仙当城(せっとじょう)
仙当城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 長野県下水内郡栄村堺字仙当
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 市河氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- 武田氏、上杉氏
主な城主
- 市河氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、竪堀、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
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今井城(新潟県中魚沼郡)[7.1km]
平沢城(長野県下高井郡)[15.0km]
室野城(新潟県十日町市)[15.8km]
京ヶ岳城(新潟県上越市)[17.6km]
飯山城(長野県飯山市)[19.7km]
直峰城(新潟県上越市)[21.3km]
箕冠城(新潟県上越市)[22.2km]
荒戸城(新潟県南魚沼郡)[23.1km]
猿橋城(新潟県妙高市)[23.9km]
鳥坂城(新潟県妙高市)[25.2km]
仙当城の解説文
仙当城の口コミ情報
2023年12月05日 阿賀北の守護神全長
城坂城[仙当城 周辺城郭]
以前は激藪だが仙当城とセットでオススメの城坂城、先月の地区草刈りでとても素晴らしい城跡へ変貌🤩もはや仙当城の福神漬ではなく、カツカレーのカツになってる。雪に埋もれる前に是非訪れて欲しい城跡
特に南尾根と東尾根が見事に見れるようになったてる。
行くなら今でしょう❗
1️⃣南尾根曲輪
2️⃣南尾根堀切
3️⃣東尾根堀切
4️⃣東尾根段曲輪
あくまでも個人的な考えですが……
噂で🐻のメッカとか言われてますが、確かに山奥なので🐻は居ると思いますが、城跡周遊辺は人の出入りもあるし、攻城中に出くわす事はないかと思います。早朝、夕暮に何度も訪れてますが、🐻の匂いや痕跡はありませんでした。
あの辺はエサの木の実も豊富で、現存騒がれてる🐻の状況とは当てはまらないと思います。
里に降りてくる凶暴な🐻と違って本来の臆病で用心深い🐻かと思います。
絶対とはいえませんが、最低限の対策(🔔や音を出して)で行けばそんなに心配するものではないと思います。
🐻を心配して行かない方がもったいない城跡です。
2023年11月28日 RED副将軍
仙当城
上杉氏または武田氏が改修したとされる圧倒的土木量の名城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代や築城主は不詳。この地を支配していた市河氏によって築かれたと云われますが定かではありません。
市河氏は、甲斐源氏の系譜で源義光の子の武田義清の弟にあたる市河別当刑部卿阿闍梨覚義が祖とされ甲斐国巨摩郡市河荘を領していました。
鎌倉時代には志久見郷を拠点とし、南北朝時代には北朝方に付いて勢力を拡大。更に箕作に拠点を移して奥信濃の有力国人となりました。
室町時代後期には、北信濃に影響力を持った越後守護上杉氏の重臣であった様で越後国にも所領を拡大していました。しかし、越後守護の上杉房能と守護代の長尾為景が対立し永正の乱が起こると上杉房能に付いて敗れたため越後の所領は失い、奥信濃へ勢力を拡大した武田氏に帰属しています。
1582年に武田氏が滅亡すると、市河氏は織田信長家臣の森長可、その後には上杉氏に従属し、1598年に上杉氏が会津転封となると市河氏も従って会津に移っています。
この様に市河氏は上杉氏と武田氏が争った境目を領有していたため情勢に応じて双方に従属しています。
