斎宮頭藤原」、略して斎藤を苗字としたのに始まるという。
その後子孫斎藤下野守昌信になり、上杉民部大輔房能に仕え赤田城主となったのである。
世に赤田千挺槍と称し、上杉四家老の一人であった。
朝信の死後その子乗松丸が後を継ぎ、上杉景勝に用いられ、景勝の一字を賜り、三右衛門尉景信(かげのぶ)と称した。慶長2(1597)年景勝が会津へ所領替えになり廃城となった。