仙当城は一地方土豪では築けないほどの土木量であることから上杉氏または武田氏、更には双方の改修が入っていることは間違いありませんが定かではありません。
見所
大巻川と二ノ入沢との間にある標高456mの尾根上に築かれています。
巨大な空堀が縦横無尽に掘られており、空堀に架かる土橋に圧巻されます。徹底的な防御線と圧倒的な土木量に度肝を抜かれます。
北端の山頂部が主郭とされ、南は堀底に仕切土塁がある特大の空堀で遮断し、長い土橋で南郭と繋がります。
南郭も竪堀と大空堀により南尾根を遮断され、南東部に虎口が開口し横矢掛かりの土橋が架かっています。
主郭西下には巨大な竪堀が配され、主郭東下には畝状竪堀が伴う帯郭が配されています。
山城好きなら必須課程とも言うべき素晴らしい城郭です。
但し、ガチの熊棲息域で至るところに熊の糞や爪痕、熊棚がありましたので万全の熊対策が必要です。
2023年11月16日 阿賀北の守護神全長
城坂城[仙当城 周辺城郭]
噂の藪城、城坂城で地元の箕作地区の方々が11月11日日に草刈りを実施。
主郭、南尾根、東尾根を重点的に草刈り雑木の伐採を行なって見やすくなりました。
行くなら、今でしょう❗
2023年03月02日 RED副将軍
城坂城[仙当城 周辺城郭]
巨大堀切が残る市河氏の詰城とされる城跡🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
城坂城(じょうさかじょう)と読みます。
築城年代等の詳細は不明。箕作館を居館としていた市河氏の詰城と考えられています。
市河氏は、甲斐国市河荘が発祥とされ、奥信濃に勢力を張った国人です。元々は上杉氏に属していましたが、上杉氏の内部分裂の際には守護方に付き、周囲の高梨氏、武田氏と対立をしていました。戦国時代には、川中島を中心に上杉氏と武田氏が対立する中で、武田氏が北信に侵攻して来たため武田氏に属しました。しかし、上杉氏の所領との境目てあることから、上杉氏からの侵攻を受けました。武田氏が滅亡すると上杉氏に従い、会津への転封にも従いました。
見所
千曲川沿いで小箕作川が合流する比高120mほどの丘陵地に築かれています。東西の尾根筋に郭を展開する連郭式。一番の見所は主郭東側の大堀切でかなりの深さがあり端部は竪堀となり落ちています。主郭西側は深さ2mほどの堀切を挟んで西端は大堀切で遮断されています。東尾根も二重の大堀切で、端部の竪堀も途中で合流し大規模なものとなっています。以前よりはヤブが刈られたと聞きましたが、刈られたのは一部の登城路だけで主郭内部を含めてヤブ多めです。
行き方は、Googleマップに登録されていますが登城口が難しいです。県道408号線沿いの小箕作橋を目標に設定。この付近の路側帯に駐車し、向かいの城坂城方向へ農道を進み小箕作川沿いを歩きます。しばらくすると城域南東にあたる地点で右手に登城口があります。注意をしないと通り過ぎてしまうくらいの急坂で分かりづらい入口です。
2022年05月06日 【配龍】美海(ミミ)安房守
城坂城[仙当城 周辺城郭]
【城坂城登城口】
仙当城の近くにある、素晴らしいお城だけど登城口が分かりにくい城坂城。(越後ツアーの途中で、立ち寄り写真を撮ったのですが、雨の日の夕方だったので、写真暗いです😅)
googleマップで「城坂城址」で位置登録されてます。
1️⃣仙当城から向かうと、408号線沿いに「こみつくりはし」と看板のかけてある橋があります。
その周辺で車を降りてください。
2️⃣写真正面の山が城坂城✨💕
3️⃣4️⃣ガードレールが切れて農道があります。ここを進みます。
5️⃣6️⃣道なりに進むと右にカーブして山沿いの道に繋がります。
7️⃣少し歩くと、また小川が左手に流れます。
そろそろ登城口です❣️
8️⃣登城口✨♬ 写真の左斜め上方向に登ります。案内板は無し(2022,5月初旬時点)
※2023年11月に登城口の標柱できました!
以前は藪で全く見えず、もう少し進んだ所から藪に突っ込み直登しました(途中で登城道に出る)が、今回は綺麗に草刈り整備されてました。どうやら昨年冬に整備が入ったようです。前は登城道もかなりの倒木だらけでしたが、この感じだと倒木も整備されてるかも…♬
ぜひ仙当城に行く時はセットで訪城してくださいね😊♬
🅿️ 一台分のスペースあり。
【登城口座標】(36.9802950, 138.5305693)
登城口はこのあたり。多少のズレがあるかもですので、周辺を探してください😊
2022年05月03日 近江守フロクニ
仙当城
登城口から10m程登ったところに有った遊歩道の標識は腐食で倒れていて、この辺にある筈の城の説明看板も冬季で回収されたままか無かった。そこから20m程登った所から雪が残っていて踏み込む雪と乗れる雪とが有って30分ほどゴソゴソして撤退する事に。もう少し待たないとダメそう。
2021年05月24日 【配龍】美海(ミミ)安房守
城坂城[仙当城 周辺城郭]
遺構は素晴らしいですが、まったく未整備の激藪城。行き方は余湖さんのホームページにわかりやすく書いてあります。1枚目の写真の道を進むと、小川が道の横に沿ってきます。そこから10m位進んだ右側に登山道入口がありますが藪でほぼわかりません。適当な場所から取り付いたら登山道の途中に出ましたが、登山道も倒木がかなり多いです。乗り越えながら、しばらく進むと主郭東側の堀切に出ます。素晴らしい堀切です✨。これより東側の郭の藪はあまりひどく無く簡単に行けます。
主郭は行く道がわからず、鋭い堀切から直登しましたが、かなりの急角度でした。雨の翌日は結構滑ります。登ってみたら写真のような前も全く見えない激藪でしたが、主郭西側に行くとまた良い堀切があります。地元の方に聞くと、ほぼ人が入らない山らしいのですが、鋭く深い堀切が魅力のお城です。
2019年11月24日 ️_
仙当城
大手道の登り口はリア攻めマップの城のアイコンから北にマップをずらし、川(沢)が『入』の形で交わる場所の橋の南側になります。
長大な竪堀、スケールの大きな堀切、畝状の二重堀切など主郭周辺の遺構は素晴らしく、時が過ぎるのも口を閉じるのも忘れるほどです。
が、主郭までの大手道には数多くのツキノワグマの糞が転がっていて、広葉樹には木登りや爪痕も見られます。
リア攻めする際は熊鈴着用等の対策が必須です。
遺構
栄村北部を蛇行する千曲川の南側、大巻川と二の入沢の間にそびえる標高約460mの山上に位置する。北にある曲輪が主郭とされ、その南側に南曲輪が続く。この2つの曲輪の間には巨大な空堀があり、空堀の中に土塁のような畝を設けることで二重堀の様態を呈している。また、両曲輪の間にはこの空堀を渡るための約20mにも及ぶ土橋が残されている。
主郭の東側には帯曲輪が付属し、随所に竪堀も見られる。また、城域の北端と南端はそれぞれ堀切で遮断されており、尾根筋からの敵の侵入を防いでいる。
歴史
築城年は不明ながら、戦国時代に信濃・越後の国境を地盤とした市河氏によって築かれたとされる。市河氏はもと甲斐市川郷の出身で、鎌倉時代に中野氏から志久見郷(現栄村一帯)を手に入れ同地を治めた。武田・上杉両氏による北信濃の争奪戦が激化した戦国期、当時の当主であった市河藤若は武田氏に帰属するが、武田氏滅亡後は上杉氏に従い、以後上杉氏家臣として存続している。
このような経緯から、現在仙当城に残されている大規模な遺構は、国境地帯を守る重要拠点として、武田・上杉いずれかの勢力の主導のもとで構築されたものと推測される。
交通
・JR飯山線横倉駅から車で約10分参考文献
・『日本城郭大系 第8巻』新人物往来社、1980年。・仙当城跡現地説明板。
・栄村公式サイト(http://www.vill.sakae.nagano.jp/)。